第260話 断罪
「まずは、ご苦労だった」
京都郊外、事が起きた時に最終的な合流地点として設定していた地に本能寺へ信長救出に向かった俺の隊の精兵の生き残りが集まっていた。その者たちの一人一人の顔を見ながら俺はそう声をかけた。
「信長様の救出は出来なかった。でもそれはお前らが気に病むことじゃない。お前らは死力を尽くして戦ってくれた。そのおかげで俺は信長様と最期に言葉を交わすことが出来た。本当に感謝している」
氷雨や天弥をはじめ、皆の顔は暗い。そんな中で保正が控えめに声を上げた。
「これから、どうするんだ?」
「この辺はすぐに明智の軍が迫るだろう。一刻も早くここを出て甲賀を抜けて伊賀へ帰る。今頃は安土にも本能寺の変の報が届いて丹波たちが祈を連れて伊賀へ向かっているはずだ」
なんで光秀が信長を討ったのかはよくわからない。信長様に対する忠誠も本物だと思っていた。内々に野心を秘めていたのか。あるいは俺の知らないところで信長様に恨みを持っていて、それを隠していたか。
どんな理由であれもう謀反は起きてしまった。光秀殿は一刻も早く織田領を制圧し体制を整える必要があるはずだ。この場所はもちろん、安土も危ない。
「それと、俺は別行動だ」
「何?」
「2つほど、やる事がある。保正、お前が先導して皆を伊賀に返してくれ」
「了解。そのやる事ってのも、大体察しはつく」
保正はそう言いながらちらりと俺の後方に置いてあるものを見る。首桶、あの中に主の首が収められている。
「ほら、早く行け。ここにもすぐに明智軍が来るんだ」
そう言うと保正を先頭に精兵たちが小屋から出て行った。いつもだったら残る天弥と氷雨は出て行くときに心配そうにこっちを見ていたが俺が頷くと大人しく去って行った。
部屋に残ったのは2人だけ。俺と、信長様だ。俺はそっと首桶の蓋に触れる。
「自由に生きろ、ですか。俺は自分の自由意志であなたについて行きたかっただけ。決してあなたに縛られていたなどとは思っていなかった。縛られているように見えるかもしれませんが、これが俺の意志です。最後の御奉公をさせて頂きます」
首桶を持ち、立ち上がる。坂井大助は薄暗い森の中に姿を消した。
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「坂本城に帰って体勢を立て直す。細川藤孝殿に協力の要請の手紙を……それから、それから……」
光秀はボロボロの騎馬にまたがり思考を巡らせる。光秀の脳内に浮かぶのはこの状況を打開するいくつもの策だけ。自身に謀反をけしかけた女に対する苛立ちも自身を策に利用し大きな野望を実現させようとしている猿顔への憎しみもない。すべては己の失策で、それを嘆く暇も今はない。ただ今後を見据えたいくつもの策を脳内で組み立てては消し、組み立てては……
「よう、光秀殿」
後ろから声が聞こえた。その声で光秀の脳内の策は全て飛散する。もう考えても意味はないと、頭が理解してしまった。
騎馬の後ろに誰かがいる。そしてその人物が後頭部にひやりとした銃口を突き付けている。
信長様の家臣の時には仲良くしていた。そして本能寺の際に殺しきれなかった、本物の化け物。光秀はその現実を冷静に受け止め、思わずため息をついた。
「ハァ、……あなたで、詰みですか」
《坂井大助》
「ハァ、……あなたで、詰みですか」
「あぁ、お前はここで死ぬ」
馬に乗って敗走する光秀の背後に降り立ち、静かに銃口を突き付けた俺は諦め交じりの光秀の言葉をそうはっきりと肯定した。
光秀はもう一度深くため息をつくとこちらを振り返ることなく話し始める。その声色はさっきよりも諦めの色が濃い。
「あなたのことは、十分警戒していました。なのになんで、なんで生きているんですか……本当に、嫌になりますね」
