第259話 血の道の終着点
「信長様……」
そう俺が声をかけると信長は扇子を閉じ、腰に差しなおすとゆっくりと俺と視線を合わせた。
「遅くなりまして、申し訳ございません。すぐに脱出を。道はこの俺が切り開いて……とにかく急ぎましょう。早く出ないと焼け死にますよ!」
「大助」
「俺の後ろについて離れないでください。敵はちゃんと倒しますが弓兵も多くいるので気を付けて……」
「大助」
「?」
そうやけに落ち着いた声で俺の名前を呼ぶ信長に何かを感じ、俺は周囲の警戒をいったん止め信長の方へ向き直る。こんな状況なのに無表情な信長に少しだけゾクッとした。
「俺は行けん」
心臓を誰かに摑まれたような感覚。無表情を崩さない信長にとっさに声が出ない。
「は、なっ……な、なんで、ですか?」
なんとか絞り出した俺の言葉に信長は寝間着の裾をめくり足を見せる。そこには折れた矢が刺さって他にもところどころ傷がある。
「俺は走れん。歩いて脱出できるほど甘くないだろう?」
信長の言うことは正しい。普段だったら重症とされる怪我だ。だがそれは命を捨てる理由にはならない。
「それは命を、夢を諦める理由にはならない! どれだけゆっくり歩いていても俺が守り切ってみせる。だから俺を信じて、歩いてきてください!」
こんな傷、夢を諦める理由にはならない。どれだけきつい状況でも必ず守ってみせる。信長様がやれというなら万の敵を相手に単騎で挑み、勝ってみせるさ。なのに、
「……そうだな。これは言い訳だ。俺はもう、疲れたんだ」
「……は?」
「血を分けた弟の首を搔き切った」
「長島で三万、越前で一万」
「比叡山では女子供まで殺した」
「俺の命令で死んだ者の人数など数えきれない」
「こんな俺が天下を治め、平和な世を作ろうとしたところで殺された者の家族の憎しみは消えない。おそらくこのやりかたで天下を治めるのは不可能だったのだ」
「そんな事……!」
そんな事はない、そう言い切れなかった。俺自身、両親が死んで一時は信長様に刃を向けた。家族を殺された痛みはきっと刃に変わって信長様に向けられる。
否定の言葉を言いきれなかった俺に信長は自嘲的な笑みを浮かべ話し続ける。
「人を殺して平和な世を作る。こんなやり方しか出来ない俺に光秀は嫌気がさしたのであろうよ」
そう悲しそうに言う信長に俺が言うべき言葉が見つからない。
「だがやれる事はやった。きっと俺の夢は誰かが継ぐ。光秀か、信忠か、サルか、あるいは家康か」
「……俺は、俺は信長様と一緒に夢をかなえたいです」
平和な世を作る、信長様の願いはそれだけじゃなかったはずだ。またあの頃みたいに笑って遊べる日、それを実現するために戦ってきたんだろう。なのにそれは叶わず、形だけ信長の理想を実現した後世の天下人が生まれる。それで本当に良いっていうのか。
「すまん。大助は本当によく支えてくれた。今まで本当にありがとう」
「まだ、まだ終わってない! 俺たちの夢はまだ終わってない! 俺がいれば絶対に天下を取れる! 取らせて見せる! 信長様と俺と利家、皆の夢だろ!」
「…………」
今度は信長が押し黙る番だ。涙を流し掠れながらそう言葉を紡ぐ俺の言葉を信長はただ聞いている。
「一緒にここから脱出しましょう。 信忠様も連れて、大坂で長秀殿たちと合流すればまだ……統一した後のことは統一してから考えればいい!」
「……すまん」
そうただ一言。その一言でわかってしまった。理解してしまった。信長様は、俺の親友織田信長はもうここで死ぬつもりなのだと。生きのびる気などもうないのだと。
「信長、様……」
「お前は本当によく支えてくれた。だが死まで付き添う必要はない」
「……」
「生きてここから脱出しろ」
