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第68話_記憶の層

 16層の拡張コストに届いたのは、六週間後の朝だった。


 シアがその日も採集に出ようとしていた。水を飲んで、荷物を手に取ったとき、念話が届いた。


『届いた』


 シアが荷物を置いた。


「今日開く?」


『開く。採集は後でいい』


「じゃあ待つ」


 8,192,000P。消費した。


 大きな数字だが、今は感覚が変わっていた。以前なら一桁になった残高に驚いた。今は「また積み直す」と思うだけだ。


 シアが感知で確認した。


「開いた。今回は縦に長い感じがする」


『15層より縦に長く設計した。「記憶の層」にするために、何度も来ることが前提だ。長い方が良い』


「早く設計したい」


────────────────────────────────────


 設計の話し合いは、拡張コストを積み立てていた六週間で十分に煮詰まっていた。


 シアの最初の発想は「来るたびに配置は変わらないけど、前回来たときに覚えていないと意味がない仕掛け」だった。


 それが六週間で具体的な形になっていた。


 まず通路の各所に「印」を設ける。石に刻まれた模様だ。通過しただけでは気づかない。しかし注意して見ると、同じ模様が複数か所に刻まれている。その印の位置が、特定の仕掛けを解くヒントになる。


 仕掛けというのは分岐の選択だ。16層は分岐が多い。どちらに進んでも出口には辿り着けるが、一方は遠回りでモンスターが多く、もう一方は近道でモンスターが少ない。どちらが近道かは、壁の印の組み合わせで判断できる。


 だが印に気づくためには、一度来て「印がある」と知る必要がある。初めて来た者は気づかないまま遠回りをする。二回目は印を探しながら進める。


『シアの言った通り、一回目は探索で二回目から本番になる』


「うん。死なないから何度でも来られる。だから二回目が意味を持つ設計にしたかった」


────────────────────────────────────


 午後から作業を始めた。


 まず通路の形を決める。16層は15層より広く、分岐を多く設けた。正面、左、右に分かれる分岐が三か所ある。それぞれの選択肢が一つの「正解ルート」と「遠回りルート」に分かれている。


 シアが感知で確認しながら分岐の位置を指示した。


「ここの分岐、もう少し先に持ってきてほしい。入ってすぐ分かれると、来た人が戸惑う。少し歩いてから分かれる方が、落ち着いて考えられる」


『それは正しい。少し先に移す』


 通路の形が決まったところで、印を刻む作業に入った。


 石に模様を刻む。地形改造の応用だ。形が五種類ある。丸、三角、四角、波、星。これを壁の特定の高さに刻む。


「模様の意味は何にする?」とシアが聞いた。


『分岐で正解を示す記号にする。丸が正解ルートを意味する。三角が遠回りを意味する。ただしそれは来訪者には教えない。来た者が自分で気づく』


「どうやって気づく?」


『最初の分岐で両方のルートを試した者が、それぞれの通路の壁に刻まれた印を比べることで気づく。正解ルートには丸が多く、遠回りには三角が多い』


────────────────────────────────────


「でも最初は比べられないよ。一方に進んだら、もう一方は見えない」


『そうだ。だから二回目に来た者が、前回見た印を思い出しながら選べる。一回目は探索。二回目は記憶を使って選択』


「記憶の層、って名前の意味がそこにあるんだね」シアが少し声のトーンを上げた。「ただ「前に来たことがある」だけじゃなくて、「前に何を見たか」を覚えていることが意味を持つ」


