第264話 それぞれの第一歩
「疲れた」
尾張から伊賀へ戻る道中、無意識にそう何度口からこぼれたかわからない。肉体的な疲れはもちろんあるが、何より精神的な疲労がどっとあふれ出していた。
見知った友人や部下の戦死、そして親友であり主君だった信長様の首を自分の手で落とした。長い間肩を並べて戦った同僚を撃ち殺し、数十年仕えた織田家から離れる決断をした。この数日でいろんなことがあり過ぎた。
知り合いの死なんて今まで数えきれない程見てきた。自分の手を汚すことにももう慣れたつもりだった。だが今までそのすべてを「夢のため」「主君のため」と理由付けていた。あの焼け落ちる本能寺の前の道、血で染まった真っ赤な道と信長様の首を見て思ってしまったのだ。
「俺は、今まで、何のために……」
信長様の夢はあの場所で潰えた。なら今まで俺が天下の為にしてきた数えきれないほどの殺しは全て意味のない殺しになったのか。そこでふとあることへ思い至る。
「ハ……殺しに意味って、なんだよ」
前世で殺しなんて考えたこともなかった。この時代にきて直ぐの頃もこの戦国の世の死生観をすぐには受け入れられなかったじゃないか。その俺が自分で人を殺めるようになって、気が付いたら「織田家最強」だ。織田家で一番人を殺すのが上手い人になって、持て囃されて調子に乗って……また殺して。
「こんな俺が、これからどうやって好きに生きろって言うんですか。信長様……」
間もなく伊勢と伊賀の国境。俺が滅ぼし、今は俺が治める国。伊賀国に俺は帰ってきた。
「俺の大切な伊賀の人たちを俺が傷つけた。好きに生きるのはその償いが済んでからだ」
伊賀の領主としての責務を果たす。俺の義務を果たさなくては。この血に汚れた手で今度こそ伊賀を守ってみせる。強く馬の手綱を握り俺は伊賀国へ足を踏み入れた。
旧平楽寺、その位置に新たに建てられた城に伊賀の重鎮たちが領主の帰還を聞きつけ集合する。俺は祈たちを無事に伊賀へ連れ帰ってくれた丹波にお礼を言った後、領主として上座に腰を下ろした。
「もう知っている者もいるかもしれないが、本能寺で信長様が討たれた。討った明智も既に死んだ。だが信忠様も亡くなられ織田家は今後乱れるだろう。三法師様はまだ幼いし信雄様と信孝様はどちらも当主としての教育を受けていないし明らかに格不足だ。家臣団をまとめられる者もおらず、広大な織田領は周辺の敵国に侵略されていくだろう」
彦三郎をはじめ、皆が不安な表情になるのがよく見える。
「今後の織田家の主導権を握るのはおそらく明智を討った羽柴秀吉だ。だが織田家筆頭家老柴田勝家をはじめ、あのサルをよく思わない者も多い。もしかしたら織田家は割れるかもしれない」
やっと織田領としての意識がつき始めていた伊賀の者たちの顔も曇っている。あまりにも急な大事件を受け、皆がこれからの伊賀を不安に思っている。皆の不安を代弁したのは部屋の隅の方で柱に体を預けている音羽半六だった。
「それで、織田家で伊賀を担うあなたは今後どうするつもりですか?」
そう鋭い目で俺を見る半六。その目で言っていることはわかる。俺はこいつに約束した。伊賀をより良い国にしてみせると。半六はその見届け人であり、俺の見張りだ。
俺はこいつの質問に誠実に対応し、伊賀のために尽くす義務がある。という事でまずその質問に答えることにする。
「どうもしない」
「は?」
俺の言葉に広間がざわつく。半六ですら驚き、職務を放棄するつもりかと鋭く睨む。
「伊賀国は織田家の内情に一切関知しない。織田家の戦にも一切参戦しない。元々、今は伊賀の再建に努める時期だ」
「織田から文句言われるんじゃないか?」