信長様の優しさが心に沁みる。そう、信長様は優しい。なのに数万の人を平気で殺す魔王を演じていた。そんな状態はもう、限界だったのだ。
「最後に2つ、お前に命令する」
「……なんなりと」
「利家に伝えてくれ。今まで本当にありがとう、これからはお前の好きに生きよ、と。いいな、必ず伝えろ」
そう命じることで間違っても俺がここで死なないように。そんな考えが透けて見える。
「そしてもう一つは……」
そう言いながら信長様は力を振り絞り自らの刀を持ち上げ、それを引き抜くと俺に手渡した。
「?」
「介錯を頼む。そして俺の首は決して敵に渡すな。出来れば……尾張の那古野の地にでも埋めてくれ」
「っ……かしこまり、ました」
刀を受け取り、ゆっくりと立ち上がる。信長様は上着を脱ぐ。
俺に、信長様の首を落とせというのか。誰よりも信長様に忠義を誓い、どんな時も守ると誓った俺に。
……何が守るだ。情けない。結局、俺は何も変えられなかった。あの時光秀を殺しておけば、そんな後悔が次から次へと脳内を駆け巡る。
涙が落ちた。涙の雫が落ちる音で信長が俺の方を向いた。
「申し訳、ありませんでした。俺が、不甲斐ないばっかりに、信長様を守れなかった……」
俺の嗚咽交じりの言葉に信長が一瞬驚いたような顔をした後、重い動きで手を動かし俺の手を握る。
「何度も言わせるな。大助は本当によくやってくれた。大助が居なければ俺は何度死んでいたかわからん。だから、大助が自分を責める必要はない」
「でもッ……俺は、必ず信長様を守ると……」
「もう十分だ。十分守ってもらった。利家と同じだ、大助も今後は好きに生きろ。いいな?」
そう言って信長は強く手を握り、最後に力なく一度俺の手の甲を叩いた。
刀の柄を握り直す。大きく深呼吸し、天井を見上げる。ゆっくりと刀を振り上げた。
視線を下ろせば信長のうなじが見える。首の横から短刀を腹に当てるところが見える。
あぁ、やめてくれ。どんなやり方でも俺はついて行く。やり方が駄目だったのなら今からでも違うやり方を試せばいい。今からでもまだ間に合う。切腹なんてやめて生きてくれ。
そう言いたかった。言えなかった。
この世界に来てからもう数十年。最初は理解できなかった武士の考え方が俺に染みついている。この切腹を邪魔することなどしてはならない。ただ歯を食いしばり、あふれ出る涙をこらえ続ける。
「大助」
「はい」
「楽しかったぞ」
「っ……!」
次の瞬間、信長がわずかに呻き声を上げる。腹から血が噴き出る。
「っ」
そして刀を振り下ろした。首が膝の上に落ちた。
しばらくその場から動けなかった。炎で本殿の一部が崩れた轟音でようやく刀を鞘にしまい、続いて自らが斬りおとした友の首を丁寧に包む。
残った体に手を合わせ、首を抱えて部屋を出た。
明智兵の数はずいぶん減っていた。少し離れたところで喚声が上がっている。おそらく信忠様のところだろう。本来なら助けに走るところだがもうそんな気力は無かった。
明智兵を撃って斬って、また撃って何とか脱出する。本能寺の門を抜けた時、目に飛び込んできたのは地獄だった。
俺が作った地獄だった。
ガトリングで、ショットガンで、刀で、様々な方法で殺された明智兵の躯が地面に散らばったまま。道は血で真っ赤に染まっていた。
直前の信長の言葉を思い出しだ。
「人を殺して平和な世を作る。そんなやり方しか出来ない俺に――」
俺も同じだ。人を殺すことでしか目的を達せない。そんなやり方ではいずれこうなるのだ。
俺と信長様の天下覇道を目に焼き付けろと言われた気分だった。
織田信長の天下覇道は山のような死体が連なる真っ赤な道、そしてその道は灰になった本能寺を終着点として潰えた。
俺が作り、信長が歩んだ血の天下覇道はここで潰えた。




