第1章 Ep9:王都、テクスチャ剥がれ落ちて
シュゥゥゥ……。
空間が歪み、一人の少女が王都の広場に吐き出された。
マリエル・ブランだ。
彼女の装備は一変していた。粗末な制服から、白銀に輝く「聖女のローブ(伝説級)」と、手には「聖女の杖(ATK+999)」が握られている。
「ふぅ、ダンジョンクリア。レベルも99(カンスト)まで上がったし、これでラスボスまで余裕だね」
彼女は伸びをした。
所要時間は迷宮内時間で3時間。現実時間ではわずか数十分。
RTAとしては悪くないタイムだ。
「さて、と。王子の様子でも見に行こうかな」
彼女は軽い足取りで王宮へと向かった。
だが、数歩歩いて違和感に気づいた。
「……ん? 何か重くない?」
足が重いのではない。
視界の動き(カメラワーク)がカクついているのだ。
通りを歩く人々の動きが、コマ送りのようにぎこちない。
「フレームレート(fps)が落ちてる? ここ、そんなにオブジェクト多かったっけ?」
マリエルは眉をひそめた。
そして、ふと空を見上げた。
「あー……」
空の一部が、無くなっていた。
青空のテクスチャが読み込めず、毒々しい紫色と黒の格子模様(エラー用デフォルト画像)が露出している。
その境界線では、雲が不自然に途切れ、ピクセル単位で明滅していた。
「テクスチャ欠落。やっぱあれか、ダンジョンのボスを消したせいで、参照先のメモリ領域がズレちゃったか」
彼女は悪びれる様子もなく、ポリゴンが欠けた街並みを眺めた。
歩いている兵士の一人が、壁に半身を埋めさせながら(クリッピングしながら)行進している。
馬車の車輪が地面に沈み込み、馬だけが空中に浮いて走っている。
「物理演算も死にかけてるね。このままだとフリーズ(世界停止)しちゃうかも」
## 2. 壊れたNPCたち
王宮の前まで来ると、さらに異様な光景が広がっていた。
本来なら門番をしているはずの衛兵たちが、両手を真横に広げた「T字のポーズ(T-Pose)」で静止している。
「あーあ、モーションデータも読み込めてないじゃん」
マリエルはTポーズの衛兵たちの間をすり抜けて、謁見の間へ入った。
そこには、ユリウス王子が玉座の前に立っていた。
彼は誰もいない空間に向かって、虚ろな笑顔で呟き続けている。
「……パン。ああ、パン。君はなんて芳醇なんだ」
「……パン。ああ、パン。君はなんて芳醇なんだ」
「……パン。ああ、パン。君はなんて芳醇なんだ」
「……うわ、思考ループ入ってる」
マリエルは王子の顔の前で手を振ってみたが、反応はない。
彼の処理能力(CPU)は、好感度変数のオーバーフロー処理と、無限に増え続けるパンの座標計算にすべて奪われていた。
対話不能。
「これじゃ『婚約破棄イベント』も起こせそうにないね。キーアイテムの『王家の指輪』はもう持ってるし……まあいいか、イベントスキップで」
マリエルはあっさりと王子を見捨てた。
RTA走者にとって、進行不能になったNPCに用はない。
彼女の目的は「エンディング」に到達することだけだ。
## 3. 次のエリアへ
マリエルは王宮を出て、紫色の空を見上げた。
王都全体が悲鳴を上げている。
遠くで何かが崩れる音がした。建物のポリゴンが弾け飛んだのかもしれない。
「ここに長居すると、私のセーブデータまで破損しそう」
彼女はメニュー画面を開き、ワールドマップを確認した。
王都周辺のエリアは真っ赤な警告色(処理落ち危険地帯)に染まっている。
だが、北の方角に一つだけ、安定していそうなエリアがあった。
「ん? 『ノクターン公爵領』……? あそこだけメモリ使用率が安定してる」
ノクターン領。悪役令嬢レティシアの実家だ。
本来のシナリオでは終盤に訪れる場所だが、なぜか今のマップ状況では、そこだけが「輝いて」見えた。
「もしかして、あそこに『隠しイベント』があるのかな? 処理が軽いなら、エリアチェンジ(マップ移動)してキャッシュクリアした方がいいかも」
マリエルは杖を構えた。
王都のラグから脱出するために。
そして、図らずも「世界を修復しようとしている場所」へ、最大のバグの発生源(自分)を持ち込むために。
「よし、行こう。次のステージへ!」
彼女が転移魔法(ルーラ的なもの)を唱えようとしたその時、足元の地面がバグって消失し、彼女は世界の裏側へと落下していった――のではなく、座標が強制移動された。
行き先は、北。
インフラ整備が進む、ノクターン領へ。
こうして、世界を壊す「矛」と、世界を守る「盾」が、再び交差することになる。




