第9章 Ep3:ギルド戦——あるいは、無給のブラック企業
## 1. 人権がない
「ソロじゃ無理。詰んだわ」
UR版の私に乗り換えてから一週間。レベルは順調に上がり、攻撃力も100万を超えた。だが、それでもイベントボスの制限時間内討伐には全く届かない。
敵のHPが3,000億の時点で、100万ダメージを30万回叩き込む必要がある。制限時間5分では物理的に不可能だ。
「ギルドに入ろう、レティシア」
マリエルが掲示板を検索しながら言った。
「ギルド?」
「このゲーム、ギルド所属ボーナスで攻撃力に+20%の補正がかかるの。さらに、ギルドメンバー同士でバフ(強化魔法)を共有できる。つまり、ギルドに入らないと——」
「人権がない、と」
「うん。まさにそれ。ソシャゲ界隈の定番セリフだね。『○○(特定のキャラや機能)がないと人権がない』。今の環境だと、ギルド未所属は人権なし。公式がそう設計してるんだから逃げ場がないよ」
私は額を押さえた。
かつてノクターン公爵領を「絶対に落ちないサーバー」にすると誓い、孤高のインフラSEとして戦い続けた私が、他人の軍門に下らなければ生存すら許されないとは。
マリエルが掲示板の中から一つのギルドを指差した。
『ギルド【不夜城】メンバー募集中』
『ランキング3位常連。ガチ勢のみ。ノルマあり。無言OK。非アクティブは即キック』
『参加条件:URキャラ所持、毎日ログイン必須、週間貢献度ノルマ達成』
「ここなら報酬が美味しいよ。ランキング上位ギルドは毎週レア素材がもらえるし、ギルド限定ガチャもある」
「『ノルマあり』って書いてあるけど……」
「大丈夫大丈夫。たかがゲームのノルマでしょ? あたしたち、八回もの世界崩壊を生き延びてきたんだよ? ノルマくらい楽勝楽勝」
マリエルが軽い調子で申請ボタンを押した。
数秒後。
『Your Application is Accepted.』
「受かった! URレティシアを持ってたおかげね!」
マリエルが無邪気に喜ぶ。
しかし、その笑顔は長くは続かなかった。
## 2. 貢献度という名のノルマ
ギルドチャットに足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
いや、空気というより「圧力」が変わった。深海に潜ったような、見えない水圧が全身にのしかかる感覚。
チャットログが次々と流れていく。
『[Member_014]:本日の貢献度、現在8,200万です。あと1,800万、21時までに達成します!』
『[Member_027]:ボス周回43週目。ドロップ率が下がった気がするんですが、気のせいでしょうか? →気のせいです。回しましょう。』
『[Member_003]:出勤前に朝イチで3,000万稼ぎました。報告します。』
異常な空気だった。
全員が全員、「貢献度」という数値に取り憑かれている。まるで数字の奴隷だ。
そして、チャットの最上部にピン留めされていたのは、ギルドマスターからの通達だった。
『Master [皇帝]:今月のギルド戦、目標は総合1位奪取です。全メンバー、毎日の個人貢献度を最低1億ポイント達成してください。これは義務です。』
1億ポイント。
私は計算した。フィールドの雑魚を1匹倒して得られる貢献度は約10,000ポイント。1億ポイントを稼ぐには、1万匹を倒す必要がある。1匹あたりの戦闘時間を5秒として、5万秒。約14時間。
「い、1億……?」
マリエルが目を見開いた。
「毎日1億なんて、ほとんど一日中ゲームしろってことじゃない!?」
「効率的な周回コースを使えば、1匹3秒で回せるよ」とメンバーの一人がチャットで教えてくれた。親切心からだろうが、その「3秒」という数字が逆に恐ろしい。秒単位で最適化された作業を、一日中続けるということだ。
続けてギルドマスターの通達が流れた。
『Master [皇帝]:未達者は週次査定の対象とします。2週連続未達は即キック(追放)。リアルよりゲームを優先できる者のみ、不夜城に残る資格があります。』
「リアルより……ゲームを……?」
その宣言に呼応するように、ギルドメンバーたちの「報告」が続く。
『[Member_042]:すみません、今日は残業で帰宅が遅くなり……』
