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第6話_念話の始まり

 朝になっても、接続はそこにあった。


 昨日から続いている、もう一つの鼓動。コアの振動に寄り添うように刻まれている、俺のものではないリズム。それが一晩経っても消えていなかった。消えないどころか、むしろ昨日より少しだけ落ち着いている。


 初日の「繋がったばかりの不安定な回線」から、「常時接続の状態」に移行しつつある感覚だ。


 エルフの子が目を覚ました。


 今朝は岩壁から離れた場所で眠っていた。昨日の疲れが相当深かったのだろう、起き上がるとしばらくぼんやりと宙を見ていた。それから岩壁の方を見た。


 立ち上がって、岩壁の前に来た。


 そして、水場ではなく岩壁に向かって言った。


「おはよう」


 昨日まではいつも水に話しかけていた。今日は岩壁だ。意識が変わったのだろうと俺は思った。昨日、両手でこの壁に触れて、宣言して、何かが起きた。その「何か」の手応えが残っていて、今日から話しかける先が変わった。


 水を揺らした。おはよう、の意味で。


 エルフの子は少し笑った。それから、いつもの朝の採集に出て行った。


────────────────────────────────────


 問題は、昼になってから起きた。


 戻ってきたエルフの子が食事を終えて、岩壁の前に腰を下ろした。昨日からそこが彼女の定位置になりつつある。壁に背を預けるのではなく、壁に向き合って座る形だ。


 ひとしきり考える様子でいてから、岩壁に向かって言った。


「昨日のこと、聞いてもいい?」


 水を揺らした。どうぞ、の意味で。


「わたしが『マスターだ』って言ったら、あの人たちが引き上げた。それって、何が起きたの? 本当に意味があったの? それとも、たまたま?」


 複数の質問が混ざっている。水の揺れでは答えられない。一度揺らせば「そうだ」か「違う」しか伝わらない。「意味はあったが、詳細はこうだ」を水で説明する方法が俺にはない。


 一度揺らした。「意味はあった」だけを答えた。


「でも、どういう意味があったのかはわからない?」


 また一度揺らした。「わかる」のか「わからない」のかという質問には答えた。だが「どういう意味か」は答えられていない。


 エルフの子は少し間を置いた。


「……ねえ。あなたって、もっとちゃんとしたやり取りができないの? 水を揺らすだけじゃなくて」


 核心をついた問いだった。


 俺は少しの間、その問いを保留した。


 できるかどうかわからない。昨日からずっと、この接続を通じて何かを「伝える」ことができないかと探っていた。水を揺らす以上の何かを。

ただの位置情報ではなく言葉を、意味を。探っていたが、方法がわからなかった。


 でも今この瞬間、強く「伝えたい」という感覚があった。


 昨日何が起きたか、説明したかった。マスターの登録が何を意味するか、伝えたかった。お前が選んだことの意味を、ちゃんと伝えたかった。水の揺れ一つで済ませることへの、積み重なってきた不満があった。


 だから試みた。


 権能を使うのとは違う。意志を、接続を通じて、言葉の形に絞り込もうとした。ITの仕事でいえば、データをパケットに変換して送信する作業に近い。思考を信号として、回線に乗せる。