「文句程度は言われるかもしれないが、織田家内部は今相当混乱している。小国の伊賀に構う余裕はないだろう。この状況を利用して戦で荒れた伊賀を復興し、後々の外敵に舐められない程度の国力をつける」
この後の未来、次の天下人ははサル、羽柴秀吉になる。史実通りに進むなら、だが。俺の歴史の知識は高校卒業程度しかない、だからサルが天下統一に際して伊賀をどう扱ったかはわからない。戦って手中に収めたのか、あるいは降伏させたのか。どちらにせよ伊賀を強国にすれば伊賀を守ることにつながる。
「皆の力が必要だ。皆で伊賀を強い国にしよう!」
「おう!」
俺の言葉に丹波らが力強く答えてくれる。
信長亡き後の世を生き抜くため、伊賀が第一歩を踏み出した瞬間だった。
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時はわずかに遡る。山城国と摂津国の境にある宝積寺。ここに明智軍と対峙する羽柴秀吉の本陣があった。戦は既に終わり、勝利で賑わう本陣に一人の男がある物を届けに来たのだ。
そのある物が届いたことを聞き、丹羽長秀や黒田官兵衛をはじめとする羽柴軍に参戦した重鎮たちが集まった。その中には当然ユナも含まれる。
ユナは運ばれてきたその物、明智光秀の首と一瞬視線が合い背筋が凍るような感覚を味わい、すぐに目を伏せた。
「……間違いないでしょう」
台の上に置かれた首を明智光秀と関わりがあった者が確認し、明智光秀だと断定する。首が首桶に入れられ、隣に立っていた黒田官兵衛に声をかけられるとようやくユナは顔を上げた。
「上手くいきましたな、ユナ女史。全てあなたの目論見通り。織田信長も明智光秀も死に、信長様の敵討ちという形で明智を討てた我らは……」
「黙って。ここはあくまでも織田軍。形式的な大将は信孝様で丹羽長秀や池田恒興なんかの織田の家臣団の面々はまだ気を抜いていい相手じゃない。そんな人たちの前で堂々と策略の話はご法度よ」
「なに、すぐに我らが主の前に首を垂れることになる奴らであろう」
「だとしても、よ」
並び立つユナと黒田官兵衛の視線の先には話題に出た丹羽長秀ら織田家臣団の面々。それをこれからどうやってこちらの陣営に組み込んでいくか、その手腕によって今後3年の状況が大きく変わる。
「気を抜かないでよ。次の相手は柴田勝家。それまで紀之介や八郎を十分休ませておくことね。今回かなり無茶させたから」
「ユナ女史の未来視は恐ろしいほど当たりますからなぁ。仰せの通りに」
その2週間後、織田家の家督を継ぐ織田三法師のいる清洲城に羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興、そして柴田勝家の4人が集まる清須会議。
この会議に先立ってユナが立案し、黒田官兵衛が調整・実行した策は柴田勝家と織田信孝への印象操作であった。
その内容は柴田勝家が織田三法師の家督相続を認めず、織田信孝を織田家の後継に推すというもの。
三法師のいる清洲城に集まる時点でそんな事はできる訳がないのだが、この嘘がもたらした効果は絶大だった。三法師の守役であった堀秀政や前田玄以らの反感を買い、三法師の後見として織田信孝を推していた柴田勝家は会議において苦境に立たされた。
そしてその仲裁をする形で秀吉がまず三法師の家督相続を確定させ、その後見人に信雄と信孝の2名とする案を出す。こうすることで一応意見が通る形となった柴田勝家は不服ながらも納得し、三法師にとって秀吉は家督を相続させた恩人となったうえ、丹羽長秀らの信頼も得ることにも繋がる。
ユナと官兵衛の策により、清須会議は秀吉の一人勝ちであった。
こうして全てユナの目論見通り、羽柴秀吉は天下人への第一歩を踏み出すことになったのだ。