『System:Member_042 was kicked from Guild [不夜城] by Master.』
キック。即座に追放。残業で遅れただけで。
『[Member_058]:申し訳ございません。子供が熱を出して病院に……』
『System:Member_058 was kicked from Guild [不夜城] by Master.』
子供の発熱で追放。
「……ひぃっ! 恐怖政治じゃない!」
私は思わず声を上げた。
「しっ! 静かに!」
マリエルが慌てて私の口を塞いだ。
「余計なこと言うとあたしたちも消されるよ! チャットログは全部マスターに監視されてるんだから!」
## 3. デスマーチ・リターンズ
それからの日々は、地獄だった。
いや、正確に言えば——懐かしい地獄だった。
朝6時。アラームが鳴る前に目が覚める。反射的に手が画面に伸びる。
デイリーミッション。スタミナ消費。ログインボーナス受け取り。朝一のルーティンを10分で片付け、そのまま貢献度稼ぎの周回を開始する。
昼12時。食事をしながら片手で画面をタップ。オート周回を設定しているが、5分ごとに「接続確認」のポップアップが出るため、完全に手を離すことができない。このポップアップ、明らかにプレイヤーを画面に縛り付けるための仕様だ。
夜20時。一日の大半をタップに費やし、ようやく貢献度が8,000万に到達。あと2,000万。締め切り(日付変更線)まであと4時間。
指が痛い。親指の関節が熱を持っている。画面を見る目が乾ききって、瞬きが痛い。
夜23時50分。9,800万。あと200万。
夜23時59分。9,980万。あと20万。
日付変更、10秒前——
『貢献度達成:100,000,000 / 100,000,000』
「……間に合った……」
私は床に倒れ込んだ。
横を見ると、マリエルも同じ姿勢で倒れている。彼女の目は完全に死んでおり、指だけが条件反射で画面をタップし続けていた。もはやゲームをプレイしているのではない。ゲームに「プレイされている」のだ。
「ねえマリエル……私たち、何のためにゲームしてるの?」
天井を見上げながら訊いた。
「報酬のためだよ……。ランキング1位になれば、『UR確定チケット』が貰えるから……」
マリエルの声は乾いていた。砂漠で絞ったスポンジのような声だ。
「そのチケットで強くなって、何をするの?」
「……次のギルド戦で、もっと効率よく貢献度を稼ぐんだよ」
「…………」
沈黙が落ちた。
それは終わりのない螺旋だった。
強くなるために働き、働くために強くなる。
しかも無給。いや、無給どころかマイナスだ。効率を上げるために課金石を消費し、スタミナを回復し、時にはリアルマネーを注ぎ込んでいる。
デジャヴだった。
前世のSE時代。終わらないデスマーチ。月曜の朝が来るたびに、「なぜ私はこんなことをしているのか」と自問し、「プロジェクトが完了すれば報われる」と自答し、しかしプロジェクトは永遠に完了せず、次のプロジェクトが始まり、さらに次が——
「社畜時代の方が、まだマシだったわ……」
私は虚ろに笑った。
「あの頃はね、少なくとも給料があった。残業代は出なかったけど、基本給はあった。社食のカレーは300円で食べ放題だった。有給は取れなかったけど、制度としては存在していた。でもこれは……」
「完全なる無給。むしろ課金してるから、お金を払って労働してる状態だね」
マリエルが天井に向かって乾いた笑い声を上げた。
「でも、指は止まらないんだよね」
その通りだった。
話しながらも、私の右手は無意識に画面をタップし続けている。日付が変わった瞬間から、新しい一日のノルマがリセットされる。また1億ポイント。また同じ地獄。
止まれば「居場所」を失う。
ギルドを失えば、ギルドバフの+20%が消える。
+20%が消えれば、今の周回効率が維持できなくなる。
効率が落ちれば、イベント報酬に届かない。
報酬がなければ、さらに弱くなる。
恐怖が、私を画面に縛り付けていた。
「失うことへの恐怖」——それこそが、このゲームの真の課金動線なのだ。
楽しさではなく、恐怖で人を動かす。素晴らしいUXデザインだ。SE的観点からは拍手を送りたいくらい。
だが、プレイヤーとしては——ただ、地獄だった。




