第39話_エリナ登場
その日の朝、入口の外に見慣れない顔があった。
女だ。二十代後半と思われる。茶色の髪を後ろでまとめて、ギルドの制服を着ている。制服は上等な作りではないが、きちんと手入れされている。腰に短剣を一本差しているが、戦う気配はない。手元に書類の束を抱えている。
俺はシアに念話を入れた。
『外に女が来ている。ギルドの制服だ』
シアが採集の準備の手を止めた。
『ハロルドさんの知り合いかな』
『わからない。出てみるか』
『出てみる』
シアが入口から姿を見せた。
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女がシアを見て、少し目を細めた。
驚いた顔ではない。何かを確認しているような目だ。
「あなたがシアさんですか」
「そうです」とシアが答えた。「あなたは?」
「エリナといいます」女が書類の束を少し持ち直した。「冒険者ギルドから、この——鍛錬の迷宮の担当として赴任してきました。よろしくお願いします」
赴任。
その言葉が引っかかった。一度来て帰るのではなく、継続的にここに関わる人間が来た。
『ケンジ、聞いてた?』
『聞いていた』
『どう思う?』
『まず話を聞く』
シアがエリナに向き直った。「担当、というのはどういうことですか」
「Dランク認定されたダンジョンには、ギルドが管理担当者を置くんです。来訪者の記録管理、トラブル対応、ギルドとの連絡窓口。ゴルムさんが個人でやってくださっていた部分を、正式な体制にする感じです」
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シアがエリナを入口前の岩場——来訪者と話すときに使うようになった場所——に案内した。
エリナが腰を下ろして、書類を広げた。
「いくつか確認させてください。まず、このダンジョンの来訪者数について——」
エリナが数字を読み上げ始めた。先週の来訪者数、リスポーン発生件数、平均滞在時間。俺が感知で把握していたデータと大体一致している。ギルドが外からしっかり集計していたようだ。
「数字は合ってます」とシアが言った。
「そうですか。——次に、今後の運営方針なんですが」エリナが一枚の紙を取り出した。「ダンジョン側としては、来訪者に対して何か制限を設けたい、ということはありますか」
シアが俺に念話を送った。
『制限、何かある?』
俺は少し考えた。
『一つある。コアへの意図的な干渉、つまりコアを破壊しようとする行為は排除する。それ以外は基本的に来訪者の自由でいい』
シアがエリナに伝えた。
「コアを破壊しようとする行為は排除します。それ以外は特に制限はないです」
エリナが書き留めた。「コアへの干渉禁止、了解です。それはギルドとしても同じ立場です。破壊行為は認定ダンジョンへの違反行為ですから」
それを聞いて、俺は少し安堵した。公的な後ろ盾が明文化された形だ。
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事務的な確認が一通り終わった後、エリナがペンを置いた。
少し表情が変わった。仕事の顔から、個人の顔へ。
「あの、一つ聞いていいですか。業務とは関係ない話なんですが」
「どうぞ」とシアが言った。
「あなた、ここに住んでるんですよね」
「はい」
「ダンジョンの中で」
「3層に生活空間があります」
エリナがしばらく黙った。何かを整理しているような顔だ。
「……ダンジョンマスターって、コアと念話でやり取りできるんですよね。ゴルムさんの報告書に書いてありました」
「できます。今もしてます」
エリナの目が少し変わった。
「今も、ですか」
「はい。ケンジが——コアが聞いています」
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エリナが入口の方をちらりと見た。それから視線を戻してシアを見た。
「……変なダンジョンですね」
「よく言われます」とシアが答えた。
「いえ、悪い意味じゃなくて」エリナが少し笑った。「私、この仕事を五年やってますけど、ダンジョンマスターと直接話したのは初めてです」
「そうなんですか」
「通常、ダンジョンマスターは——精霊の一種とされていて、直接の意思疎通ができないことが多いんです。存在はしているかもしれないけれど、外から観測できない。でもここは違う」
エリナが書類を整えながら続けた。
「死なない。来訪者に毛布を渡す。コアが話せる。マスターがダンジョン内に住んでいる。ゴルムさんの報告書を読んだとき、正直信じられなかったんです」
「でも来てみた」
「来てみました」エリナが頷いた。「担当に立候補したくらいです」
シアが少し笑った。「物好きですね」
「よく言われます」
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その日の午後、エリナは入口付近をくまなく観察した。
露店の数を数えた。来訪者の動線を確認した。リスポーンで戻ってきた冒険者に話しかけた。ノートにびっしりと書き込んでいた。
俺はその動きを感知しながら、エリナという人物を観察した。
仕事が速い。情報の取り方が的確だ。感情で動かずに、まず事実を集める。
信用できるかどうかはまだわからない。だが、仕事ができる人間だということはわかった。
夕方、エリナがシアのところに戻ってきた。
「一つお願いがあるんですが」
「何ですか」
「来週から、定期的にここに来てもいいですか。週に二回くらい。来訪者の記録をとったり、何か困ったことがあれば対応したりしたいんですが」
シアが俺に念話を入れた。
『ケンジ、どう思う?』
俺は少し考えた。
