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第19話_エルフの記憶

 再設計から三日が経った。


 新しい来訪者はまだ来ていない。あの四人組が再挑戦するにしても、傷を癒して準備を整えるのに数日はかかるだろう。野盗や野生モンスターの小競り合いはあったが、いずれも一層で撃退できた。DP収支はわずかにプラスだ。


 今日は珍しく静かな一日だった。


 昼を過ぎた頃、シアが三層の水場のそばに座って、何かを手の中で転がしているのが感覚でわかった。ダンジョン内の気配はすべて俺に伝わってくる。シアが何をしているかは、細かくはわからないが、おおよその様子はわかる。


 昨日から、シアの動きが少し静かだった。


 荷物を奥に移した後の三層前半はがらんとしていて、シアはもっぱら水場の周辺だけで過ごしている。荷物を減らしたことで、手元に残ったものが少なくなったのだろう。


 気にはなっていた。


 ただ、俺から話しかける理由もなかった。


 シアのほうから切り出したのは、夕方近くだった。


『ねえ、ケンジ』


『何だ』


『少し、聞いてもらってもいい?』


 いつもより声のトーンが低かった。俺は黙って続きを待った。


『私のこと、あんまり話したことなかったよね』


『ああ』


『話してもいいかな』


『聞く』


 シアが少し間を置いた。


 それから、ゆっくりと話し始めた。


 シアはエルフの集落で生まれた。集落といっても大きなものではなく、森の奥に十数家族が暮らすだけの小さなものだったらしい。エルフは数が少なく、外部とあまり関わらない。シアが物心ついた頃から、集落は静かで、穏やかで、変わらない場所だった。


 両親のことは、よく覚えていると言った。


 母は植物を育てるのが好きで、集落の周りに薬草を丁寧に植えて管理していた。父は弓が得意で、夕方になると森の外れで練習していた。二人とも穏やかで、シアに怒鳴ることはほとんどなかった。


 問題が起きたのは、シアが「まだ小さかった頃」だと言った。エルフの時間感覚は人間と違うので、正確な年数はわからない。ただ、外の世界で何かが変わったらしかった。人間の国のどこかで戦があって、その余波が森の近くまで届いてきた。


 傭兵崩れや盗賊団が森に入り込むようになった。


 集落は隠れた場所にあったが、ある夜、気づかれた。


『父と母は、逃げろって言った』


 シアの声は静かだった。感情を抑えているというより、何度も思い返したことで、今は落ち着いて話せるようになった声だった。


『逃げた。走って、走って、気づいたら一人だった』


 俺は何も言わなかった。


『後で集落に戻ったら、もう誰もいなかった。父も母も、他のみんなも』


 俺は「死んだのか」とは聞かなかった。シアが「いなかった」と言った。それが何を意味するかは、想像できた。


『それから、一人で森の中を歩いた。どこに行けばいいかわからなかった。森を出たら、人間の町があって、エルフを見た人たちが——』


 シアがそこで少し止まった。


『捕まりそうになった。何度か。顔を隠して逃げながら、ずっと移動してた。どのくらいの時間が経ったかも、よくわからない』


 俺は黙っていた。


『最後に追われたのが、ここに来る直前のこと。あの嵐の夜。三人に追いかけられて、ここに飛び込んだ』


 シアの声が、少しだけ明るくなった。


『そこでケンジに会ったんだよね』


 俺は少し考えてから答えた。


『ああ』


 シアが小さく笑った気配があった。


『ケンジって、あのとき私を助けてくれたじゃない。なんで助けてくれたの? ダンジョンに人間を入れるのって、本当はまずかったんじゃないかって、最近思って』


 俺は正直に答えた。


『まずいかどうかより先に、動いていた』


『どういうこと?』


『理屈はあとからついてきた。追われている奴を見て、放っておけなかっただけだ』


 シアが少し黙った。


『……そっか』


 それから、また少し間があった。


『ケンジ、私、ここに来てよかったと思ってる』


『そうか』


『うん。なんか、久しぶりに同じ場所に居続けてる感じがする。どこかに逃げなくていいって思えるのが、すごく久しぶりで』


 俺はシアの言葉を聞きながら、昨日までの三日間のことを思い返した。


 再設計の議論。荷物の移動。通路の改修。シアはずっと淡々と動いていた。不満も言わず、泣きごとも言わず、「わかった」と言って動き続けた。


 それが当たり前だと思っていた。だが当たり前ではなかったのかもしれない。ずっと逃げ続けてきた子どもが、ようやく立ち止まれる場所を見つけて、それでもまだ「役に立とう」として動いていた。


 俺の中で何かが静かに固まった。


 感情に名前をつけるとすれば、怒りだった。


 シアを追い回した連中への怒りではない。それもある。だがそれより先に、「こういうことが起きる世界」への、静かで冷たい怒りだった。


 子どもが一人で森を歩き続けなければならない理由が、どこにあるのか。親を失って、一人で逃げ続けて、何度も捕まりそうになって、それでも生き延びなければならない理由が。


 俺には答えられない。世界のことは俺にはわからない。


 ただ、一つだけわかることがある。


 少なくともここでは、そういうことは起こさない。


『シア』


『何?』


『二度と追われることのないようにする。ここにいる限り、お前に手を出せる奴は誰もいない』


 シアが少し黙った。


 それから、静かに言った。


『……うん』


 短い返事だった。だが今日一日の中で一番、力の抜けた声だった。


 俺は追加で何も言わなかった。


 言葉にするより、実際に守り続けることのほうが意味がある。それは前世でも今も変わらない。


 夕方の気配が洞穴の中に満ちてきた。


 シアがまた水場のそばで何かを転がしている。昨日から手の中にあるそれが何なのか、俺には見えない。


 少し気になったが、聞かなかった。


 聞かなくていいこともある。


 俺はDP収支を確認しながら、明日以降の防衛計画を頭の中で整理し続けた。


 やることは変わらない。


 ここを守る。シアを守る。


 それだけだ。


---


DP残高:7,455P

配備戦力:ゴブリン×9体(強化2含む) 強化オーク×1体 コボルト×6体

落とし穴×8か所 毒ガストラップ×1 火炎トラップ×2 宝箱×1

本日の収支:+300P(野盗・野生モンスター小規模撃退) 消耗なし 純増:+300P

現在のダンジョン規模:5層 推定ランク:E

課題:防衛設計の刷新は完了。戦力・DP両面での継続的な積み上げを続けながら、次の本格来訪に備える。シアの身の安全を最優先とする方針を改めて確認。


次話は明日の17:00に投稿します。


1日1話投稿の予定になります。


よろしくお願いいたします。

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