 できるかどうかわからないまま、やった。


────────────────────────────────────


 エルフの子が固まった。


 食べかけの木の実を持ったまま、動きが止まった。長い耳がぴんと立った。目が少しずつ見開かれていく。


 俺は自分が何かを届けたことを理解した。


 声、ではない。音ではない。でも言葉だ。意味を持った信号が、接続を通じてエルフの子に届いた。


 エルフの子が素早く立ち上がり、背後を確認した。通路の方を確認した。洞穴の中を見回した。誰もいない。ゴブリンたちは奥の壁際で丸まっている。


「……今の、なに」


 声が低かった。怖い、というより、信じられない、という色合いだ。


「頭の中に、声が」


 俺は再び、言葉を送った。今度はより意識的に、丁寧に形を整えて。


『驚かせた。すまない』


 エルフの子の体が、びくりと揺れた。それからゆっくりと振り返って、岩壁を見た。


「……あなた、なの?」


『そうだ』


「洞穴の主、なの? 今まで水を揺らしてた」


『そうだ』


 エルフの子は岩壁をじっと見た。しばらく何かを確認するように黙っていた。それから、慎重に言った。


「……いつから、こんなふうに話せたの」


『今からだ。昨日まではできなかった』


「昨日、何かが変わった?」


『お前が変えた』


────────────────────────────────────


 しばらく沈黙があった。


 エルフの子は岩壁の前に座り直した。さっきの「向き合って座る」形だ。木の実を置いた。両手を膝の上に置いた。話す準備をしている、という様子だった。


「聞いてもいい?」


『どうぞ』


「あなたは、何?」


 予測していた問いだった。何と答えるべきか、この接続が確立してから何度か考えていた。


『俺はこの洞穴だ』


 嘘ではない。最も正確な答えだ。今の俺は確かにこの洞穴そのものであり、コアであり、ここに宿った意志だ。説明すべきことは他にもあるが、今すべきかどうかは別の問題だ。


 エルフの子は少し考えてから言った。


「……それだけ?」


『今はそれだけでいい』


「なんで」


『一度に全部話すより、少しずつの方がいい。お前がついてこれなくなる』


 短い間があって、エルフの子が言った。


「……そういう判断するんだ」


『悪いか』


「悪くはない、けど」エルフの子は少し口をとがらせた。「なんかちょっと、腹立つ」


 俺はその反応を意外に思った。怖がるか、混乱するか、どちらかだと思っていた。腹を立てるとは想定していなかった。


 どう返せばいいか一瞬迷って、そのまま何も言わなかった。


────────────────────────────────────


 エルフの子が続けた。


「ずっと聞いてたんでしょ。わたしの独り言、全部」


『聞いていた』


「お礼とか、愚痴とか、独り言とか」


『全部』


「……恥ずかしい」


 また間があった。


『怒るか?』と俺が聞いた。


「怒らない」エルフの子はため息をついた。「だって、話し相手だと思って話してたんだから。実際に話し相手だったってことでしょ。合ってたじゃない」


 合理的な結論だった。


『そうだな』


「一つだけ聞いていい?」


『どうぞ』


「名前、ある?」


 あった。前の世界から持ち越した、今も俺の中にある名前が。


『賢司だ。ケンジと読む』


 エルフの子はその名前を口の中で繰り返した。「ケンジ」と、小さく声に出した。それからもう一度、少し大きく。「ケンジ」。


「わたしはシア。シア=フォレスタ」


 俺は初めて、エルフの子の名前を知った。


 十日以上、「エルフの子」と呼んでいた。名前を聞く手段がなかった。


 今日初めて、名前がわかった。


『シアか』


「うん」


 それだけだった。でも何かが、それで変わった気がした。


────────────────────────────────────


 その後、話は続いた。


 シアは昨日起きたことについて、いくつかの確認をした。「マスターの登録というのは何か」「権能というのが自分にも使えるのか」「外套の男たちはもう来ないのか」。


 俺は一つずつ答えた。


 マスター登録については、『お前はこのダンジョンと繋がった。俺の権能の一部をお前も使えるようになる。詳しくは明日話す』と簡単に済ませた。権能の詳細を今日一日で全部伝えようとしても無理があるし、シアが消化できる量にも限界がある。


 外套の男については、『また来る可能性はある。ただし昨日より難しくなった』と答えた。干渉師が「今の準備では対応できない」と言っていた。すぐには来ないだろう。ただし来ないとも言い切れない。


