第7話_マスターの仕事
朝になって、シアが目を覚ますなり言った。
「ケンジ、昨日の続き聞かせて」
起き抜けの声だった。眠気が抜けきっていない、少しかすれた声だ。
『わかった』
約束していた。詳しくは明日話す、と。今日がその明日だ。
シアは顔を洗い、水を飲み、外に採集に出た。この順番は毎朝変わらない。三十分ほどして戻ってきて、木の実を食べながら岩壁の前に座った。
両手を膝の上に置いて、俺の方を向いた。
「準備できた」
『では始める』
────────────────────────────────────
『試してみる方が早い。感知からやってみろ』
シアが姿勢を正した。「うん」と言った。
まずDPの概念だけ先に説明した。このダンジョンを動かすエネルギーの単位だということ、侵入者を撃退すると獲得できること、モンスターや罠の生成に消費すること。今の残高は11,440P、最終的な目標には100万P必要だということ。
シアが目を丸くした。
「100万……」
『気が遠くなっている場合ではない。続けるぞ』
シアが姿勢を正した。「うん」と言った。
『お前はダンジョンマスターになった。俺の権能の一部が使える。感知、設備の操作、生成の補助——まず感知から試してみろ。目を閉じて、洞穴全体に意識を広げてみろ』
シアが目を閉じた。しばらく何も起きなかった。
「……何も感じない」
『焦るな。俺が最初にこの洞穴を感知したときも時間がかかった』
シアが黙った。また沈黙が続いた。
二分ほどして、シアが口を開いた。
「……なんか、ぼんやりしたものが」
『どんな感じだ』
「広い感じ。暗くて、でも形がある感じ。入口の方に、穴みたいなのがあって」
『落とし穴だ。感知できている』
「ほんとに?」シアが目を開けた。「すごい。なんかふわっとしてて、はっきりはしないけど」
『最初はそれで十分だ。練習を積めば精度が上がる』
────────────────────────────────────
『次は設備の操作だ。一番の落とし穴を開けてみろ』
「開ける? どうやって」
『感知したとき、落とし穴の「形」がわかったか? その形に意識を当てて、開く、と思え』
シアが目を閉じた。眉根が少し寄った。集中しているときの顔だ、と俺は思った。今日初めて見た表情だ。
一分ほど経って、シアが顎を引いた。
「……開いた、気がする」
俺は一番の落とし穴を確認した。
蓋が、わずかに動いていた。完全には開いていない。半分ほど開いた状態で止まっている。
『半分だ』
「半分か」シアが悔しそうな顔をした。「もう一回」
『やってみろ』
シアが再び目を閉じた。今度は眉の寄り方が強い。手が膝の上で少し握られている。
どぼり、と低い音がした。
落とし穴が完全に開いた。
『開いた』
「開いた!」シアが目を開けた。「やった、開いた」
『閉めろ』
「えっ、閉めるの?」
『開けたなら閉められる。操作は両方できないと意味がない』
シアが少しむくれてから、また集中した。今度は三十秒ほどで落とし穴が閉じた。
『よくやった』
短い言葉だった。シアが俺の方を向いてにっと笑った。
それから少し照れたように視線を逸らした。
────────────────────────────────────
昼過ぎまで訓練が続いた。
感知の精度を上げる練習を繰り返した。シアは最終的に、洞穴の入口から奥の空間まで、大雑把な空間の形と、そこに何があるかをぼんやり把握できるようになった。ゴブリンの位置は「なんかいる」程度には感知できた。落とし穴の開閉は三番まで一通りできるようになった。
訓練の合間に、シアがふと言った。
「ゴブリンたちって、わたしのことどう思ってるのかな」
予想外の方向からの問いだった。
『命令に従う。感情はあまりない』
「でも最初の日、わたしに唸ったじゃない。怖かった」
『それは俺の指示が行き届いていなかったせいだ。今は俺もお前も同じ側にいる、という認識になっている』
「同じ側かあ」シアが少し考えた。「ゴブリンからしたら、いきなりわたしが仲間になった感じかな」
『さあ。そこまで考えているかどうかは俺にもわからない』
