インフレ——あるいは、遊園地のアトラクション料金
## 1. 黄金郷の洗礼
禁断のRMTにより、有料エリア「エルドラド」へ足を踏み入れた私たちを迎えたのは、度を超した黄金の洪水だった。
地面が金色に輝いている。文字通り、土が金だ。踏みしめるたびに金属的な音がカンカンと鳴り、靴底に黄金のエフェクトが散る。
草も金。木も金。空に浮かぶ雲までもが、黄金のラメをまぶしたように煌めいている。成金趣味の極致。インテリアコーディネーターが見たら卒倒しそうなセンスだが、「課金した者だけが踏める大地」という優越感を演出するには、これ以上ないほど効果的だろう。
「さあ、元を取るわよ! 経験値10倍なんでしょ! 3,000円分の価値を搾り取ってやるわ!」
私は意気揚々とUR版レティシアの大剣を構えた。現在の攻撃力は、限界突破も進んで100万を超えている。Ver 1.0ではカンスト級。Ver 2.0でも「中堅」程度の火力はあるはずだ。
目の前に、最初の敵が現れた。
ゴールデン・ゴブリン。その名の通り全身が金箔で覆われた小柄なゴブリンで、頭に小さな王冠を被り、手には金の棍棒を持っている。可愛らしいというか、成金というか。
「いくわよ! これが課金エリアの雑魚なんでしょ!?」
渾身の一撃を叩き込む。
刃が黄金の肌に食い込み、派手なクリティカルエフェクトが炸裂し——
**Damage: 0**
ゼロ。
クリティカルヒットの演出は出ているのに、ダメージは完全にゼロ。
ミスではない。回避されたわけでもない。明確に「0」という数字が、黄金色のフォントで表示されている。
『System Message: 攻撃力が敵の防御力を下回っています。この条件下ではダメージは無効化されます。』
「防御力が……兆を超えてるってこと?」
「ううん、違うよレティシア」
マリエルが、RMTで手に入れた課金アイテム「解析グラス」をかけて敵のステータスを覗き込んだ。その安っぽいサングラスのようなアイテムが、敵の隠しパラメータを丸裸にする。
「こいつの防御力、**1兆**ある」
1兆。
1,000,000,000,000。
ゼロが12個。
私の攻撃力100万の、100万倍の壁。
「い、1兆……!? 雑魚ゴブリンが!?」
「うん。これが有料エリアの標準スペック。無料エリアの最強キャラじゃ歯が立たないように、明確な数値の壁が設計されてるんだよ」
ゴールデン・ゴブリンは、私の渾身の一撃を鼻くそほどにも感じていない様子で、金の棍棒をブンブン振り回している。なんなら少し嬉しそうだ。無料エリアから来た「お客さん」をからかって遊んでいるのかもしれない。
「3,000円払って入場したのに、最初の雑魚すら倒せないって、どういうこと……」
私は膝から力が抜け、黄金の地面に座り込んだ。
## 2. 産業廃棄物(産廃)の末路
「じゃあどうやって倒すのよ! 3,000円払って何もできないじゃない!」
「運営が答えを用意してくれてるよ。ほら」
マリエルが空を指差した。
見上げると、黄金の空に巨大なバナー広告が浮かんでいた。建物の壁に貼られた広告ではない。空そのものにプロジェクションされた、逃げ場のない全天球広告だ。
『★緊急実装★ UR [真・覚醒] 英雄王ゼノス』
『新スキル:防御無視攻撃(100%)! どんな敵の防御も貫通!』
『攻撃力:1,000,000,000,000(1兆)』
『期間限定ピックアップ中! 今なら初回10連半額!』
1兆。
私の攻撃力の100万倍。
「……桁がおかしい」
私は口を開けて呆然とした。
この新キャラを手に入れれば、ゴールデン・ゴブリンの防御1兆を貫通して1兆のダメージを叩き出せる。つまり「このエリアで遊ぶためには、このキャラを引け」という、露骨極まりない誘導。
「ちなみにね、レティシア」
マリエルが比較画面を表示した。
「これが前の周回で最強だった『SSR [全盛期] 英雄王』のステータスだよ」
そこには『攻撃力:10,000,000,000(100億・当時SSS評価)』と書かれている。
「……ゴミね」
素直な感想が漏れた。
かつて「人権」と呼ばれた最強キャラ。前の周回のガチャで血眼になって追い求め、何万という課金石を溶かして手に入れた至宝。
それが今、新キャラのおよそ100分の1の火力しかない。
「産業廃棄物(産廃)」という言葉がこれほど似合うアイテムがあるだろうか。
