第252話 織田信長という男
馬の全速力で駆ける信長を俺と利家は必死で追いかけた。軍からどんどん離れ道なき道を走る信長に利家が大声で制止を試みる。
「信長様! お待ちください! ここはまだ武田領です! どこにどんな危険があるか……」
「案ずるな! もう間もなくつく!」
利家にそう怒鳴り返した信長は速度を落とすことなく林の中を進んでいく。俺は2人の背中を必死に追いながら、昔のことを思い出していた。尾張で信長と利家に出会った頃は毎日のようにこうして走り回り、いろんなところで様々な遊びをした。あの頃の無鉄砲な信長についていくのは大変だったが、その大変さが吹っ飛ぶほど楽しかった。
だんだんと林が野原に変わっていく。おそらく農民が木を伐採して薪にしたんだろう。ところどころに切り株が見える。そんな丘を信長は駆けあがり、頂上に着くと馬をおりて馬をただ一本残った木に結び付けた。俺と利家も同じように馬を木に固定すると信長の後を追いかける。
「大助」
「はい」
信長は息を切らしている俺の方へ向き直り、名を呼ぶ。こんなところまで連れてきて何の話かと俺は息を整え、身構える。
「相撲をするぞ」
「は?」
信長の言葉が想像の斜め上、というか想像のはるか遠くすぎて思考が停止する俺。聞き間違いか? 相撲? いきなり何を言ってるんだ? 疲れておかしくなったのか?
そう思った俺をよそに信長はさっさと上着を脱ぎ棄てる。これで俺の聞き間違いという線はなくなった。早く、と促す信長に流され俺も上着を脱ぎ、構える。
同じく何が起こっているかわかっていない利家に信長は合図するように命じ、利家の合図で何故か相撲が始まった。
俺も信長も負けず嫌いだ。なんでこうなったかはさっぱりわからないがやるからには本気でやる。忖度? 知るか。信長もそういうのは嫌いだ。それこそ少年期ぶりの相撲だが俺は合図と同時に全力で信長にぶつかった。しばらく互角の押し合いが続く。戦続きの俺と最近は戦に出ていない信長では筋肉量が違うと思ったのに意外にも勝負は拮抗していた。いや、むしろ。
信長が足をかけに来る。体勢を崩されると思った俺は足に力を入れる。それを待っていたかと言わんばかりに信長は俺の腰のあたりを掴み、投げの体勢に入る。
「しまっ……」
見事に放り投げられた俺は尻から地面に落ちる。ジーンとした痛みをこらえ立ち上がると信長が俺をにやにやと勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「参ったか、大助」
「参りました、参りましたよ!」
「よし、次は利家だ!」
信長はこの相撲の理由を語らずに次の対戦相手として利家を指名する。
俺より筋肉量が多い利家は流石にそう簡単に投げられることなく、最後には逆に信長を投げ飛ばす。悔しそうな信長がすぐに再戦を申し込んだ。2戦目は信長が勝利し、3本目も信長が勝利し、勝利数が自分の方が多くなった信長が満足するとやっと信長は相撲の理由は語らずに大事な話とやらを話し始めた。
「武田が滅びた。北条は織田に臣従し奥州の国衆どもからも次々と臣従するという旨の文が届いている。よって上杉を除いてこの国の東半分は織田の支配域になったことになる」
信長に言われ改めてどれだけ俺たちが大きい存在になったのかを実感する。北条・伊達・佐竹など東日本の有力大名は次々と信長に服従し、贈り物をするようになった。後継ぎ争いで弱体化した上杉ももはや敵ではない。
「天下がいよいよもう手の届くところにある」
そういった信長の表情は感傷に浸ったという表現が相応しい。丘の上から見える小さな村や川、山々を眺め空に手を伸ばす信長の肩越しに俺と利家も同じ景色を見る。
「話した事があったか? 俺が天下を取りたい理由を」
「戦のない世を作りたい、でしょう?」
利家に先に言われてしまったが当然俺も知っていた。そのことを知らないでついて来ていた訳がないだろう。
「じゃあ何故俺が戦のない世を作りたいか、わかるか?」
確かにそこまでは聞いたことが無かったか。勝手に戦で人が死ぬのが嫌だからかと思っていたが。利家も同じことを思っていたようだ。
「戦で人が死ぬのが嫌だから、ですか?」
そう答えた利家に信長は「それもない訳ではないが」と前置きをして話し始める。
「俺はそこまで博愛的な人間ではない。俺が平和な、穏やかな世を望むのはもっと小さい、個人的な理由だ」
どんな理由だろう。信長の言う小さな、個人的な理由が俺と利家その他家臣団を動かし、あと一歩で天下統一というところまで来たのだ。気になる。信長にそれほどの行動力をもたらしたその小さな理由を。
「俺はな、ずっと遊んでいたかった。尾張で大助や利家と国中を駆け回り好きなことをして生きていきたかった。町の者にうつけと笑われている頃が一番楽しかった」
確かにあの頃は楽しかった。川で釣りをしたり山で動物を狩ったり、何をしていても楽しかった。
「だが戦に出るようになり、そして父が死んで俺はそうしてはいれなくなった。周りの者が口を開けば戦の話ばかりだ」
俺が伊賀の修業から帰ってきた頃にはすっかり織田の当主として活動しており、俺や利家と以前と動揺に好き勝手するわけにはいかなくなっていた。坂井大膳、織田信行、織田信賢と次々と現れる敵との戦いに奔走していた。思えば俺を城に呼びだして碁や将棋に興じるのは信長にとってはかけがえのない娯楽の時間だったのだ。
「だから俺は思ったのだ。戦を全て無くせばあの頃のように何にも煩わさず、お前たちと自由に生きていけると。天下のことは信忠と光秀、長秀に任せればいい。俺たちは馬で野を駆け回り、大助の失敗作の発明品で大笑いし、川に飛び込んで利家に窘められる。相撲、囲碁、釣り、疲れ果てるまで遊びつくし、寝て起きたらまた新しいことをしよう」
俺も利家も言葉が出なかった。俺たちにとってあの頃のことはかけがえのない思い出だ。だが信長はあの頃のことを思い出ではなく――
「うつけと呼ばれても構わん。俺はこの煩いの多い時代を終わらせ、俺達が自由に生きられる国を作るのだ」
――理想の世界として夢見ていたのだ。




