表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
49/83

第49話_賢司の怒り

 昨夜から、俺はずっと考えていた。


 怒り、という感情について。


 前の世界にいた頃、怒るという経験はあった。職場での理不尽、締め切りへのプレッシャー、自分の不甲斐なさへの苛立ち。それらは全部、今思えば小さな怒りだった。


 今感じているものは違う。


 コアを壊そうとした。


 その事実が、俺の中で何かを変えた。変えた、というより、それまで積み重なっていた何かが、初めて形を持った感じだ。


 コアが壊されれば、俺は消える。


 俺が消えれば、シアはまた一人になる。


 最初の夜に逃げ込んできた子が、壁際で膝を抱えて震えていた。あの状態に、また戻る。


 それが許せなかった。


────────────────────────────────────


 朝になってシアが目を覚ました。


「ケンジ、昨夜は眠れた?」


『俺には睡眠がない』


「そうだった。じゃあ、ずっと考えてたの?」


『そうだ』


「何を」


 俺は少し考えてから答えた。


『怒りについて』


 シアが少し間を置いた。


「まだ怒ってる?」


『いや。考えていた、という方が正確だ。怒りが何から来るのかを』


「どこから来るの」


『シアが孤独になることが怖い。それが怒りの根だ』


 シアがまた黙った。今度は少し長く。


「……わたしも、ケンジがいなくなることが怖い」


『それは俺も知っている』


「だから守るんだよね、ケンジは」


『そうだ』


「じゃあわたしも守る」とシアが言った。「ケンジのことを」


────────────────────────────────────


 午前中、戦力の再建を進めた。


 強化オーク再生成:200P。ゴブリン五体補充:50P。魔法陣トラップ一基補充:500P。合計750P消費。


 DP残高:265,050P。


 補充しながら、俺は昨日の戦闘を振り返っていた。


 七人が来た。ギルドの証章を持っていた。一人が術式の書かれた紙を持っていた。俺は強化オークを後衛に向かわせることで術式の設置を防いだ。


 次はどうするか。


 術式が紙だということは、もっと薄いもの、あるいは体に直接書かれたものなら持ち込める可能性がある。持ち物確認では防げない方法が来るかもしれない。


 それを考えると、怒りとは別の感情が来た。


 焦りだ。


 相手は準備する時間がある。こちらも準備する時間があるが、相手は何をしてくるかわからない。こちらは守る側だ。どんな攻め方をされても対応しなければならない。


────────────────────────────────────


 昼前、エリナが来た。


 今日は来訪日ではなかったが、情報を持ってきた。


「調査の途中ですが、一つわかったことがあります」


 エリナが開口一番に言った。普段の落ち着いた話し方ではなく、少し早口だった。


「証章の同日発行、同窓口というのを辿ったら、発行を依頼した人間が特定できました。街の仲介業者です。複数の依頼主から、複数の雑用を引き受けている。今回の件もその一つでした」


「仲介業者から依頼主は辿れますか」とシアが聞いた。


「辿っています。ただし仲介業者は依頼主の名前を言わない。圧力をかければ言うかもしれませんが、ギルドにその権限はない」エリナが続けた。「ただし——仲介業者の記録から、依頼の内容が少し見えました。『Dランクのダンジョンのコアを取得すること』という依頼でした」


「取得」とシアが繰り返した。


「破壊ではなく、取得。コアを無傷で持ち出す、ということです」


────────────────────────────────────


 俺はその情報を頭に入れた。


 破壊ではなく、取得。


 コアを無傷で持ち出す。それは、俺の意識ごと持ち出すということだ。コアが機能している状態で手に入れれば、ダンジョンの権能ごと手に入る。死なないダンジョンを、そのまま自分のものにできる。


 それが目的か。


 シアに念話を入れた。


『エリナに伝えてくれ。コアの取得が目的なら、次は破壊ではなく「搬出」を試みる可能性がある。搬出を防ぐには、コアと岩盤の接続を絶たれないようにする必要がある』


 シアが伝えた。


 エリナが書き留めた。


「コアを切り離すには、相当な術式が必要になります。今の三人や七人のレベルでは難しい。ということは——」エリナが顔を上げた。「次は、もっと専門的な術師が来る可能性があります」


────────────────────────────────────


 その夜、ゴルムが来た。


 情報収集から戻ってきたゴルムの顔が、いつもと違った。硬い。


「わかったことがある。ただし、確認が取れていない情報だ」


「聞きます」とシアが言った。


「依頼主の候補が一人、浮かんだ」ゴルムが声を落とした。「ラングフォルト辺境伯家の関係者だ」


 沈黙があった。


「管轄下に入れという打診を断った相手」とシアが言った。


「そうだ。断った後、そういう動きをする連中がいる。合法的に手に入らないなら、非合法で手に入れる」ゴルムが続けた。「まだ確証はない。だが可能性として知っておいてくれ」


 シアが俺に念話を入れた。


『ケンジ、聞いてた?』


『聞いていた』


『怒ってる?』


 俺は少し考えた。


 怒っているか。


 昨日とは少し違う種類の怒りが来ていた。昨日は「コアを壊そうとした」という行為への怒りだった。今日は「断った後で非合法に来た」という事実への怒りだ。


 交渉して断られたなら、それで終わりのはずだ。それが社会のルールだ。


 前の世界でも、そういう人間はいた。断られた後で別の手を使ってくる。合法と非合法の境界線を、自分の都合で動かす。


『怒っている。ただし——』


『ただし?』


『判断は変わらない。俺がすることは一つだ。来たら守る。それだけだ』


────────────────────────────────────


 シアがゴルムに俺の言葉を伝えた。


 ゴルムがしばらく黙った。それから言った。


「コアらしい答えだな」


「ゴルムさんはどう思いますか」とシアが聞いた。


「俺も同じだ。相手が誰であっても、ここを守る。ただし——」ゴルムが少し表情を変えた。「依頼主が辺境伯家なら、個人で対抗するのは難しい。ギルドを動かす必要がある。エリナを通じて、ギルドの上層部に話を通す」