「怖い……。時間の流れが早すぎるわ」
「これがソシャゲの『賞味期限』だよ。最新こそが正義。1ヶ月前の最強は、今の最弱。そして1ヶ月後には、今の最強もまたゴミになる」
マリエルの声に感情はなかった。
それは、この世界の法則をただ述べているだけだ。感情を挟む余地などない、物理法則のような冷厳な事実。
## 3. 終わらない集金装置
「で、この新しい英雄王を引くには?」
「もちろんガチャだよ。UR排出率は全体で3%、ピックアップ対象が出る確率は0.5%。天井(救済措置)は300連。つまり最悪の場合、石を90,000個用意する必要がある」
「石90,000個って、リアルマネーで?」
「初回半額込みで、ざっくり4万円くらいかな。天井まで行かなければもっと安く済むけど、確率の女神が微笑んでくれる保証はないね」
4万円。
3,000円の入場料を払った先で、さらに4万円を要求される。
しかもそれは「最悪のケース」であって、ピックアップをすり抜ければもっとかかる。
「……3,000円の入場料を払ったら、中で4万円の商品を売りつけられた気分だわ」
「遊園地と一緒だよ」
マリエルが肩をすくめた。
「入園料はただの『権利』。アトラクション(戦闘)を楽しむには別料金がかかるの。ジェットコースターに乗りたい? 500円ね。お化け屋敷? 800円ね。VIPラウンジで休憩? 3,000円ね。気がついたら財布が空っぽ、でも楽しかったからいいよね? っていう」
「いいわけないでしょう! 楽しくすらないわよこの黄金の監獄は!」
だが、怒ったところで状況は変わらない。
ゴールデン・ゴブリンは相変わらず金の棍棒をブンブン振り回して楽しそうにしている。私たちがどれだけ叫ぼうと、壁は壁だ。
マリエルは涼しい顔で、再び虚空から「黒いカード」を取り出した。
「……また、それを使うの?」
「他に選択肢がある?」
ない。
正規ルートのリアルマネーは調達不能。ゲーム内通貨では購入不可。唯一の道は、闇市場を経由した「次元間決済」。
マリエルがカードを翳す手つきには、もう最初の時のような躊躇がなかった。
慣れ、というのは恐ろしい。最初は「これだけは」と思っていた禁忌が、二度三度と繰り返すうちに日常の所作に溶け込んでいく。
ピッ。
『決済完了。課金石90,000個を購入しました。』
手元に積み上がる虹色の石。
あとはこれをガチャに突っ込み、新しい英雄王を引くだけだ。
ガチャ画面を開く。十連ガチャのボタンが脈動するように光っている。
1回目。ハズレ。
5回目。ハズレ。
10回目。ハズレ。
20回目——
『★UR確定★ [真・覚醒] 英雄王ゼノス』
「……出た」
歓喜の声は上がらなかった。
ただ、淡々と「これで先に進める」という安堵だけが、疲弊した心に染み込んだ。
新しい英雄王のアイコンが、パーティに追加される。
攻撃力1兆。防御無視。確かに、これならゴールデン・ゴブリンも一撃だ。
試しに一撃を放つ。
**Damage: 1,000,000,000,000**
ゴールデン・ゴブリンが、金色の粒子となって消滅した。
フィールドに散らばる金貨とレアアイテム。
「倒した……」
だが、勝利の高揚感はなかった。
なぜなら、画面の端に、新しいお知らせが既にポップアップしていたからだ。
『★予告★ 次回大型アップデートにて、新エリア「真・エルドラド」実装予定!』
『推奨攻撃力:10兆以上』
10兆。
今手に入れたばかりの英雄王の、さらに10倍。
「……ねえマリエル」
「なに?」
「これ、永遠に終わらないやつでしょ」
「うん。知ってた」
マリエルは黒いカードをポケットにしまいながら、黄金の空を見上げた。
その瞳にはもう、希望の光はなかった。あるのはただ、「次の課金がいくらになるか」を冷徹に計算するプレイヤーの目だけだった。
兆を超える数値を出すためだけに、私たちは資産を溶かし続ける。
そしてその数値は、次のアップデートでゴミになる。
これが、インフレゲームという名の永久機関。
課金が力を生み、力がコンテンツを消費し、消費が新たな課金を要求する。
歯車は回り続ける。止まることを許されない。止まった者から、脱落していく。
私は金色の地面に座り込み、空を仰いだ。
黄金に輝くエルドラドの空は、美しく——そして、途方もなく冷たかった。




