第9章 Ep7:PvP(対人戦)——あるいは、Pay vs Payの殴り合い
## 1. 闘技場開幕
ナーフの傷も癒えぬまま、新しいコンテンツが実装された。
「アリーナ」。闘技場。対人戦。
『ご参加ありがとうございます!』
『このコンテンツでは、世界中のプレイヤーと戦い、ランキングを争うことができます!』
『上位ランク達成で、新限定キャラクター「UR+ 救済の聖女」を獲得可能!』
『総合ランキング上位1%に入ると、伝説の神装備「王者の冠」も追加配布!』
煌びやかなバナーが、希望と可能性に満ちた文句で彩られていた。
マリエルは、その輝きに一瞬目を奪われた。
「これだよ。これが必要な力。UR+」
彼女の目は真剣そのものだった。
「ナーフで1兆まで下げられた攻撃力。これじゃあ、今のコンテンツの防御力1兆のボスに……あ、いや違った。防御無視を削除されたから、素の防御力にほとんど弾き返される。つまり、火力が不足しているわけだ」
「つまり?」
「つまり、このUR+聖女を手に入れれば、火力補正+200%のスキルが追加される。それなら、なんとか今のボスも倒せるかもしれない」
マリエルの論理は、いつもながら正確だった。
ゲームシステムの隙間を見つけ、最適なルートを算出する彼女のスキルセットは、スピードランナーの本質そのものだ。
「でも……対人戦よ?」
「大丈夫。マッチングはランダム。確率的には、同じくらいの力を持つプレイヤーとぶつかるように設計されてるはずだよ。レーティングシステムの基本だからね」
私たちは、闘技場へと足を踏み入れた。
「では、初戦をお祈りします」
マリエルが、言った。
## 2. 札束の暴力
第1試合。
対戦相手が決定した。
『**【Lv999 富豪紳士A】**』
『戦力:100,000,000,000,000(100兆)』
「……」
数字を読む。
100兆。ゼロが14個。
「あ」
マリエルが、呟いた。
「やられる」
開始ゴング。
画面が、光に満ちた。
**FIRST TURN KILL**
**Damage: 100,000,000,000,000**
『Defeat』
『Ranking: -50 points』
私たちの戦力なんて、四捨五入の範囲内だった。100兆の一撃の前では、桁が二つも三つも足りていない。
「何これ……戦力100兆なんて、どうやって作るの?」
「課金石ガチャだね。単純な火力キャラの重ねがけ。最新の英雄王は1体5兆。20体も重ねれば100兆。つまり、リアルマネーで100万円あれば出来る計算」
マリエルの声に、もう熱は失われていた。
「ただし、100万円では足りないかもね。ガチャの天井は300連。1回300石。つまり……」
「150万近い、ってことね」
「そういうこと。この人は、ゲームに150万以上溶かしてる。その『残骸』が100兆という数字の中に凝結しているわけだ」
第2試合。
対戦相手:『【Lv999 石油王商人B】』
戦力:500,000,000,000,000(500兆)
「『商人』? 職業なの?」
「多分、リアルマネーをたくさん持ってる人を指す造語。石油王ってのは、莫大な富を持つ人の比喩だからね」
また瞬殺された。
第3試合。
対戦相手:『【Lv999 皇帝・月額2万コース契約者C】』
戦力:250,000,000,000,000(250兆)
「『月額2万コース』?」
「……毎月2万円を、ゲーム課金に使ってる人ってことだね。少なく見積もっても、通年では24万円。それを3年続ければ、72万円。」
負け。
第4試合。負け。
第5試合。負け。
第6試合。負け。
第7試合。負け。
第8試合。負け。
第9試合。負け。
第10試合。負け。
10戦10敗。
「……これ、どうやって勝つの?」
私は、呆然とマリエルに聞いた。
「勝たない。勝ちようがない」
マリエルは、淡々と答えた。