定期的に来る人間がいる。それは監視にもなり得る。だが同時に、外との繋ぎ役になり得る。今日一日見た限り、エリナは敵意のある人間ではない。
『受け入れる。ただし、中に入りたい場合は事前にシアを通せ、という条件をつけてくれ』
シアがエリナに伝えた。
「中に入る場合は事前に一声かけてください、という条件があります。それ以外は問題ないです」
「もちろんです」エリナが頷いた。「ありがとうございます」
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エリナが帰り際に、もう一度シアに話しかけた。
「あの、プライベートな話で申し訳ないんですが——あなた、エルフですよね」
「はい」
「一人でここにいるんですか。家族とか、仲間とかは」
シアが少し間を置いた。
「ケンジがいます」
「コアが、ですか」
「はい。家族みたいなものです」
エリナがその答えを聞いて、何か考えるような顔をした。
「……そうですか」
それ以上は聞かなかった。
いい聞き方だ、と俺は思った。踏み込まない判断ができる人間だ。
「また来ます」とエリナが言った。「何かあれば、ギルドに伝えてください。私が窓口になります」
「よろしくお願いします」
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エリナが帰った後、シアが洞穴に戻ってきた。
奥の空間まで来て、岩壁の前に座った。
「ケンジ、どう思った?」
『仕事ができる。信用してもいいと思う。ただしまだ様子を見る』
「わたしは、なんか好きだった」
『好きだった、か』
「話し方が、変に気を遣いすぎない感じで。でも失礼じゃない。ちょうどいい」
それはシアらしい評価だ、と俺は思った。シアは人の「ちょうどよさ」を感じ取るのが早い。
「また来るって言ってたから、次もちゃんと話せるといいな」
『その前に確認しておきたいことがある』
「何?」
『エリナに何を話して何を話さないか、改めて整理しよう。今日は初対面だったから向こうも深くは聞かなかったが、次はもっと踏み込んでくる可能性がある』
「そうだね」シアが頷いた。「ケンジのこと、どこまで話す?」
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俺とシアは少し話し合った。
エリナに話せること:コアに意志があること、シアとの念話でやり取りしていること、来訪者を死なせないという方針、今後もギルドと協力したいという姿勢。
エリナにまだ話さないこと:コアの素性(前世の記憶を持つ人間だということ)、将来の目標(人型形成の権能)、DP残高の詳細、シアがここに逃げ込んできた経緯の詳細。
『情報は少しずつ出す。一度に全部話す必要はない』
「わかった。でも嘘はつかない」
『そうだ。聞かれたことには正直に答える。聞かれていないことは話さなくていい』
シアが頷いた。「それがいい」
それから少し間があって、シアが言った。
「ねえ、ケンジ。エリナさん、友達になれそうな気がする」
俺は少し考えた。
『友達、か』
「ダメ?」
『ダメではない。ただ慎重に』
「慎重にしながら、友達になる」シアが少し笑った。「できるよ、それくらい」
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夜になった。
DP収支を確認した。今日は通常の来訪者が複数来て、小さな戦闘が続いた。合計収入は4,800P。
DP残高:150,800P。
150,000Pを超えた。
特別な意味がある数字ではない。ただ、切りのいい数字が積み重なると、確かにここまで来たという実感がある。
シアが眠りにつく前に言った。
「今日、新しい人が来た」
『エリナだ』
「うん。ゴルムさんとも違う種類の人だった。なんか、こっちをちゃんと見てくれてる感じがした」
『そうだったか』
「ケンジは? エリナさんのこと、どう思った」
俺は少し考えた。
『使える人間だ。それと——シアと気が合いそうだと思った』
シアが少し間を置いてから笑った。
「それ、褒めてくれてる?」
『事実を言っている』
「でも褒めてくれてる」
それから静かになった。シアの鼓動がゆっくりと落ち着いていく。
洞穴の外では、露店が一つ、また灯りを消した。来訪者が減って、夜が深まっている。
明日、エリナはまた来るだろう。シアと話すだろう。少しずつ、距離が縮まっていくだろう。
そしていつか——エリナはこのダンジョンの本当の姿に、もう少し近づくことになる。
それがいつになるかは、まだわからない。
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DP残高:150,800P
配備戦力:ゴブリン×12体(強化2含む) 強化オーク×2体(2層関所・5層) 強化オーク【ガルム】×1体(10層番人) コボルト×14体
落とし穴×15か所 毒ガストラップ×3 火炎トラップ×3 魔法陣トラップ×1 宝箱×1
本日の収支:+4,800P(通常来訪者複数)
現在のダンジョン規模:10層 ランク:D(正式認定済み)
新規:エリナ(冒険者ギルド職員)が鍛錬の迷宮の担当として赴任。シアと初対面。週2回の定期来訪を取り決め。「話し方がちょうどいい」とシアが評価。
課題:エリナとの情報開示範囲の整理(完了)。組織的戦闘集団の素性調査継続。
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次話は明日の17:00に投稿します。
1日1話投稿の予定になります。
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