「また来たら、どうするの?」


『防衛する。お前は何もしなくていい』


「わたしも力になれるって言ったじゃない、昨日」


『昨日のそれは緊急時の話だ。普段はお前がリスクを負う必要はない』


 シアが少し黙った。


「……ケンジって、なんか、お父さんみたい」


 俺は少し考えた。父親というのは正確ではないと思った。兄か、あるいは後見人が近い。ただどちらにしても、子どもに口答えされる側の立場らしいことは合っている。


『そこまで年寄りではない、一応』


「じゃあお兄さんみたい」


『まあ、それくらいなら』


 シアが小さく笑った。声を出した笑いだった。


────────────────────────────────────


 夕方になって、シアは今日二度目の採集に出た。


 洞穴の外に出る前に、入口で一度立ち止まった。


「行ってくる」


 俺はシアが感知の外に出るまで、何も言わなかった。戻ってくることがわかっていても、感知の外に出る瞬間はまだ少し落ち着かない。それは今日も変わらなかった。


 三十分ほどして、シアが戻ってきた。


「ただいま」


『遅かった』


「いつもより多めに採ってたから」シアは何かを手に持っていた。木の実と茸に混じって、白っぽい花が一輪ある。「ケンジに見せようと思って」


 俺に。見せようと。


 俺に視覚はない。花を見ることはできない。シアもそれを今日まで知らなかったはずだ。


『俺には目がない。見えない』


「えっ」シアが止まった。「そうなんだ。……知らなかった。ごめん」


『謝ることではない』


「でも」


『洞穴全体を感知する方法はある。形はわかる。色はわからない』


「……じゃあ、白い花だよ。小さくて、五枚の花びらで、茎にちょっと毛が生えてる」


 説明してくれた。俺が見えないとわかった上で、それでも説明してくれた。


『わかった』


「綺麗だと思う?」


 色も、見た目の細かなところも、俺にはわからない。だが、形として花であることはわかる。小さな植物が洞穴の奥に持ち込まれて、薄い光の中に置かれている。


『そうだな』


 シアが少し笑った。信じてない、という顔だった。表情まではわからないが、気配でわかった。


「正直に言っていい」


『わからない、が正直なところだ』


「それでいいよ」シアは花を水場の横に置いた。「明日も咲いてるといいね」


────────────────────────────────────


 夜になった。


 シアが眠りにつく前に、岩壁に向かって言った。


「ケンジ、おやすみ」


 俺は一瞬、その言葉を受け取った。


 一週間、この子は水場に向かって独り言を言っていた。「おはよう」も「おやすみ」も、誰かに届くかどうかわからないまま言っていた。


 今日から、届く。


『おやすみ、シア』


 シアが少し間を置いた。


「……名前で呼んでくれた」


『呼んだ』


「嬉しい」


 それから静かになった。シアの鼓動が少しずつ遅くなっていく。眠りに入っていく。


 俺は光をゆっくりと絞った。いつもの習慣だ。


 今日から一つ変わったことがある。


 暗くなった洞穴の中で、水場の横に白い花が一輪置かれていた。形はわかる。どんな白かはわからない。でも、そこにあることはわかる。


 シアが持って帰ってきた花だ。


 明日は——権能の話をしなければならない。シアがこのダンジョンのマスターである以上、使い方を知っておく必要がある。


 ただ俺には一つ、確かめたいことがあった。「守る」以外の目的で、この権能をシアに使わせてもいいのか。


 答えは出ていた。


 出ていたが——なぜかもう一度、考えてしまった。


────────────────────────────────────


             *


DP残高:11,440P(変動なし)

配備戦力:ゴブリン×9体(負傷回復完了) 落とし穴×4か所 宝箱×1

本日の収支:±0P(侵入者なし)

現在のダンジョン規模:1層 推定ランク:E以下

確定事項:念話開通(賢司↔シア)/シア=フォレスタの名前を確認


────────────────────────────────────


続きを楽しんでいただけたら、ブックマーク・評価いただけると励みになります。


次話は明日の17:00に投稿します。

1日1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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