第9章 Ep4:DLC——あるいは、3,000円の壁の向こう側
## 1. 黄金郷への招待
地獄のギルド生活にも、たまには光明が差す。
「やったわ! 新マップ解放のお知らせよ!」
ある朝、ログインと同時に華やかなバナーが画面を覆った。
金色に縁取られた豪奢なフレームの中に、息を呑むような美しい風景が描かれている。黄金に輝く大地。エメラルドの森。空にはオーロラ。
『★NEW AREA★ 黄金郷エルドラド 解放!』
『経験値10倍! レアドロップ率500%UP! 新ボス「ゴールデン・ドラゴン」実装!』
経験値10倍。レアドロップ率500%アップ。
これが本当なら、あの地獄の貢献度ノルマも一気に楽になる。毎日14時間の周回が7時間で済むかもしれない。いや、5時間でいけるかも。
そうすれば、睡眠時間が4時間から6時間に増える。人間らしい生活に一歩近づける。
「ここなら、あの地獄の貢献度ノルマもすぐに達成できるはずよ!」
「そうだね。行こうレティシア、黄金の都へ!」
マリエルの目にも久しぶりに光が戻っていた。ここ数日、完全な死に目だった彼女の瞳に、微かな希望の色が差している。
私たちは意気揚々と、新マップへのゲート(転移門)へと向かった。
フィールドの北端、崖の上に聳える黄金の門。周囲にはキラキラとした粒子エフェクトが舞い、荘厳なBGMが流れている。演出だけは一級品だ。
しかし、門の前には異様な光景が広がっていた。
大勢のプレイヤーが、門に入ることなく、ただ立ち尽くしているのだ。ある者は膝を折り、ある者は拳を握りしめ、ある者は無言で空を仰いでいた。まるで、嘆きの壁の前に集まった信徒のように。
「何事……? なぜ誰も中に入らないの?」
## 2. 通行料
「邪魔よ! 通して!」
私は人混みをかき分け、黄金の門に手を伸ばした。
冷たい金属の感触。指先がゲートの表面に触れた瞬間——
ピコン。
鋭い電子音とともに、無慈悲なシステムウィンドウが目の前に展開された。
『このエリアに入場するには「シーズンパス(Vol.1)」が必要です』
『価格:3,000円(税別)』
『お支払い方法:クレジットカード / 電子マネー / キャリア決済』
私は、三度読み返した。
ゴールドではない。課金石でもない。
**「円」** と書いてある。
日本円。現実世界の通貨単位。
「え……なにこれ。リアルマネー?」
「……出たよ」
マリエルが天を仰いだ。その声には、怒りとも諦めともつかない感情が込められていた。
「DLC商法。ここから先は『別売り』なんだよ。基本無料の範囲はここまで。続きがやりたければ金を払え、という運営からの最後通告」
「3,000円って……税込みで3,300円? このゲームの中で、現実のお金を要求されるの?」
「うん。ソシャゲの課金はゲーム内通貨を介するから間接的だけど、DLCは直接リアルマネーを請求してくる。より露骨で、より残酷な集金ゲートだね」
私は門を叩いた。叩いても、蹴っても、伝説の剣で斬りつけても、門は微動だにしない。
『購入してください :)』
ニッコリマーク付きのシステムメッセージが表示されるだけだ。
「そんな……! 私たちは、この世界に閉じ込められてるのよ!? リアルの身体は前世で死んでるし、この世界の外にクレジットカードなんて存在しないわ! どうやって日本円を払えっていうの!?」
周囲のプレイヤーたちも、同じ壁にぶつかっていた。
彼らの多くはNPC(この世界の住人)であり、「円」という概念すら理解できていない。ただ「何かが足りなくて先に進めない」という事実だけが、彼らを呆然とさせていた。
## 3. 禁じ手(RMT)
「物理的に無理じゃない! 日本の銀行口座もないし、クレジットカードの審査を受けたこともないわ! 公爵令嬢はVISAの審査に通るの!?」
私が門の前で頭を抱えていると、マリエルが不意に声を落とした。
「……方法なら、あるよ」
その声のトーンが、明らかにいつもと違った。
軽薄なRTA走者のノリではなく、暗い路地裏の取引を持ちかけるような、低く慎重な声。
「え?」
「いつかの周回の経済戦争、覚えてる? あの時のインフレで荒稼ぎした資産……あれの一部を、あたしはずっと別口で保管してたんだ。ループで没収されるたびに、ほんの一部を——暗号化して、世界の地脈の隙間に隠していた」
「隠していた……?」
「そして、それを闇ルートで『電子マネー』に換金してる」
「はぁ!?」
私の声が裏返った。門の前の群衆が一斉にこちらを見たが、そんなことは気にしていられない。
「RMT。ゲーム内の通貨やアイテムを、現実のお金で売買する行為。規約違反だけど、背に腹は代えられないでしょ」
マリエルは私を人混みから引き離し、物陰に連れ込んだ。
そして虚空から——彼女しか見えないインベントリの奥底から——黒いカードのようなものを取り出した。
それは、カードと呼ぶにはあまりに奇妙なオブジェクトだった。物質でありながらデータのような質感。この世界に存在してはならない「現実の決済手段」を模した、越境的なアイテム。
「これは?」
「いつかの周回でギルバートから裏ルートで入手した『次元間決済端末』。ゲーム内のゴールドやアイテムを、システムの認識する『円』に変換できる。利用手数料は30%取られるけどね」
「30%……! ぼったくりじゃない」
「闇市場の相場だよ。文句は闇の商人ギルドに言って」
私はそのカードを見つめた。
SE時代、規約違反の裏技は絶対に使わなかった。どれだけ理不尽な仕様でも、正規のルートで解決策を見つけるのが矜持だった。
だが、今の状況は違う。正規のルートが存在しないのだ。運営が用意した唯一の正解が「リアルマネーを払え」であり、そのリアルマネーを調達する正規の手段が、この世界には存在しない。
(規約違反か……でも、その規約を作ったのは、こんな理不尽なゲームを設計した運営じゃない)
「行くよ、レティシア。汚い手を使ってでも、あたしたちは先へ進む」
マリエルが黒いカードを門の決済端末にかざした。
ピッ。
『決済完了。シーズンパス(Vol.1)をアクティベートしました。』
重々しい音を立てて、黄金のゲートが開いた。
眩い光が溢れ出し、その向こうに金色の草原が広がっている。
私たちは門をくぐった。
背後で、入れなかったプレイヤーたちの視線が突き刺さるのを感じた。羨望と、憎悪と、諦めが混じり合った視線。
あの門の前に立ち尽くす者と、門をくぐれる者。
その差は実力ではない。課金力だ。いや、今回は「違法な課金力」だ。
「……ねえマリエル」
「ん?」
「私たち、完全に『ルール』を踏み越えたわね」
「うん。でも、このゲームのルールは最初から壊れてるよ。閉じ込められた住人にリアルマネーを要求する時点でね」
マリエルの声に迷いはなかった。
だが、その横顔には、どこか痛みを堪えるような影が差していた。
彼女もまた、自分の行為が「正しくない」ことは、わかっているのだ。
黄金のゲートが、背後で静かに閉じた。
それは、二人が完全に「運営のルール(規約)」を踏み越えた瞬間の、重い扉の音だった。




