第261話 最後の奉公
信長様の墓は命じられた通り、那古野に立てた。城から少し離れた、昔、俺と利家と信長様で駆けまわった野原。そこに立っている木の下に立てた。
風が心地よい。一度目を瞑り再び景色を眺めればあの頃の情景がいくつも思い浮かぶ。信長様はここを目指して戦っていたのだ。ここでせめて安らかに眠ってほしい。
「ご奉公はこれまで。これからは信長様に命じられた通り、好きに生きさせて頂きます」
最後に墓に深く頭を下げ、その場所を離れた。
俺が次に向かったのは清洲城だ。そこで俺は図らずもとある人物と対面した。
「三法師様、前田玄以殿……何故ここに?」
「大助殿、勝手に立ち入って申し訳ない。本能寺の報を聞いて岐阜では危ないと思い、我の独断でこの城に三法師様をお連れしたのだ」
信忠様の子で信長様の孫、織田三法師。御年3歳。織田家の嫡流できっとこれから織田家の当主になる人物が俺の居城にいた。
「大助殿、ご無事なようで何よりです。そしてこの非常時に最も頼れる大助殿が来てくださるとは、これは神の導きでしょう。共に明智を討ちましょうぞ。そして三法師様をお支えするのです」
山崎の戦の報はまだ伝わっていないらしい。嬉しそうに俺の肩を掴みブンブンする玄以殿に俺は明智討ち死にの報を伝えることにする。
「明智殿は羽柴秀吉の軍に討たれました。きっと今頃は秀吉の軍が明智殿の領地を制圧してるでしょう」
「な、なんですと!!」
今度は乱暴に俺の肩を掴みブンブンする玄以殿。痛い、肩外れちゃうからやめて。
「玄以殿は秀吉に合流するのがよろしいでしょう。乱れた織田家を立て直すにはそれが一番いい」
「うむ、そうしよう。む……大助殿はどうなさる?」
「俺はひとまず伊賀に。織田領になったばかりの伊賀が心配です」
「待たれよ、今は小国の伊賀より織田家全体のことを気にするべきでは?」
「いえ、俺は……」
好きに生きろ、そう言われてなければそうしたかもしれない。だが今俺の大事な人はみんな伊賀にいる。信長様がいない織田家に長居する気は、ない。
俺は正面の三法師様に向き直る。
「三法師様。申し訳ありませんがこの坂井大助、ここまでです」
「な、何を仰る!? 大助殿!!」
三法師様はよくわかっていない様子。その代わりに玄以殿がそう俺に怒鳴りつけた。
「俺が織田家に仕える理由はもうなくなった。今しがた最後の御奉公も終わらせてきたところ」
「大助殿、織田家を裏切るつもりか!?」
その言葉で三法師様も少しだけ状況が理解できたらしい。不安そうな顔で俺の方を見る。
「決して裏切るわけではない。だが俺はもう十分戦った。少し戦から距離を置きたいと思ってる」
「その気持ちは理解できるが……この状況を考えなされ。今こそ大助殿が必要なのだ」
「申し訳ないがそれには応えられない。……では最後に、三法師様」
「?」
「この清洲城とその一帯の領地を全て返上致します。ここ清洲は一時期、信長様も拠点としていた地。尾張の中心と言ってもいい。織田にとって重要な地でございます。きっと今後役に立つでしょう」
「大助は、どうするのじゃ?」
不安そうに俺を見る三法師様と不満そうに睨みつけてくる前田玄以殿。だがもう俺の心は変わらない。
「伊賀へ戻ります。しばらく伊賀の再建に努めようと。それが俺が滅ぼした伊賀への贖罪です」
そう言うと最後に深く頭を下げ、俺は部屋を出る。後ろで玄以殿が何か言っていたがその言葉は俺の耳には届かなかった。
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「殿、この峠を越えれば伊賀でござる! 伊賀には我が服部家の親戚も数多くおりまする。きっと今晩は屋根のあるところで休めるでしょう。ほら、あともうひと踏ん張りです!」
「はぁ、はぁ……もう、無理……」
荒い息を吐きながら徳川家康は大和と伊賀の国境近くの森を彷徨っていた。大した食事もとっていないのに吐き気がするほどの疲労。森に入って少し経った頃に偶然拾い、杖替わりにしていた木の枝はもう完全に手になじんでいる。
何故、三か国を治める大名である徳川家康がこんな状況に陥っているか。
2日前、徳川家康は堺にて織田信孝と丹羽長秀の歓待を受けていた。そしてその翌日に京都で明智光秀に織田信長が討たれたとの報が入ってきた。家康は信長の仇討ちを主張するが家臣たちに止められ断念。領国三河への帰還を目指すことになる。
だが堺から三河に帰る道は京都を経由するのが一般的である。しかし京都は明智軍に占領されているため通れない。そこで配下の服部半蔵の意見で選択したルートが伊賀越えである。堺から西へ向かい大和を経由し伊賀を抜け、伊勢から船で三河を目指す。だがその道のりは困難を極めた。
事実、家康は知らない事であるが、途中まで家康に同行していた元武田家臣穴山梅雪は落ち武者狩りに襲われ命を落としていた。
そうした危険地帯を潜り抜け、ようやく家康は伊賀まであと一歩のところまでたどり着いたのである。
「たしか、伊賀は坂井大助殿の領地のはず。大助殿が居られれば安全に伊勢まで連れて行っていただけるやもしれぬ」
「大助の……なら明智軍の心配もないね」
そんな楽観的な会話をする家康一行はその会話を盗み聞く忍びに気が付かない。忍びは音を一切立てずに侵入者の情報を里へ伝えに走った。
それからしばらく後、伊賀北の里の入り口にたどり着いた家康は伊賀忍者の集団による熱烈な歓迎を受けることとなった。家康一行より明らかに多い忍者衆が里の前で立ちふさがり、周囲の木や茂みにもたくさんの忍者が潜んでいる。明らかに好意的ではなかった。
「来たの。でも里には誰一人入れない。お引き取りを」
先頭に立つ女忍者が家康にそう言い放つ。
「待たれよ! こちらはそなたらに危害を加える気はない! ただ水と食料、それから一晩の寝床を求めているだけだ! もちろん対価は払う!」
そうはっきりと言い返したのは四天王筆頭・石川数正。この場には四天王全員を含め徳川家の重鎮が揃っている。ここで伊賀衆と争いになれば徳川家が受ける打撃は計り知れない。本多忠勝と井伊直政が家康を守る立ち位置で刀に手をかけ周囲の警戒をしつつ、石川数正らが何とか話し合いでの解決を試みる。
「ここにおられるのは織田信長公の同盟者である徳川三河守家康様であるぞ。我らはそなたらと敵対する者ではない!」
「知ってる。でも里には入れない」
「何故!」
取り付く島もないといった様子の女忍者に石川数正が歯噛みする。その石川数正の肩に手を置いて一人の青年が前に出る。
「数正殿、ここは拙者にお任せを」
その男の名は服部半蔵。30年前に伊賀から抜け出した服部正種の息子。今正面に立つ服部さくらのいとこにあたる人物である。
その男が名乗った時の伊賀忍者衆の変化は劇的であった。主に悪い方向にであるが。