「あれだけ長く俺と一緒に居ながらお前はまだ俺の実力を測り切れてなかったってことだな。……なんで、謀反なんて起こした?」
光秀が謀反を起こす兆候なんてなかった。未来人で歴史を学んでいた俺が注視しても、全くなかったと言い切れる。なのに本能寺の変は起きた。俺が光秀と会話する時間を作ったのはそれが理由だ。
「信長様は正義か、それとも悪か」
「何?」
「そう問われて考えてしまったんですよ。……大助殿は、どう思われますか?」
正義か、悪か。そんなことを考えて戦ってこなかった。理想はどれだけ綺麗なものでもその手段は罪人といって相違ない。手段を誤ったことは信長様も認めていた。
「悪、なのかな。でもそれは俺が信長様を見限る理由にはならないよ」
「さすがですね。私はそう言い切れなかった。信長様の作る世は怨念が渦巻く世界になると、そう思ってしまった。今、信長様を討つことが自分のすべきことだと言われているようだったんです。これ以上、信長様に人を殺されないようにと」
「……お前はいつも極力、一般人の殺しは避けていた。比叡山の時も」
「ええ、あの時だったかもしれません。信長様は女子供まで皆殺しにしろと仰った、あの時私は信長様との決定的な違いに気づいてしまったのかもしれません」
比叡山の時に出来た僅かなひび割れは少しずつ開いていき、「正義か悪か」という問いによって決定的な亀裂になった。
光秀殿の気持ちもわかる。だから俺は比叡山で光秀殿が逃がした人を殺さずに通した。
「ですが私は結局、信長様と同じだった。信長様を殺すことでしか信長様を止められなかった。本能寺でも全く関係ない僧や禿が死んだでしょう。だから、こうなるのもすべて私の過ちの結果です」
光秀殿はそう、悔やんだようにつぶやく。そして、
「さあ、早く私を殺してください。罪を犯した者には罰が必要です」
そう静かに言った。
「何か、言い残すことはあるか」
「……案外、優しいんですね。あなたが心酔していた信長様を殺したのに」
「お前とは何度も死線を越えてきた。何度も救ったし、救われた。いうなれば戦友みたいなもんだ。そのよしみだ」
光秀から見て俺の第一印象は最悪だったろう。にもかかわらず戦友と呼べるだけの関係になった。俺が光秀を警戒視する中で見えたのは光秀の真剣な働きと信長様へ忠誠心。それ故に信頼していた。謀反を起こした恨みはあるが、最後の言葉を聞く程度の情は残っているのだ。
「では最後に一つ、私から大助殿へ助言です。……この世界はあなたが思うより、陰謀が渦巻いています。いつか恐ろしく深い陰謀や策があなたを襲う時、きっとあなたは未来が確定しているように感じるでしょう」
「未来が、確定……」
「その全てを大助殿は腕っぷしで解決できるのかもしれませんが……大助殿の武力でも太刀打ちできないと感じた時には、人に頼りなさい。信頼できる人、足りない武力を補う人、交渉上手な人、その時々によって様々ですが……大助殿なら人を見る目は確かでしょう。今まで大助殿はすべて一人でやってきました、ですがこれからの時代はきっと今までとは大きく変わっていく。変わりゆく時代の中で最も己を守ってくれるのは人との繋がりです」
「……覚えておくよ」
「えぇ、ぜひ覚えておいてください。織田家の頭脳を担った、私からの最後の助言です」
明智光秀は人を扱うのが上手い将だった。伊勢侵攻の際には交渉上手の僧を使い、各方面軍の振り分けも完璧だった。領民からの評価も高い。
俺は確かに人を頼るのが下手だ。光秀の言う通り自分一人でなんとかしようとする節もあるかもしれない。
「ありがとな。今まで」
謀反を起こしたことを許すつもりはない。だが礼を言わなくてはならないことがたくさんあるのもまた事実。
「お前と戦えて、よかったよ」
返事は聞かない。後頭部に突きつけていたリボルバーの引き金を、引いた。




