第10章 Ep7:特効兵器——あるいは、消し忘れたデバッグ武器
## 1. 残された遺産
動いた指で、私はインベントリの底をかき分けた。
最初にこの世界へ放り込まれた頃から持っていた装備たち。100億ダメージのUR剣。山と積み上がった資産。復活アイテム。魔導書。ブースター。——その全部を、この地獄でもう使い切った。`return 0` の雨に、ことごとく呑まれて。
だが、一つだけ、残っていた。
底の底、誰がどう見ても「ゴミ」としか思えない、無骨な金属の塊。低すぎるポリゴンで、輪郭がカクついている。きらびやかなこの世界の美学から、明らかに浮いていた。設計者が、置き場所に困って隅へ放り込んだ、不良在庫のような何か。
その上に、たった一行のテキストだけが浮いていた。
> **`チェーンソー`**
「マリエル、これ……」
手の中で、その無骨なゴミが、ぶうん、と低く震えた。
彼女は、それを見て——崩れた顔を、さらに歪めた。笑みではなかった。落胆。いや、絶望だった。
「……は。そりゃ、ないだろ」ノイズ混じりの声が、掠れる。「九周、戦って。全装備、出し切って。最後の最後に、残ってたのが——そんな、ローポリのゴミ一本かよ」
彼女の髪は、もう完全にポリゴンへ還り、肋骨の構造が透けていた。世界を解析し尽くしてきた走者の目が、生まれて初めて、答えを見失っていた。
「あいつは、どんな攻撃も『return 0』にする。100億ダメージのUR剣でも、効かなかったんだ。なのに、こんなチェーンソー一本で、何ができるって——」
だが。
私は、その刃を見つめたまま、動けなくなっていた。
絶望していたから、ではない。逆だ。記憶の奥で、何かが、激しく疼いていたからだ。
——知っている。
私は、これを、知っている。
「……マリエル。違うわ」
声が、自然と、低くなった。
「これは、ただのチェーンソーじゃない。——『デバッグ武器』よ」
彼女が、透けかけた顔を、こちらへ向けた。
「ボス戦なんて、開発で何百回もテストし直すでしょう。いちいち体力を削るのは面倒だから、開発者は、テスト用の『即死武器』を仕込んでおく。どんな相手でも、一撃で片づく、ずるい一本を」私は、トリガーに指をかけた。「そして、製品版を出荷するとき——それを、消し忘れる。デバッグツールが、製品に残ったまま、流出する。『バグ』として」
「これは、ダメージ計算を、まるごとスキップするの」確信が、言葉に熱を灯した。「物理も、魔法も、概念すらも無視する。『どれだけ効くか』を、計算しない。ただ、『死ね』という命令を——相手の存在に、直接、書き込むだけ。だから」
私は、顔を上げた。
「『return 0』が、通用しない。あの紙が上書きできるのは、『計算の結果』だけよ。計算そのものをしない攻撃を、あいつは、書き換えようがない」
マリエルの、ノイズだらけの顔に。
ゆっくりと——獲物の喉笛を見つけた、あの走者の笑みが、戻ってきた。
「……っ、は。そうか。そうだよ、なんであたしが気づかなかった」彼女は、骨組みの透けた手で、私を指した。「レティシア。君の番だ。——あたしのデータが、完全に消える前に」
## 2. 武器選択
私は、UR剣を投げ捨てた。
100億ダメージを誇った、美しい刃。だがそれは、整ったバランスの中でしか輝かない。`return 0` の前では、ただの飾りだ。完璧であることが、ここでは無力の証明だった。
代わりに、私は掴んだ。
この、ローポリゴンのゴミを。
> **`チェーンソー`**
両手で握り、トリガーを引く。
「——ギュイイイイィィィィン」
耳を抉る駆動音。金属と金属が、怒りながら噛み合う音。この清潔な白い裏側には、あまりにも不釣り合いな、酷く現実的な騒音だった。それは「美しい仕様」への、生々しい異物そのものだった。
その瞬間、神が、初めて私に「反応」した。
> **`> Alert: Unassigned Object [ID: null] detected.`**
> **`> Priority: CRITICAL_MAXIMUM`**
