第25話_不死の権能
あれから三週間が経った。
ギルドの調査員はまだ来ていない。「来週」という行商人の話は外れた。理由はわからない。ただ来ないなら来ないで、俺にとっては準備を整える時間が増えるだけだ。シアとの打ち合わせは十分にできた。
その三週間で、DP残高が大きく動いた。
修行目的の冒険者が増えた。死なないダンジョンの噂が街道沿いに広まった結果だ。Dランク相当のパーティが週に二、三組来るようになった。全員、二層か三層で撃退する。リスポーンで入口に戻ってくる者もいない——まだ不死の権能を取得していないから、死亡者は本当に死んでいる。それでも来るのは、死なないダンジョンという噂を自分で確かめたい者と、それだけ強いダンジョンで腕を磨きたい者が混在しているからだろう。
収入は安定した。
そしてDP残高は、今朝の時点で52,400Pに達していた。
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きっかけは、些細なことだった。
昨日の昼過ぎ、シアが三層の草の手入れをしていた。踏み荒らされるたびに植え直す、もう何度目かの作業だ。しゃがんで土をほぐしながら、シアが独り言のように言った。
「ねえ、ケンジ。冒険者って、ここで死んでも構わないと思って来てるのかな」
『そういう仕事だろう』
「うん、そうなんだけど」シアが手を止めた。「でも実際に見てると、なんか……慣れない」
俺は少し考えた。
今まで死んだ冒険者を見てきた。リスポーン機能のない今のダンジョンで、入口に戻ってくる者はいない。倒れた先で終わりだ。遺体の回収に仲間が来ることもある。来ない場合もある。シアはそれを三層の生活空間から、気配として感じ続けている。
「わたし、ここで誰かが死ぬのって……やっぱり嫌だな」
静かな言葉だった。
シアらしい、直接的な言い方だった。嫌だ、という感情を、ただそのまま言った。
俺は権能の一覧を確認した。
50,000P。不死の権能。ダンジョン内で死亡した者を入口に送り返す力。
今の残高は52,400P。
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迷う理由は、二つあった。
一つ目。50,000Pを使えば残高は2,400Pになる。防衛への再投資がほぼできなくなる。冒険者が強くなっていく中で、戦力をしばらく増強できない状態になる。
二つ目。不死の権能を持つダンジョンは、世界に存在しないはずだ。それを使えば、このダンジョンが「さらに異常なもの」として注目される。ギルドの調査員が来るタイミングとも重なる。
どちらも合理的な懸念だ。
だが俺はシアの「嫌だな」という言葉を、夜通し反芻していた。
冒険者が来る。戦う。死ぬ。それが今の状態だ。俺のダンジョンで、俺の防衛によって、人が死んでいる。それ自体は世界の常識として存在することだ。ダンジョンとはそういうものだと、シアも言っていた。
それでも、シアが嫌だと言った。
俺も——正直に言えば——嫌だった。
感情として整理するより先に、そう思っていた。合理的な判断の外側に、それがあった。
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翌朝、シアが目を覚ます前に、俺は決めていた。
シアが顔を洗い、水を飲み、外に出ようとしたとき、俺は念話を送った。
『少し待て。話がある』
「採集の前に?」
『DP残高の話だ』
シアが奥の空間に戻ってきて、岩壁の前に座った。
『今の残高は52,400P。不死の権能のコストは50,000Pだ』
シアがぴんと耳を立てた。
「……それって」
『使える。今日使う』
シアが少しの間、黙った。
「……使ったら、残り2,400Pになるんだよね」
『そうだ』
「大丈夫なの?」
『しばらくは新しいモンスターを生成できない。トラップの追加もできない。防衛は今の配置で凌ぐ。収入が続けば三週間で10,000Pは戻る』
「じゃあ……なんで今なの」
俺は少し考えてから答えた。
『昨日お前が言ったことだ』
シアが黙った。
「わたしが嫌だって言ったから?」
『それと、俺も嫌だった。そっちの方が正確かもしれない』
シアがまた黙った。今度は長かった。
「……ケンジ」
『何だ』
「ありがとう」
俺は返事をしなかった。返す言葉が見当たらなかった。
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権能の行使は、意志を決めれば即時だ。
一瞬、迷いが来た。2,400Pという数字が頭をよぎった。
俺は権能を行使した。
50,000P、消費。
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何かが変わった。
変わった、という言葉では足りない。コアの深部に何かが追加されたというより、コア自体の性質が一段階変わった感覚に近い。もともとあった権能の一覧の中に、新しい項目が加わったのではない。存在そのものに、新しい層が刻まれた。
俺は洞穴全体を感知し直した。
