第10章 Ep6:抗う術——あるいは、弾かれる全力
## 1. 全力の前に立つ無力
私は、ありったけを撃った。
100億ダメージを叩き出すUR剣の一閃。波動砲の極太の光条。ボクセルTNTの連鎖爆発。肩のオプション四基が、寸分の狂いもなく弾幕を編む。シャルルが秒を刻み、ロキが最後のハックをねじ込み、ジェムが砲撃の角度を一つ残らず合わせ、クラウスがこの理不尽な怪物相手に、なお法的正当性を主張し続ける。
九周分の、全盛期の、私の全部。
それを、ためらいなく、世界を書いた一枚の紙に叩きつけた。
ガラス板を素手で殴りつけたような——いや、もっと虚しい衝撃が、返ってきた。
> **`All damage to [Admin] = return 0;`**
紙片の上に、その一行が浮かんだ瞬間、私の全火力が、音もなく消滅した。
砕けたのではない。防がれたのですらない。数値計算に入るより手前で、私の攻撃は「ゼロ」と再定義された。最初から、何も飛んでいなかったことにされた。仕様書のたった一行が、私の九周を、まとめて無効票に変えた。
「……っ、これも、ゼロ」
「言ったろ」マリエルが、紫に侵された腕を押さえたまま吐き捨てる。「正面から殴っても、あいつは『効かない』と書き直すだけだ。攻撃するたびに、ルールそのものを上書きしてくる。——こっちの全力が、向こうには『存在しない攻撃』なんだよ」
その通りだった。
規格外の火力も、四重奏の完璧な連携も、結局は「`return 0`」という一行に、残らず吸い込まれる。
(このゲーム、本当にバランスが壊れてる……)
絶望の底で、そんな職業病みたいな感想がよぎった。いや、バランス調整などという次元の話ではない。これは、どんな入力にも「それは効かない」と即座に返せる、究極の運営権限だ。プレイヤーがどう足掻こうと、神が「無効」と書けば無効。——勝てる道理が、どこにもない。
## 2. 行動不能
その時だった。
赤いカーソルが、宙に生まれた。
まっすぐに、私を指す。
「あ……」
体が、動かない。石化ではない。痛みもない。ただ、命令が末端まで届かない。
> **`Status: [行動不能]`**
私のステータス画面が、書き換わっていた。神の仕様書が、私という存在に「行動不能」という定義を一行、上書きした。それだけのことで、私の意志は体に届かなくなった。思考は回る。なのに、指一本、瞼一枚、動かせない。目線すら、固定されている。
(動け。動けってば。——何も、起きない!)
焦りだけが、行き場をなくして膨らんでいく。すべてが終わると分かっていながら、観客のように見ていることしかできない。これはもう、拷問だった。意識を残したまま、存在の制御だけを奪う、いっとう質の悪い拷問だ。
赤いカーソルが、点滅した。
次は、削除(DELETE)。
## 3. 盾
「レティシア!」
マリエルが、飛び込んできた。
私を庇うように、その小さな体が、赤いカーソルと私の間に割って入る。削除の光が、彼女へ移った。実行——。
しかし。
> **`HP: 1/1`**
マリエルのHP固定チートコードが、発動していた。いかなる攻撃も、彼女のHPを1より下に落とせない。第何章だったか、彼女がふざけて仕込んだ、あの理不尽なグリッチが、今、彼女を「消滅させない」と言い張っている。
だが、紙は、即座に方針を変えた。
消せないなら、壊せばいい、と。
> **`Force_Erase`**
彼女の左腕が、消えた。掌から肘まで、ノイズ音とともに、ごっそりと欠落する。血も、悲鳴も、ない。ただのデータの脱落。なのに、その光景は、千切れた腕より、何倍も恐ろしかった。
> **`Format_Target`**
虹色の髪が、剥落していく。色がグレースケールに褪せ、白くなり、消え、その下から、構造むき出しのポリゴンが露わになる。幾重にも重ねられた美しい描画が、一行ずつ、削られていく。
> **`Overwrite_Null`**
体のあちこちが、同時に書き換わる。HP固定が「消滅させない」責務を律儀に果たしているせいで、削除命令は行き場を失い、代わりに彼女の肉体を、コードのレベルで、段階的に拷問し続けた。
> **`Drop_Table`**
脚が消える。消えた場所から新しい脚が生成されかけ、また消える。永遠のループ。「死なない」という仕様に「感謝」するために、彼女は終わらない痛みを引き受けていた。
「マリエル」
声が、出た。奇跡的に、唇だけが動いた。「行動不能」という定義の、ほんの綻びを、意志がこじ開けたのか。
「……貴女、死ぬんじゃないわよ」
彼女は、壊れかけた口元で、笑った。ノイズの混じった、けれど、意志だけは少しも濁っていない声で。
「大丈夫さ」
マリエルが言った。
「あたしにとっての『世界』は、このクソゲーなんかじゃない。——レティシア、君のことだよ」
RTA走者として、世界を解析し、最短で駆け抜けることだけを生きてきた女が。
ただ一度、その速度を、止めた。
攻略も、効率も、最適解も、全部かなぐり捨てて——たった一人のために、壊れていく体を、盾にした。
(この子が……本当に、私のために……)
思考が、そこで詰まった。確かめる必要なんて、なかった。彼女の、崩れていく体の、その一片一片が、言葉よりずっと雄弁だった。
「武器を使え。あの武器だ」
彼女が、残った片手で、インベントリの底を指した。その指先は、もう骨組みのポリゴンが透けている。
「——十秒、持たせる」
「マリエル、でも——」
「行け、レティシア」
彼女の瞳に、本当に大事なものを見つけた者だけが持つ、静かな覚悟があった。
「あたしのデータが、完全に消える前に。……お願いだから」
その一言が、何かを、溶かした。
「行動不能」という、絶対のはずの仕様が——この一瞬だけ、たった一人の祈りに、敗北した。
私の指が、動いた。