> **`> Initiating: Immediate_Erase_Protocol [Leticia]`**
今までの、私を見下した無視が、嘘のようだった。
赤いカーソルが収束する——どころではない。極太のデリート光線が、空間そのものを白く塗り潰しながら、私めがけて殺到した。
神は、これを「脅威」と判定した。
九周分の全火力には眉ひとつ動かさなかった怪物が、たった一台の、消し忘れのゴミに。
「させるかっ……!」
マリエルが、残った全リソースを、防御へ回した。
彼女の体が、光の壁になる。HP固定のチートコードが、ついに完全に砕ける音がした。守るものを失った彼女の存在値が、秒単位で、目に見えて削れていく。
「行け、レティシア」
その声は、もう、ほとんどノイズだった。
「あたしのデータが消える前に。——絶対に。頼む」
## 3. 最後のバグ
私は、走った。
ブースターを最大出力で焚き、世界そのものである巨大な紙——あの仕様書へ向かって、一直線に飛翔した。背後で、マリエルが削れていく。その十秒を、無駄になんて、できるはずがない。
> **`> Rule: All Physical / Magical / Conceptual interference = NULL_RETURN`**
神が、また書き換えた。
物理的干渉は「無い」。魔法的干渉も「無い」。概念的干渉すら「無い」。あらゆる手出しが、計算の手前で零へ変換される。盤石の、絶対の、防壁。
だが。
「——これは、そんなもんじゃないわよ」
私は、チェーンソーを高く掲げた。
「これはね、『バグ』なの。デバッグツール。物理でも、魔法でも、概念でもない。『存在することそれ自体が、想定外』のもの。あんたのご自慢の『ダメージ計算』なんて、最初から通らない。プロセスを丸ごと跳ばして——直接、あんたの『存在状態』を、書き換える命令よ」
全力で、トリガーを引いた。
「ギュイイイイイイイィィィィィィン——!!」
光の刃が、神の紙面に、触れた。
その瞬間、何が起きたのか、正確には見えなかった。
ただ、神を構成していた無数の「文字」が、一斉に「エラーコード」へ化けた。赤い警告。紫の混乱。白いノイズ。びっしりと世界を定義していたあの仕様書が、自分自身を、もう読めなくなっていく。
ジジジジジジジジッッッッッ——!!
怪物が、「切断」された。
規格外の火力で傷つけられたのではない。デバッグ武器によって、ただ「存在を、削除された」。
光の刃が、紙の神を、両断した。
その断面の奥から——最後に、ひとつだけ、声が零れた。
これまでの、無機質な英語の通告ではない。初めて、たどたどしく、けれど確かに、日本語だった。
> **「これも……いきものの、サガ……か……」**
いきものの、サガ。
すべてを書き記した造物主が、最期に遺したのは、命あるものの宿命を、ただ静かに受け入れる、諦めにも似た一言だった。被造物に書き換えられ、被造物に討たれる。それもまた、生き物の——性なのだと。
——だが。
その響きの裏に、私は、もう一つの意味を、確かに聞き取っていた。さっき疼いた、あの記憶の、正体を。
遠い昔。まだ携帯ゲーム機が白黒だった頃の、伝説のRPG。塔を登りきった果てで待つ最後の敵は、自分のことを『神』と名乗った。この世界を創った、文字通りの造物主。天文学的なステータスを持つ、倒せるはずのない存在。
それを、あらゆる防御を無視して、ただ一撃で葬る手段が、たった一つだけ仕込まれていた。開発者が消し忘れた、一本のチェーンソー。
——その、伝説のRPGの題名こそが。
「……『SaGa』」
私は、駆動音の中で、小さく笑った。
「ねえ。神を殺すのは、昔っから、チェーンソーって、相場が決まってるの。——あんたも最期に、それを思い出したから、そんな顔で消えるんでしょう?」
> **`> CRITICAL FAILURE: SYSTEM SHUTDOWN`**
白い光が、内側から爆発した。
世界が、自分を定義していた言葉から、いっせいに逃げ出していく。
神は——運営は、紙は。
完全に、消滅した。