五層全てに、薄い膜のようなものが張られている感覚がある。目には見えない。空間感知でわかる類のものでもない。だがそれが「ある」ことは、確かにわかった。魔力の網、とでも言えばいいか。ダンジョンの内部で生命が途絶える瞬間に、その魔力を捕捉して変換し、入口へ送り返す——そういう仕組みが、今この洞穴に備わった。
俺は試しに、その仕組みを意識的に「触れて」みた。
応答があった。存在する。機能する。確かに、そこにある。
DP残高:2,400P。
数字だけ見れば貧乏になった。だが今この瞬間、コアの深部で何かが静かに、確かに光っている感覚があった。
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シアが念話で言った。
『……何か変わった?』
『変わった。感じるか』
『なんか、洞穴全体が少しだけ……温かくなった気がする。気のせいかな』
気のせいではないかもしれない。不死の権能は魔力を扱う仕組みだ。常時微細な魔力が洞穴内に循環している状態になる。それをシアが感じ取った可能性はある。
『気のせいじゃないと思う』
シアがしばらく黙った。
「ねえ、ケンジ」
『何だ』
「これって——ここで死にそうになった人が、入口に戻れるってこと?」
『そうだ。装備と魔力は失うが、命は失わない』
「……すごいね」シアの声が少し変わった。「なんか、ほんとうにすごい」
『コストは50,000Pだった。それだけのものはある』
「そういう話じゃなくて」シアが言った。「ケンジが作ったんだよ、これ。ここで誰も死なない場所を」
俺は少しの間、その言葉を保留した。
作った、という表現が正しいかどうかはわからない。権能を購入したというのが正確だ。だがシアの言いたいことは理解できた。このダンジョンで人が死なない理由は、権能の存在ではなく——それを使おうと決めた意志にある。
そういう意味では、シアの言い方も間違っていない。
『まあ、そうかもしれない』
シアが笑った。声に出した、素直な笑い方だった。
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午後になって、最初の検証が来た。
Dランク相当の三人パーティが二層に踏み込んできた。通い慣れた連中ではない。初めて来た顔ぶれだ。二層の合流地点で強化オークと戦い、前衛の一人が深手を負って倒れた。
俺は感知を絞った。
生命が途絶える寸前——魔力の網が動いた。
音もなく、光もなく。ただ、倒れた冒険者の気配が洞穴の中から消えて、入口付近に現れた。
装備はない。魔力もない。ただ生きている。
残る二人が慌てて引き返す気配がした。入口付近で仲間と合流する音が、遠くで聞こえた。驚いた声が上がった。言葉は聞き取れないが、混乱しているのはわかった。
シアが念話で言ってきた。
『……戻ってきた?』
『戻った。機能している』
少し間があった。
『よかった』
短い一言だった。それだけだった。だがその二文字に、昨日シアが言った「嫌だな」と同じ重さがあった。
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夜、俺はDP収支を確認した。
残高2,400P。今日の三人パーティから得た収入を足して2,850P。
少ない。いつになく少ない。この状態で強い侵入者が来れば、対処できないことが出てくるかもしれない。
だが今夜、一人の冒険者が入口で目を覚まして、生きて帰った。
それに使った50,000Pが惜しいとは、思わなかった。
シアが眠りにつく前に言った。
「ねえ、ケンジ。また来ると思う、さっきの人たち」
『来るだろうな。今日起きたことを仲間に話すはずだ』
「死なないダンジョン、本当だったって」
『そうなる』
「そしたらもっと来るね」シアが少し笑った。「賑やかになるね、ここ」
賑やか。
俺はその言葉を洞穴の空気の中に置いてみた。ゴブリンの唸り声と罠の音と、冒険者の怒鳴り声が飛び交う場所。それを「賑やか」と呼ぶのは、シアらしい言い方だった。
『まあ、そうだな』
「楽しみだね」
俺は返事をしなかった。
楽しみ、という感覚が自分にあるかどうか、正直まだわからなかった。ただ——嫌ではなかった。
それで今夜は十分だった。
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DP残高:2,850P
配備戦力:ゴブリン×9体(強化2含む) 強化オーク×1体(2層関所) 強化オーク【ガルム】×1体(5層番人) コボルト×6体
落とし穴×10か所 毒ガストラップ×2 火炎トラップ×2 宝箱×1
本日の収支:+450P(Dランク相当×3撃退) 不死の権能取得:-50,000P
現在のダンジョン規模:5層 推定ランク:E
取得:不死の権能(ダンジョン内死亡者を入口へ送還・装備と魔力は消失)
課題:DP残高が極端に低下。当面の戦力増強・トラップ追加は不可。収入回復を最優先。ギルド調査員来訪への対応準備は継続。
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