「PvPというのはね、『Pay vs Pay』の省略版だ。戦力なんて、全部がリアルマネーで決まってる。プレイヤースキルとか戦略とか、そういう次元は存在しない。あるのは『どれだけ札束で殴ったか』という、一点だけ。実力が完全に無視されるコンテンツ」
「な、なら何のためにやるの!?」
「やるしかないの。UR+聖女を手に入れるためにね」
マリエルは、その黒いカードを再び取り出した。
RMT。闇市場での決済。
「ちょっと待ってよ。前回の課金石、まだ……」
「足りてない。あの金額じゃあ、上位を目指すまでには足りてない」
ピッ。
『課金石1,500,000個を購入しました』
「額に直すと……」
「150万円」
新しい金額が、マリエルの指先を通じて、別世界の銀行口座から吸い上げられた。
ガチャ。ガチャ。ガチャ。
何度も何度も回す。
その度に、虹色の光が彩られ、新しいキャラクターが集まっていく。
30分後。
新しい英雄王、100体。
重ねがけ。重ねがけ。重ねがけ。
マリエルの戦力が、跳ね上がった。
『Total Power: 500,000,000,000,000(500兆)』
「これなら……」
新しい試合。
マッチング。
『対戦相手:【Lv999 天帝・月額10万コース契約者D】』
『戦力:10,000,000,000,000,000(1京)』
「あ」
負けた。
## 3. ランカーの堕落
15連敗。20連敗。30連敗。
(これ、マッチングシステムのレーティング計算が、ランキング上位者を優先的に当てさせてるんじゃ……)
疑いが、確信に変わった。
運営側は意図的に、ランキング上位者たちと、新規ユーザーたちを分けている。上位者同士が戦い、ランキングが激動する様を、プレイヤーたちに見せる。すると、新規者たちは「いつか自分たちもあの座に……」と希望を持つ。そしてそれが、課金動機につながる。
理想的な搾取システムだ。
そして、50連敗した時点で、マリエルのランキングは底辺まで落ちていた。
「ブロンズ帯。最低ランク」
その時だった。
マッチング音が鳴った。
『対戦相手決定!』
『【新規ユーザー:初心者さんE】』
『Lv: 1』
『戦力:500』
「……来たね」
マリエルの瞳が、変わった。
それは、猛獣を前にした獲物の目。いや、逆だ。獲物を前にした、肉食獣の目。
「この人、ログイン1日目だ。Nキャラ編成。初期装備。実装されたばかりのチュートリアルをようやく終えた、正真正銘の初心者」
「マリエル……」
「あたしたちは今、50連敗で心がボロボロだ。勝つことが必要。順位を上げることが必要。UR+聖女を獲得することが必要」
「でも……」
「わかってる。この人は初心者だ。この戦闘で蹂躙されたら、このゲームを辞めるかもしれない。せっかく始めたゲームを、全否定される体験をするかもしれない。でも……」
マリエルは、ボタンに指を置いた。
「あたしたちが生き残るためには、この一点が必要なんだ」
彼女の目には、もはや聖女の慈悲はなかった。
「戦闘開始」
ポチッ。
**Lethal Damage: 500,000,000,000,000**
画面は一瞬で終わった。
一方的な蹂躙。
『Victory』
『Ranking Point +10』
「勝った……」
マリエルが、呟いた。
その声には、喜びはなかった。
「あたしたち……何をやってるんだろう」
私は、スマートフォンの向こう側にいるであろう初心者の顔を想像した。
レベル1のキャラクターで、ダメージ0を見た時の絶望。
もしかして自分はこのゲームに向いていないのでは、という疑い。
「もう辞めよう」という、ゲーム人生の終わり。
「札束で叩かれ……憂さ晴らしに弱者を踏みにじる」
私は、つぶやいた。
「私たち、堕ちるところまで堕ちたわね」
マリエルは、何も言わなかった。
ただ、次の試合をマッチング中だ。
次の獲物を探す、肉食獣のように。