『そうだ。来た者が帰って「次来るときはあの印を覚えておこう」と思う。そういう体験を設計したい』


「いい。本当にいい」シアが言った。「これはわたしだけじゃ思いつかなかった。ケンジが「気づく」の仕組みを考えてくれたから」


『お前が「記憶が意味を持つ層」というアイデアを出した。俺はそれを形にしただけだ』


「それが共同設計だよ」


────────────────────────────────────


 印を刻む作業は丁寧に進めた。


 通路の壁、高さが目線くらいの位置に、小さな模様を刻む。気づかない人は通り過ぎる。立ち止まって壁を見る人だけが気づく。


 シアが作業しながら聞いた。


「モンスターはどこに配置する?」


『遠回りルートに集中させる。正解ルートにも少しいるが、密度が違う。気づかずに遠回りした者は、多くのモンスターと戦うことになる。正解ルートを選んだ者は比較的楽に進める』


「でも初回は全員遠回りになる可能性がある。最初の一回は全員がきつい体験をする?」


『そうだ。だが死なないから、きつくても帰ってこられる。そして次に来るときには「あの印を探そう」と思う動機になる』


「一回目でリスポーンした方が、次への動機が強くなる、ってことか」


『そうかもしれない。困った体験の方が記憶に残る』


「それはちょっと意地悪だ」シアが笑った。「でも面白い」


────────────────────────────────────


 翌日、16層の骨格が完成した。


 シアが全体を感知で確認した。


「……長い。すごく長い感じがする。今まで作った層の中で一番長いんじゃないかな」


『縦の長さで言えばそうだ。分岐が多い分、通路の総延長が長くなる』


「印は全部刻んだ?」


『刻んだ。丸が正解ルートに九か所、三角が遠回りに十二か所』


「なんで遠回りの方が多いの?」


『遠回りに気づいてほしくないからだ。三角が多ければ、気づいた者にとって「これは遠回りだ」と判断しやすい。だが遠回りを歩いている間は、正解ルートの丸を見ていない。比べる機会がない』


