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第9章 Ep6:ナーフ(下方修正)——あるいは、後出しジャンケンの美学

## 1. 一週間の栄光


 七日間だった。

 私たちが最強の座に君臨した期間は、わずか七日間だった。


 新しい英雄王「ゼノス・覚醒」を手に入れた私は、攻撃力1兆という圧倒的な数字を手に、エルドラドの奥地へ進み続けていた。そしてそこで出会った、さらなる奥義のコンテンツ——「UR英雄王の試練」。


 獲得できるのは、攻撃力1,000,000,000,000、防御無視スキルを持つ「絶対王者ゼノス」という新しいユニット。強化上限が撤廃されたこの個体は、さらにスキルレベルを上げることで、攻撃力は1,500,000,000,000へ跳ね上がる。

 いや、そうではない。正確には、装備や強化を全て組み合わせた私の総攻撃力が、遂に兆の大台に突入した瞬間のことだ。


 攻撃力1兆5千億。

 防御無視。

 クリティカル倍率300%。

 ステータス合計で、2,500,000,000,000という、もはや数字とは呼べない領域の怪物へと変貌を遂げた。


 「すごい……マリエル、見て。ボス戦、30秒で終わった」


 恍惚とした表情で、私は画面を通じてマリエルに見せた。

 敵のHP:50兆。それが、私の一撃で、ゼロになった。いや、正確には十二発。十二度の攻撃で、ボスのHP欄が空になったのだ。(実際には物理演算の都合で十二回に分割されてるんだろうけど、体感的には一瞬)


 「これなら、何をしても勝てるじゃない。無敵よ。最強よ」


 私は、その夜は眠れなかった。

 ベッドに横たわりながら、スマートフォンの画面を眺め続けた。攻撃力という数字。防御無視という特権。これまでの地獄で積み上げた全ての報酬が、この一瞬で完成する。八回の輪廻を超えて、遂に私は「完全な力」を手にしたのだ。


 二日目。

 攻撃力を更に強化することに成功した。新しいUR装備の装着。スキルレベルマックス化。結果、総攻撃力は1,800,000,000,000へ。


 三日目。

 限界突破を最大まで進め、総攻撃力は2,000,000,000,000へ達した。もはや説明不可能な領域だ。ほんの少し前までは、100万の数字で大絶望していた。それが、今や200万倍。


 四日目から五日目。

 「このゲーム、つまらないわね」

 マリエルがぼやくようになった。ボス戦での勝利が自明となり、挑戦という概念が消えた時点で、ゲームは、ゲームではなくなっていた。攻略というプロセスが消え、結果だけが延々と積み重ねられる。


 六日目。

 システムメッセージが、突然に、そこに現れた。


 『緊急メンテナンスのお知らせ』

 『本日20時より、全サーバーでメンテナンスを実施致します。予定時間は2時間程度です』


 「へえ、アップデートか。新しい敵でも追加されるのかしら」


 七日目の朝。

 メンテナンスが終わった。

 画面を起動すると、いつもの如く新機能のお知らせが表示されていた。



## 2. 後出しジャンケン


 『★重要なお知らせ★』

 『[重大バグ修正] UR英雄王「絶対王者ゼノス」のパラメータを調整致しました』


 バグ修正。

 その言葉を見た瞬間、私の脊髄が冷たくなった。SE時代、この言葉は「悪い知らせ」の前触れだった。プログラムの不具合を修正することは、時に仕様の大幅な変更を伴う。


 『調整内容:』

 『・攻撃力:1,000,000,000,000 → 500,000,000,000(50%減)』

 『・防御無視スキル:削除』

 『・スキルクールタイム:1ターン → 5ターン』


 「え……」


 血の気が引いた。

 攻撃力が半分に。防御無視スキルが完全削除。クールタイムが5倍に。


 つまり、さっきまで私が手にしていた2,000,000,000,000という総攻撃力は、今や1,000,000,000,000へと転落した。そして防御無視がなくなったということは、敵のステータスの防御力がまた立ちはだかるということだ。


