第1章 Ep8:β版リリースとユーザーの声
工事開始から一週間。
ノクターン領のメインストリートは、劇的な変貌を遂げていた。
「おい見ろよ、馬車が滑るように走ってるぞ……」
「泥が跳ねねえ! 素足が汚れないなんて!」
領民たちが道の両脇に集まり、口々に驚嘆の声を上げている。
かつては足首まで埋まる泥沼だった道が、今は隙間ひとつないさらに平らな石畳(魔法焼成コンクリート)に変わっている。
馬車がガタガタと音を立てることなく、静かに、そして高速で通り過ぎていく。
「物流速度は以前の300%向上。物資の搬入量が増えたことで、市場の野菜価格が2割下落しました」
『ユーザー満足度も急上昇だね! 「お嬢様万歳」のシュプレヒコールが止まらないよ』
執務室のバルコニーから街を見下ろしながら、シャルルとロキが報告してくる。
「悪くないわね。まだ表面を整えただけの『β版』だけど、効果は出ているわ」
私は満足げに頷いた。
道路が綺麗になれば、人は歩きやすくなる。
下水が完備されれば、悪臭が消え、病気が減る。
これらはRPGにおいて「街のグレードアップ」として一言で処理されるイベントだが、実際に住んでいる人間(NPC)からすれば、革命的な出来事なのだ。
「お嬢様、また陳情団が来ております。『ぜひ我が村にも魔法の道路を!』と」
アイリーンが苦笑しながら入ってきた。
「順次対応すると伝えて。今はリソースが足りないわ。まずは中央のサーバー(領都)を安定させるのが先決よ」
私はコーヒーを啜り、手元の「賢者の石板」に次なるタスクを打ち込んだ。
順調だ。
このまま領地全体を要塞化できれば、マリエルがおこすバグの波に耐えられるかもしれない。
そう思った矢先だった。
## 2. バグの侵食
『警告。異常なオブジェクトを検知しました』
ジェムの声が、緊張を帯びて響いた。
「何? どこ?」
『北の森の境界線付近。座標データがおかしい。現地リポーター(使い魔)の映像を出すよ』
空中にホログラムが展開される。
映し出されたのは、のどかな森の風景……ではない。
「……何よ、あれ」
私は絶句した。
森の一部が、不自然に「浮いていた」。
木々や岩が、地面から数メートルほど空中に浮遊し、そのまま静止している。
まるで、その部分だけ重力が消失したかのように。
『浮遊バグだね。マリエルちゃんが王都周辺でやりすぎたせいで、遠く離れたこの領地の座標計算にもズレが生じ始めてるんだ』
「テクスチャの継ぎ目も変です。空の色が、あの一角だけ『紫色』に点滅しています」
シャルルが指摘する箇所を見ると、確かに空の色がおかしい。
青空の一部が欠落し、毒々しい紫色のノイズが走っている。
「……来たわね」
私はカップを置いた。
予想よりも早い。
マリエルはまだ王都にいるはずだ。だというのに、その影響は既にこの領地まで波及している。
「領民には『珍しい蜃気楼だ』とでも説明して、封鎖しなさい。近づいたらデータごと消滅するわよ」
「た、直ちに衛兵を派遣します!」
アイリーンが慌てて部屋を出て行く。
私は窓に手を当て、遠く北の空を睨みつけた。
「マリエル……あなた、一体何を壊したの?」
『解析結果が出ました。……お嬢様、これはまずいです』
ロキの声が震えていた。
『王都のダンジョンボスが消滅したことで、イベントフラグが破損。現在、世界中のモンスターのレベル管理機能が停止しています』
「つまり?」
『つまり……この領地のそばにある『初心者用ダンジョン』から、レベル50超えの化け物が湧いてくる可能性があります』
背筋が凍った。
レベル・スケーリングの崩壊。
「序盤の街だから弱い敵しか出ない」というゲームのお約束(仕様)が、今まさに消え去ろうとしていた。
「……上等じゃない」
私は震える拳を握りしめた。
「インフラ屋の意地を見せてやるわ。バグだろうが魔物だろうが、私の『要塞』で全部弾き返してやる!」
β版の平和な時間は終わりだ。
ここからは、本番環境での負荷テスト(デスマーチ)が始まる。




