第49話_賢司の怒り
昨夜から、俺はずっと考えていた。
怒り、という感情について。
前の世界にいた頃、怒るという経験はあった。職場での理不尽、締め切りへのプレッシャー、自分の不甲斐なさへの苛立ち。それらは全部、今思えば小さな怒りだった。
今感じているものは違う。
コアを壊そうとした。
その事実が、俺の中で何かを変えた。変えた、というより、それまで積み重なっていた何かが、初めて形を持った感じだ。
コアが壊されれば、俺は消える。
俺が消えれば、シアはまた一人になる。
最初の夜に逃げ込んできた子が、壁際で膝を抱えて震えていた。あの状態に、また戻る。
それが許せなかった。
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朝になってシアが目を覚ました。
「ケンジ、昨夜は眠れた?」
『俺には睡眠がない』
「そうだった。じゃあ、ずっと考えてたの?」
『そうだ』
「何を」
俺は少し考えてから答えた。
『怒りについて』
シアが少し間を置いた。
「まだ怒ってる?」
『いや。考えていた、という方が正確だ。怒りが何から来るのかを』
「どこから来るの」
『シアが孤独になることが怖い。それが怒りの根だ』
シアがまた黙った。今度は少し長く。
「……わたしも、ケンジがいなくなることが怖い」
『それは俺も知っている』
「だから守るんだよね、ケンジは」
『そうだ』
「じゃあわたしも守る」とシアが言った。「ケンジのことを」
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午前中、戦力の再建を進めた。
強化オーク再生成:200P。ゴブリン五体補充:50P。魔法陣トラップ一基補充:500P。合計750P消費。
DP残高:265,050P。
補充しながら、俺は昨日の戦闘を振り返っていた。
七人が来た。ギルドの証章を持っていた。一人が術式の書かれた紙を持っていた。俺は強化オークを後衛に向かわせることで術式の設置を防いだ。
次はどうするか。
術式が紙だということは、もっと薄いもの、あるいは体に直接書かれたものなら持ち込める可能性がある。持ち物確認では防げない方法が来るかもしれない。
それを考えると、怒りとは別の感情が来た。
焦りだ。
相手は準備する時間がある。こちらも準備する時間があるが、相手は何をしてくるかわからない。こちらは守る側だ。どんな攻め方をされても対応しなければならない。
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昼前、エリナが来た。
今日は来訪日ではなかったが、情報を持ってきた。
「調査の途中ですが、一つわかったことがあります」
エリナが開口一番に言った。普段の落ち着いた話し方ではなく、少し早口だった。
「証章の同日発行、同窓口というのを辿ったら、発行を依頼した人間が特定できました。街の仲介業者です。複数の依頼主から、複数の雑用を引き受けている。今回の件もその一つでした」
「仲介業者から依頼主は辿れますか」とシアが聞いた。
「辿っています。ただし仲介業者は依頼主の名前を言わない。圧力をかければ言うかもしれませんが、ギルドにその権限はない」エリナが続けた。「ただし——仲介業者の記録から、依頼の内容が少し見えました。『Dランクのダンジョンのコアを取得すること』という依頼でした」
「取得」とシアが繰り返した。
「破壊ではなく、取得。コアを無傷で持ち出す、ということです」
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俺はその情報を頭に入れた。
破壊ではなく、取得。
コアを無傷で持ち出す。それは、俺の意識ごと持ち出すということだ。コアが機能している状態で手に入れれば、ダンジョンの権能ごと手に入る。死なないダンジョンを、そのまま自分のものにできる。
それが目的か。
シアに念話を入れた。
『エリナに伝えてくれ。コアの取得が目的なら、次は破壊ではなく「搬出」を試みる可能性がある。搬出を防ぐには、コアと岩盤の接続を絶たれないようにする必要がある』
シアが伝えた。
エリナが書き留めた。
「コアを切り離すには、相当な術式が必要になります。今の三人や七人のレベルでは難しい。ということは——」エリナが顔を上げた。「次は、もっと専門的な術師が来る可能性があります」
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その夜、ゴルムが来た。
情報収集から戻ってきたゴルムの顔が、いつもと違った。硬い。
「わかったことがある。ただし、確認が取れていない情報だ」
「聞きます」とシアが言った。
「依頼主の候補が一人、浮かんだ」ゴルムが声を落とした。「ラングフォルト辺境伯家の関係者だ」
沈黙があった。
「管轄下に入れという打診を断った相手」とシアが言った。
「そうだ。断った後、そういう動きをする連中がいる。合法的に手に入らないなら、非合法で手に入れる」ゴルムが続けた。「まだ確証はない。だが可能性として知っておいてくれ」
シアが俺に念話を入れた。
『ケンジ、聞いてた?』
『聞いていた』
『怒ってる?』
俺は少し考えた。
怒っているか。
昨日とは少し違う種類の怒りが来ていた。昨日は「コアを壊そうとした」という行為への怒りだった。今日は「断った後で非合法に来た」という事実への怒りだ。
交渉して断られたなら、それで終わりのはずだ。それが社会のルールだ。
前の世界でも、そういう人間はいた。断られた後で別の手を使ってくる。合法と非合法の境界線を、自分の都合で動かす。
『怒っている。ただし——』
『ただし?』
『判断は変わらない。俺がすることは一つだ。来たら守る。それだけだ』
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シアがゴルムに俺の言葉を伝えた。
ゴルムがしばらく黙った。それから言った。
「コアらしい答えだな」
「ゴルムさんはどう思いますか」とシアが聞いた。