 「これ……バグじゃないじゃない」


 マリエルも、同じ情報を見ていたのだろう。彼女の表情は、冷たく歪んでいた。


 『詳細:』

 『当初、本ユニットはテスト段階での意図しない高性能となっておりました。今回の修正により、ゲームバランスの適正化を図ります』


 「『意図しない高性能』? こっちは3,000円払った挙句、RMTで何十万も溶かして、この数字を手に入れたんですけど!」


 「……さらに悪い知らせがある」


 マリエルが、スクロールして補足を示した。


 『補償について:』

 『本調整に伴い、以下の補償をお配りします』

 『・魔法石:10個』

 『・ゴールド:1,000,000』

 『・ポーション×3』


 10個。

 ガチャに必要な300個の、たったの3%。


 「ふざけてるのか」


 マリエルは、スマートフォンを握りしめた。

 その手が、微かに震えている。


 「攻撃力を100倍にして、『これが最新の攻略に必要な火力です』と宣伝して。プレイヤーの資産を吸い上げて。そして『バグでした』で、一瞬にしてナーフする。補償は最小限。また新しいのを出すから課金してね、と?」


 マリエルが立ち上がった。


 「これはバグ修正じゃない。詐欺だ」


 そしてその瞬間——



## 3. 聖女の怒り


 スマートフォンが、放られた。


 勢いよく床に叩き付けられたそのデバイスは、バウンドして、壁に激突して、落ちた。


 「マリエル!?」


 「ふざけるな! こんなゲーム!」


 聖女が、本気で怒っていた。

 普段の冷静さは引っ込み、瞳に炎が宿っていた。


 「一週間。たったの七日間、最強の座にいただけで、こんなことになるのか。ゲーム内での成功体験も、達成感も、全部が後付けされた幻想なのか。ゲーム運営は、『プレイヤーが最強だと思い込む期間』を設定して、その間に課金させて、その直後にナーフして、また課金させる。それの繰り返しなのか」


 「落ち着いて……」


 「落ち着けるわけないでしょ! あたしはスピードランナーだ。つまりね、システムの隙間を見つけることが得意なんだ。だからこそわかる。この修正のタイミング、この補償の額、全部が『計算済み』だ。プレイヤーの感情を揺さぶって、怒りと絶望と後悔のサイクルを回させる。それがソシャゲの本質」


 マリエルはスマートフォンを拾い上げた。画面は割れていなかった。むしろ、その硬度の高さに、丈夫さに、彼女はさらに怒りを募らせた。


 「こんなもん、いくら叩き付けても壊れないんだ。運営側は、ユーザーの怒りすら計算に入れてるんだ」


 私は何も言えなかった。

 確かに、彼女の言葉は正しい。


 SE時代、私は無数のバグ報告を読んできた。『意図しない』と言う言葉ほど、信用できない言葉はない。意図しないバグは存在しない。あるのは『意図を隠蔽したバグ』だけだ。


 「補償の10個の魔法石も含めて、全部が計算だ。プレイヤーの怒りが冷めかけた時点で新しいガチャが出る。『こんなことが二度と起こらないように』という名目で。もっと強い新キャラが。もっと確実な攻略法が。そしてまた課金する」


 マリエルはスマートフォンを私に投げ渡した。


 「攻撃力1,000,000,000,000。これが今のあたしたちのランク。昨日は2,000,000,000,000だった。つまり、この一週間の成長は、全部が後付けされた幻想。ゲーム運営が『このタイミングで最高潮に達させよう』と計算した、見せかけだけの栄光」


 「……」


 私は何も言えなかった。

 なぜなら、彼女が正しいから。


 『引き継ぎボーナスを付与します』『新しい英雄王が実装されました』『期間限定ピックアップ』『ナーフです』『補償を配布します』


 そのサイクルが、全部が運営側の掌の上。

 私たちは、踊らされているだけだったのだ。


 (八回の輪廻を越えて……まだ、踊ってたのね)


 スマートフォンの画面には、既に新しいバナーが掲載されていた。


 『★超絶強化実装★ UR英雄王「覚醒・真・超越ゼノス」』

 『攻撃力:5,000,000,000,000(5兆)』

 『価格:初回10連半額! 4万5千円から!』


 後出しジャンケン。

 運営が後で手を出して、その手で勝つ。

 それが、このゲームのルールだったのだ。


 私たちは、その掌の上で、踊り続けることを強要される。


 (終わりは、来るのだろうか……)


 画面の端には『(プレイヤーの涙は無視です)』と書かれていないが、その空白の部分に、悪質なシステムの笑顔が浮かんでいるような気がしてならなかった。


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