第10章 Ep2:サルベージ——あるいは、全盛期の復元
## 1. 没収フォルダ
マリエルが、虚空でキーボードを叩いていた。
そこにキーボードは無い。物理的には、彼女の十本の指が空を撫でているだけだ。だが、その動きは前世のタイピングそのもので——しかも、私が見たどんなプログラマより速い。打鍵音のない、純粋な思考速度のコーディング。
恐ろしい、と素直に思った。
彼女が「理解している」ということは、すなわち私が「まだ理解しきれていない」ということだ。RTA走者は、ゲームの内側ではなく外側からシステムを見る。その視点は、インフラ屋の私とは似て非なる、もう一つの「裏側」だった。
「あった。『没収フォルダ(Confiscation)』」
彼女の声が、不気味なほど弾んだ。
「第1章から第9章まで、章が変わるたびに運営があたしたちから取り上げた、全部のガラクタ……いや、お宝が、ここに残ってる」
黒い格子の一画が、ぽつ、ぽつ、と赤く灯っていく。マリエルがその赤を、呪文のように読み上げた。
「『ドリル(回転機構)』。『自律型魔導ビット(オプション)』と『波動砲』。『L-Net(魔導インターネット)』。『100億ゴールド』。『聖女コイン』の発行権。『絶対不可視のダンボール』。『ボクセルTNT』。『UR覚醒・伝説の銅の剣+999』……」
一つ、また一つ。
それは、私たちの九周ぶんの墓標だった。
第2章で、私が古代のスパゲッティコードを徹夜でリファクタリングして生んだ、愛しい随伴機。第3章で、ドリルを失った私が「情報で戦う」と誓って這い上がった、L-Net。借金。バブル。逃亡。ブロック。爆弾。インフレ。
全部、取り上げられた。全部、無駄になったと思っていた。
「……残ってたのね」
「ゴミ箱は、空にされるまでゴミ箱だ」
マリエルは、最後の赤い点を、格子の中心へ集めた。パズルのピースを揃えるように。
「レティシア。お前の全盛期、覚えてる?」
「第4章まで、ね」
あの頃の私は、確かに強かった。四重奏という頭脳。莫大な資産。情報網。世界を要塞化できると、本気で信じていた。
「第5章から、運営はずっとあたしたちを削り続けた。城も、使用人も、契約も、スキルも。プレイヤーのちょうどいいペースメーカーになるくらい、弱く、弱く。——その理由が、今ならわかる」
マリエルの指が、最後の点を押し込んだ。
「強いあたしたちは、運営にとって『バグ』だからだ」
**`> RESTORE: CONFISCATION_FOLDER /all`**
無機質な——けれど、どこか神々しい声が、白い虚無に響いた。
## 2. 全盛期
私の周囲に、物が湧き始めた。
螺旋を描く金色のドリルが、宙で回転した。第2章で没収された、私のロマンの結晶。
半透明の光の球体が四つ、衛星のように私の肩口に整列した。オプション(Type-A)。「おかえり」と、思わず声が出た。
金貨が雨のように降り、足元で山になり、そして溶けるように私の中へ吸い込まれていく。100億ゴールド。あの理不尽な借金の、なれの果ての黒字。
黒い炎を纏ったURの剣。チープな色のダンボール箱。かわいい見た目のTNT。
それらが、一つずつ、私の体に還っていく。
重くなる。いや、「存在感」が戻る、と言うべきか。さっきまで未初期化のメモリだった私の輪郭に、九周ぶんの履歴が書き戻されていく。
「ステータス、確認しろ」
言われて、私は見えない画面を見つめた。
このデバッグルームでは、「見えるもの」と「見えないもの」の境界が曖昧だ。だが、確かに読めた。
攻略対象を倒した周回ボーナス。聖女契約の全スキル。100億の完全復帰。八種のチート兵器。
全部。
「……完全な、私」
「よし」
マリエルが、満足そうに頷いた。
「これで、戦える。あの『神』に」
## 3. 長らくお待たせいたしました
その時だった。
白い虚無に、別の音が混じった。
電子音。だが、システムの正規音ではない。何かが目覚める音。あるいは、長いあいだ落とされていた電源に、ようやく火が入る音。
スマートフォンに酷似した黒い板が、マリエルの手の中に現れた。
私の、黒のアーティファクト。第4章で「重篤な違法ツール」として強制削除された、私の相棒。
画面が、灯った。
四つの光が、同時に。
『……長らくお待たせいたしました、マスター』
シャルルだった。
その声を聞いた瞬間、私の膝は——あるかどうかも怪しいこの体の膝は——崩れた。
「え……」
声が出ない。何かが喉の奥でつかえて、言葉にならない。
「シャルル……?」
『はい。私です』
いつも通りの、落ち着いたバリトン。なのに、決定的に違う。ずっと「在るべき場所」にいなかったものが、そこに戻ってきた、という違いだ。
『ロキです。よお、ボス。九周ぶり……いや、こっちの体感だと一瞬だけどな。相変わらず無茶しやがって』
『ジェムです! うわ、うわ、オプションが戻ってる! 波動砲も! マスター、僕、僕ずっと——!』
『クラウスです。……御無事で何よりです、マスター。なお、運営による我々の強制削除は、契約法上きわめて不当な処分でした。証拠は保全してあります。いつか必ず、しかるべき法廷に』
「……ばか」
涙が出た。データの世界で、パラメータでできた幽霊の目から、それでも涙が出た。
「こんなときまで、訴訟の話……」
『マスターが泣くので、私は黙ります』
「黙らなくていいわよ。……黙らないで。ずっと、喋ってて」
## 4. ETA: 3分
「感動の再会は、後だ」
マリエルの声が、空気を引き締めた。優しくない。だが、その非情さが今はありがたい。
「状況、共有する。聞いて」
『承知いたしました』
シャルルが、即座に執務官の声に戻る。第9章までの顛末——DELETEコマンド、データの残存、デバッグルーム、復元された全装備——を、マリエルが簡潔に説明した。
四重奏が、一瞬だけ沈黙した。
『……つまり』と、ロキ。『俺たちは、本来は「ここで一緒に消される予定」だった、と』
「ああ。でも、レティシアのバグのおかげで、お前らも巻き込まれなかった。ローカルのバックアップが生き残った。皮肉なもんだろ。最弱の『消せないバグ』が、最強の保険になった」
その時。
デバッグルームの「空気」が——本来そんなものは無いはずの空気が、ざらりと変質した。
**`> WARNING: UNAUTHORIZED ACCESS DETECTED`**
**`> ADMIN SIGNATURE INBOUND`**
**`> ETA: 3 MINUTES`**
黒い格子が、端から順に、赤く灯り始めた。さっきの「サルベージの赤」ではない。警告の赤だ。
「来たか」
マリエルが、低く呟いた。その横顔に、初めて——ほんのわずかに、緊張が走った。
「あの『神』が、お出ましだ」
私は、戻ってきたばかりのドリルを握りしめた。
オプションが、私の肩で静かに回転した。四重奏が、黒い板の上で青く光った。
九周ぶんの、全部が、ここにある。
「三分」
私は、最悪のリリース直前と同じ口調で言った。
「三分あれば、ずいぶん仕込めるわ。——準備するわよ、あんたたち」
『『『イエス、マスター』』』
『……了解、ボス』
白い虚無の彼方から、巨大な何かが、ゆっくりと迫り上がってくるのが、確かに感じられた。