「ギルドが動いてくれますか」


「認定ダンジョンへの違法な干渉だ。ギルドとして放置できない。動く」ゴルムが立った。「今夜のうちにエリナに連絡する。明日の朝までに動きを作る」


 ゴルムが去った。


────────────────────────────────────


 シアが洞穴に戻ってきた。


 奥の空間に来て、岩壁の前に座った。


「ケンジ」


『何だ』


「怖い?」


 俺は少し考えた。


 怖い、という感覚があるかどうか。


 あった。


 コアを取得しようとする動きがある。専門的な術師が来るかもしれない。依頼主が貴族なら、規模が大きくなる可能性がある。今の俺の防衛力で、それを全て防ぎ切れるか。


 確信が持てなかった。


『怖い、と言えるかもしれない』


「わたしも怖い」シアが岩壁に手を当てた。「でも、ここを守りたい」


『わかっている』


「ケンジがいる限り、ここは安全だって信じてる」


 俺はその言葉を受け取った。


 信じてもらっている。それが重かった。責任ではなく、重さとして。重いから、動ける。重いから、怯まない。


『信じてくれているなら、俺はそれに応える』


────────────────────────────────────


 翌朝、エリナから連絡が来た。


 ゴルムが昨夜のうちに動き、エリナがギルドの担当支部に報告した。支部から本部に話が上がった。認定ダンジョンへの違法干渉の調査が正式に開始された。


「ギルドが動いてくれています」とエリナがシアに言った。「コアの取得を目的とした不正行為は、ギルドとして厳しく対処します。依頼主が誰であれ」


「ありがとうございます」


「シアさん、一つお願いがあります」エリナが続けた。「調査が進むまでの間、何か不審な来訪者がいたらすぐに私に連絡してください。今日から私が毎日来ます」


「週四回じゃなくて、毎日?」


「当面は毎日来ます」エリナが頷いた。「これは担当者としての判断です。シアさんを一人にしておきたくない」


────────────────────────────────────


 エリナが今日から毎日来ることになった。


 昼過ぎに通常の来訪者が数組来た。全員、修行目的の正規の来訪者だった。ゴルムが入口に立って確認した。問題のある者はいなかった。


 普通の一日だった。


 だが俺はその「普通」を、昨日とは違う意識で見ていた。


 来訪者が来て、修行して、リスポーンして、また来る。エリナが記録をとる。ゴルムが見守る。シアが迎える。


 この日常を守るために、俺は戦った。昨日も、今日も。


 日常が脅かされた。だが今日の日常は普通に続いた。


 それを守り切った、ということだ。


────────────────────────────────────


 夜、DP収支を確認した。


 今日の収入:通常来訪者から11,200P。戦力再建の消費を差し引いて、実質的な純増は10,450P。


 DP残高:276,250P。


 シアが眠りにつく前に言った。


「ケンジ、今日一日、ずっと考えてた感じがした。感知でわかる? 考えてるかどうか」


『わからない。ただ、考えていた』


「何を考えてた?」


『守る、ということについて』


「守るって、どういうこと?」


 俺は少し考えた。


『守るというのは、阻止することだと思っていた。来た者を撃退する。脅威を排除する。それが守ることだと』


「今は違うの?」


『少し違う気がしている。今日の日常が続いたのを見て——普通に来て、修行して、帰った人たちを見て——それを守った、という感覚があった』


「日常を守ったんだね」


『そういうことかもしれない』


 シアが少し間を置いた。


「それって、すごく大事なことだと思う」


『そうかもしれない』


「すごく大事なことだよ」シアが繰り返した。「ちゃんと言っていい」


 俺は少しの間、黙った。


『すごく大事なことだ』


 シアが笑った。声に出した笑いだった。


「そう。それでいい」


────────────────────────────────────


 シアが眠りについた。


 俺は今夜の洞穴を、もう一度全層確認した。


 再建した強化オークが2層の関所に立っている。ゴブリンが各層に配置されている。落とし穴が全て機能している。シアが育てた植物が3層に根を張っている。6層に水が満ちている。8層のループ迷路が静かに待っている。10層の奥にガルムが立っている。


 ここを守る。


 シアが孤独にならないように。ここに来る者たちの日常が続くように。そして——


 俺が積み上げてきたものが、誰かの手によって終わらせられないように。


 来るなら来い。


 それが今夜の俺の答えだった。


────────────────────────────────────


             *


DP残高:276,250P

配備戦力:ゴブリン×12体(強化2含む・補充完了) 強化オーク×2体(2層関所・5層・再生成完了) 強化オーク【ガルム】×1体(10層番人) コボルト×14体

落とし穴×17か所 毒ガストラップ×3 火炎トラップ×3 魔法陣トラップ×1(補充完了) 宝箱×1

本日の収支:+11,200P(通常来訪者) 戦力再建:-750P 純増:+10,450P

現在のダンジョン規模:10層 ランク:D(正式認定済み)

確定事項:依頼内容が「コアの取得(無傷での搬出)」と判明。依頼主候補にラングフォルト辺境伯家の関係者が浮上(未確証)。ギルドが正式調査を開始。エリナが当面の間、毎日来訪。ゴルムが入口警備を継続。

課題:専門術師の来訪に備えた防衛強化。依頼主の特定(ギルド調査継続)。シアの安全確保の最優先継続。


────────────────────────────────────


続きを楽しんでいただけたら、ブックマーク・評価いただけると励みになります。


次話は明日の17:00に投稿します。

1日1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