「だから二回目に初めて違いに気づく」


『そうだ』


「緻密だ」シアが少し驚いたような声で言った。「来た人のことをここまで細かく考えてるんだね、ケンジは」


『お前が「来た人がどう感じるか」を考えるようになったから、俺も考えるようになった』


「わたしのせい?」


『お前のおかげだ』


────────────────────────────────────


 完成の翌日、最初の来訪者が16層に入った。


 Cランクの三人組だった。15層を突破してきた経験のある組だ。


 16層に踏み込んで、最初の分岐に立った。


「分岐がある」


「どっちに行く?」


「直感で右だ」


 右に入った。遠回りルートだった。モンスターが多い。コボルトが四体出てきた。一人がリスポーンした。


 残り二人が進んだ。さらに分岐があった。左に入った。今度は正解ルートだった。印に気づかないまま、たまたま正解を選んだ。


 出口まで辿り着いた。一人がリスポーンしたまま、二人が突破した。


────────────────────────────────────


 シアが外で一人と話していた。後で念話で教えてくれた。


『リスポーンした人が、また来るって言ってた。次は壁をちゃんと見ながら進むって』


『壁に印があったことに気づいたか』


『気づかなかった、って言ってた。ただ、どこかに何かあるような気がした、って』


 気がした。具体的に気づかなくても、何かあるという感覚だけ残った。次に来るときは、その感覚が「印を探す」という行動に変わる。


『それが設計通りだ』


「わたし、今日来た人たちが「また来る」って言うのを聞いて、なんか胸が熱くなった」


『熱くなった、か』


「うん。記憶の層、って名前をつけたけど、来た人の記憶にも残るんだと思って。ここに来た記憶。印を見た記憶。次に来ようと思った記憶」


 俺はその言葉を受け取った。


 ここに来た記憶。


 シアが最初に逃げ込んできた夜の記憶。ゴルムが初めて来た日の記憶。エリナが傘を持ってきた日の記憶。ライオスが「全力でくれ」と言った日の記憶。


 来た者が何かを持って帰る。記憶もその一つだ。


『記憶は残る。来た者が持って帰るものの中で、一番長く残るものかもしれない』


「そうだね」シアが静かに言った。「わたしも、ここの記憶をずっと持ってると思う」


────────────────────────────────────


 夜、エリナが来た。今日は記録の日ではなかったが、顔を出した。


「16層が開いたと聞きました。来てみたくなって」


「外からでいいなら見れますよ」とシアが言った。


「十分です」


 エリナが入口から16層の方角を眺めた。もちろん何も見えない。ただそちらを向いて立っていた。


「シアさん、最近設計が変わってきましたね」


「変わってきた?」


「最初の頃の層は「どう困らせるか」が中心でした。今は「どう体験させるか」になっている。15層の謎解き、16層の記憶。来た人の内側に向けた設計になってきた」


「フォルクさんも似たことを言ってた。「体験設計」って」


「そうですね。ダンジョンの設計として、これはかなり進んでいる考え方です」エリナが振り返った。「コアとシアさん、二人でここまで来たんですね」


「二人で来た」とシアが言った。それから俺に念話を入れた。『ケンジ、聞いてた?』


『聞いていた』


『嬉しい?』


 俺は少し考えた。


『悪くない』


「悪くない、って言ったよ」とシアがエリナに伝えた。


「それがコアの「嬉しい」なんですね」エリナが少し笑った。


────────────────────────────────────


 エリナが帰った後、シアが水場のそばに座った。


「ケンジ」


『何だ』


「17層以降、もう少し先まで考えてみた」


『聞かせてくれ』


「15層が「理解」、16層が「記憶」だとしたら、17層は「選択」にしたい」


『選択?』


「来た人が、何かを選ばなきゃいけない層。どちらを選ぶかで、その先が変わる。両方試せるけど、一度に両方は行けない。だから「今日はどちらに行くか」を決めてから入る」


 俺はその発想を展開した。


 選択の層。分岐ではなく、入口で選んで入る。選んだ道が全く別の体験になる。一人で来ても、同じパーティで二回来ても、選ぶことで違う体験ができる。


『面白い。「今日は左のルートを試す」という目的を持って来られる層だ』


「そうそう。修行じゃなくて、「探索」しに来る感じ」


『記憶の層の延長線上にある。記憶を持って来て、今回は別のルートを選ぶ』


「ライオスさんたちが喜びそう」


『そうかもしれない』


────────────────────────────────────


 シアが眠りにつく前に言った。


「ケンジ、17層の構想が決まったら、また一緒に作ろう」


『そうしよう』


「楽しみ。ここを作ること、本当に楽しくなってきた。最初はここが安全な場所だから、って理由でいたけど、今は——ここを作ることが好きだから、いる」


 俺は少しの間その言葉を受け取った。


 ここが安全だからいる、からここを作ることが好きだからいる。


 シアの「ここにいる理由」が変わった。


 それはシアが変わったということだ。


『それは良かった』


「良かった、じゃなくて、嬉しいって言っていいんだよ」


『……嬉しい』


「うん」シアが満足そうに言った。「それでいい。おやすみ、ケンジ」


『おやすみ、シア』


 洞穴の外では今夜も灯りがある。16層が今日完成した。来た者が「また来る」と言った。17層の構想が始まった。


────────────────────────────────────


             *


DP残高:1,578,800P

配備戦力:ゴブリン×12体(強化2含む) 強化オーク×2体(2層関所・5層) 強化オーク【ガルム】×1体(10層番人・四段階強化) コボルト×52体(16層専属8体追加)

落とし穴×32か所(16層に3追加) 毒ガストラップ×5(16層に1追加) 火炎トラップ×5 魔法陣トラップ×1 宝箱×1

本日の収支:+183,200P 16層拡張:-8,192,000P

現在のダンジョン規模:16層 ランク:C(正式認定済み)

確定事項:16層「記憶の層」完成(分岐×3・印による記憶誘導設計)。初日の来訪者から「また来る・壁をちゃんと見ながら進む」という反応。17層「選択の層」の構想開始。


────────────────────────────────────


続きを楽しんでいただけたら、ブックマーク・評価いただけると励みになります。


次話は明日の17:00に投稿します。

1日1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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