「俺も同じだ。相手が誰であっても、ここを守る。ただし——」ゴルムが少し表情を変えた。「依頼主が辺境伯家なら、個人で対抗するのは難しい。ギルドを動かす必要がある。エリナを通じて、ギルドの上層部に話を通す」
「ギルドが動いてくれますか」
「認定ダンジョンへの違法な干渉だ。ギルドとして放置できない。動く」ゴルムが立った。「今夜のうちにエリナに連絡する。明日の朝までに動きを作る」
ゴルムが去った。
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シアが洞穴に戻ってきた。
奥の空間に来て、岩壁の前に座った。
「ケンジ」
『何だ』
「怖い?」
俺は少し考えた。
怖い、という感覚があるかどうか。
あった。
コアを取得しようとする動きがある。専門的な術師が来るかもしれない。依頼主が貴族なら、規模が大きくなる可能性がある。今の俺の防衛力で、それを全て防ぎ切れるか。
確信が持てなかった。
『怖い、と言えるかもしれない』
「わたしも怖い」シアが岩壁に手を当てた。「でも、ここを守りたい」
『わかっている』
「ケンジがいる限り、ここは安全だって信じてる」
俺はその言葉を受け取った。
信じてもらっている。それが重かった。責任ではなく、重さとして。重いから、動ける。重いから、怯まない。
『信じてくれているなら、俺はそれに応える』
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翌朝、エリナから連絡が来た。
ゴルムが昨夜のうちに動き、エリナがギルドの担当支部に報告した。支部から本部に話が上がった。認定ダンジョンへの違法干渉の調査が正式に開始された。
「ギルドが動いてくれています」とエリナがシアに言った。「コアの取得を目的とした不正行為は、ギルドとして厳しく対処します。依頼主が誰であれ」
「ありがとうございます」
「シアさん、一つお願いがあります」エリナが続けた。「調査が進むまでの間、何か不審な来訪者がいたらすぐに私に連絡してください。今日から私が毎日来ます」
「週四回じゃなくて、毎日?」
「当面は毎日来ます」エリナが頷いた。「これは担当者としての判断です。シアさんを一人にしておきたくない」
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エリナが今日から毎日来ることになった。
昼過ぎに通常の来訪者が数組来た。全員、修行目的の正規の来訪者だった。ゴルムが入口に立って確認した。問題のある者はいなかった。
普通の一日だった。
だが俺はその「普通」を、昨日とは違う意識で見ていた。
来訪者が来て、修行して、リスポーンして、また来る。エリナが記録をとる。ゴルムが見守る。シアが迎える。
この日常を守るために、俺は戦った。昨日も、今日も。
日常が脅かされた。だが今日の日常は普通に続いた。
それを守り切った、ということだ。
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夜、DP収支を確認した。
今日の収入:通常来訪者から11,200P。戦力再建の消費を差し引いて、実質的な純増は10,450P。
DP残高:276,250P。
シアが眠りにつく前に言った。
「ケンジ、今日一日、ずっと考えてた感じがした。感知でわかる? 考えてるかどうか」
『わからない。ただ、考えていた』
「何を考えてた?」
『守る、ということについて』
「守るって、どういうこと?」
俺は少し考えた。
『守るというのは、阻止することだと思っていた。来た者を撃退する。脅威を排除する。それが守ることだと』
「今は違うの?」
『少し違う気がしている。今日の日常が続いたのを見て——普通に来て、修行して、帰った人たちを見て——それを守った、という感覚があった』
「日常を守ったんだね」
『そういうことかもしれない』
シアが少し間を置いた。
「それって、すごく大事なことだと思う」
『そうかもしれない』
「すごく大事なことだよ」シアが繰り返した。「ちゃんと言っていい」
俺は少しの間、黙った。
『すごく大事なことだ』
シアが笑った。声に出した笑いだった。
「そう。それでいい」
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シアが眠りについた。
俺は今夜の洞穴を、もう一度全層確認した。
再建した強化オークが2層の関所に立っている。ゴブリンが各層に配置されている。落とし穴が全て機能している。シアが育てた植物が3層に根を張っている。6層に水が満ちている。8層のループ迷路が静かに待っている。10層の奥にガルムが立っている。
ここを守る。
シアが孤独にならないように。ここに来る者たちの日常が続くように。そして——
俺が積み上げてきたものが、誰かの手によって終わらせられないように。
来るなら来い。
それが今夜の俺の答えだった。
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DP残高:276,250P
配備戦力:ゴブリン×12体(強化2含む・補充完了) 強化オーク×2体(2層関所・5層・再生成完了) 強化オーク【ガルム】×1体(10層番人) コボルト×14体
落とし穴×17か所 毒ガストラップ×3 火炎トラップ×3 魔法陣トラップ×1(補充完了) 宝箱×1
本日の収支:+11,200P(通常来訪者) 戦力再建:-750P 純増:+10,450P
現在のダンジョン規模:10層 ランク:D(正式認定済み)
確定事項:依頼内容が「コアの取得(無傷での搬出)」と判明。依頼主候補にラングフォルト辺境伯家の関係者が浮上(未確証)。ギルドが正式調査を開始。エリナが当面の間、毎日来訪。ゴルムが入口警備を継続。
課題:専門術師の来訪に備えた防衛強化。依頼主の特定(ギルド調査継続)。シアの安全確保の最優先継続。
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1日1話投稿の予定になります。
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