「ケンジって、自分が知らないことはちゃんと知らないって言うんだね」
『当たり前だろう』
「当たり前じゃない人の方が多い」
それは同意できた。仕事でも、知らないことを知ったふりで乗り切ろうとする人間は多かった。俺はそれが嫌いだった。
『まあ、そうかもしれんな』
────────────────────────────────────
夕方になって、シアが外に採集に出た。戻ってきて、夕食を食べていると、ふと口の中で何か呟いた。声ではなかった。
念話だった。
か細い、不安定な信号だった。言葉になりきれていない、感情に近いものが流れてきた。「試してみようと思った」という意図だけはわかった。
『聞こえた』
シアが目を丸くした。「えっ、届いた?」と声に出した。
『届いた。言葉になりきっていなかったが』
「どうすればちゃんと届く?」
『言葉として形を作ってから送れ。思ったことをそのまま流すんじゃなく、一度文にしてから、という感覚だ』
シアがしばらく黙った。意識を集中している様子だった。
それから、はっきりした信号が届いた。
『聞こえる?』
シアの声だった。声ではなく、念話だった。
『聞こえる』
シアが声を出して笑った。「すごい。声じゃないのに届く」
『慣れれば声を出さなくても会話できる。俺にとっては最初からそれしかないが』
「そっか。ケンジはずっとそうやって話してたんだね」シアが少し考えてから言った。「声がないって、どんな感じ?」
少し考えた。
『静かだ。慣れた』
「寂しくない?」
『昨日までは少し、そうだったかもしれない』
シアが黙った。少し間があって、また念話で言った。
『さっきよりうまく届いた?』
『届いた。精度が上がっている』
シアが嬉しそうに笑った。
────────────────────────────────────
夜になって、訓練を終えた。
「今日やったこと、全部覚えておく」とシアが言った。
『使えるようになっておけ。いざという時に必要だ』
「いざという時って、また外套の男たちが来たとき?」
『それだけじゃない。これから先、俺が想定していない脅威が来る可能性はある。そのとき、お前が自分で動けるかどうかが重要になる』
シアが黙った。
「ケンジがいれば大丈夫なんじゃないの」
『俺がいる。だがお前が俺を頼るだけでいい状態にはしたくない』
シアがゆっくりと頷いた。子どもっぽく拗ねると思っていたが、そうではなかった。真剣に受け取っている顔だった。
「わかった。ちゃんと練習する」
それからシアが少し笑った。
「でも今日は疲れた」
『そうだろうな。初日にしては十分やった』
「褒めてくれた」
『事実を言っただけだ』
「それが褒めてくれた、ってことだよ」
俺は何も返さなかった。反論できなくもなかったが、する必要もなかった。
シアが欠伸をした。壁に寄りかかって目を閉じた。
「おやすみ、ケンジ」
『おやすみ、シア』
洞穴が静かになった。
俺はゆっくりと光を絞った。
シアの鼓動が、眠りに向かって遅くなっていく。接続を通じて、それが直接わかる。今日一日、文句を言いながらも全部やり遂げた子だ。明日はもう少し精度が上がっているだろう。
眠りにつくシアの鼓動が落ち着いていく。コアの深部で、もう一つの鼓動が重なって刻んでいる。
念話は開通した。権能の訓練も始まった。次はもっと大事なことを、シアは学ばなければならない。
俺の存在を。この世界の、ダンジョンの常識を。そして——外がどれほど危険かを。
────────────────────────────────────
*
DP残高:11,440P(変動なし)
配備戦力:ゴブリン×9体(全員回復済み) 落とし穴×4か所 宝箱×1
本日の収支:±0P(侵入者なし)
現在のダンジョン規模:1層 推定ランク:E以下
新規:シアのダンジョン権能訓練開始 念話の双方向使用を確認
────────────────────────────────────
続きを楽しんでいただけたら、ブックマーク・評価いただけると励みになります。
次話は明日の17:00に投稿します。
1日1話投稿の予定になります。
よろしくお願いいたします。




