第8章 Ep10:サ終
## 1. 終わりの時
『サービス終了まで、あと10分』
画面中央に、無慈悲なカウントダウンが表示される。
赤い背景に、白い数字。その組み合わせは、どうしようもなく「終わり」を意味していた。
広場には、もうレティシアとマリエルの二人しかいない。
他のプレイヤーは皆、もっと早い段階で引退するか、最後の挨拶を済ませてログアウトしてしまった。あるいは、彼らはこの世界の終わりを見届けることなく、既に別のゲーム世界へ移民していたのかもしれない。
43日間の期間が、あまりにも短すぎた。
その間、レティシアとマリエルは、何をしていたのか。
毎日のデイリークエストを淡々とこなし、ログインボーナスを受け取り、イベントが存在しないゲーム世界を、ただ眺めていただけだ。
新しいコンテンツは追加されず、バグは修正されず、只々、サービス終了の日付が近づくのを、プレイヤーたちは無表情に見つめていた。
「……結局、SSRは引けなかったね」
マリエルがぽつりと呟いた。
その手には、余ったスタミナ回復薬が握られている。もう使う機会はない。
ゲーム内の財産。すべてが、今この瞬間に、無意味な数字へと変換されようとしている。
「クソゲーだったわね」
レティシアは吐き捨てた。
「課金誘導は酷いし、確率は詐欺だし、ゲーム性は皆無だし。ここまで完璧に設計された『搾取システム』は、見たことがない」
彼女の分析は相変わらず冷徹だった。だが、その背後には、「このシステムに騙された自分たち」への怒りも感じられる。
「うん。でも……」
マリエルは空を見上げた。
ソシャゲ特有の、書き込まれているが奥行きのない書き割りの空を。その向こう側には、何もない。ただのプログラムコード。でも、彼女たちはこの2ヶ月間、この虚の空を何度も見上げてきた。
「毎日ログインしてると、それが生活の一部になっちゃうんだよね。朝起きたら、デイリーをこなして。夜寝る前に、ログインボーナスを確認して。本当は、このゲームなんてどうだっていいのに。でも……」
マリエルの声が、かすかに震えている。
「やってみると、愛着が湧いちゃうんだ。このボタンの位置も、このBGMも、このキャラの立ち姿も。全部が、日常の一部になって……」
レティシアは、その言葉に何も返さなかった。
彼女とて、同じことを感じていたのだ。
ソシャゲは、まさにそのためにデザインされている。プレイヤーの時間を、少しずつ、着実に奪っていく。そして、その時間が積み重なることで、「もう止められない」という心理状態を作り出す。
それは、ギャンブル依存症と同じメカニズムだ。
彼女たちも、その完璧なシステムの中で、「中毒」になってしまっていたのだ。
「『最後の思い出』を作ろうか」
レティシアが、そっと提案した。
## 2. 最後の花火
『サービス終了まで、あと3分』
時間が圧倒的に加速していく。
カウントダウンは、容赦なく進んでいく。
10、9、8、7、6、5……
その数字が減るたびに、レティシアの心には、奇妙な感覚が広がっていた。それは、悲しみではなく、達成感でもなく、もっと複雑な感情だ。
「ねえレティシア。最後にこれ、使おうよ」
マリエルが取り出したのは、イベント配布アイテムの「打ち上げ花火」だった。
数週間前、イベント限定で配布されたアイテム。限定品という割には、実用性は皆無で、インベントリの肥やしになっていたものだ。
だが、その「肥やし」こそが、今この瞬間に、最も価値のあるアイテムだったのかもしれない。
「……そうね。持っていても仕方ないし」
レティシアは、そのアイテムをマリエルに渡した。
マリエルはそれを選択し、「使用」ボタンをタップする。
すると——
**シュゥゥゥ……ドン!**
夜空にドット絵の花火が上がった。
パーティクルエフェクトで描かれた、虹色の光の粒。本物の花火とは比べものにならないほど単純な描画。でも、その単純さが、かえって切実に見えた。
チープな演出。
だが、誰もいない広場で二人きりで見るには、十分な彩りだった。
マリエルが、次のアイテムを使用する。また別の花火が上がる。その向こう側には、もう何もない世界。だが、その「何もない」という虚無の背景だからこそ、花火の輝きが引き立つ。
「さよなら、あたしの爆死した3000個の石」
「さよなら、私の費やした無駄な60日間」
二人は、声を合わせて、つぶやいた。
それは、告別式のようなものだった。
ゲーム内の資産への。
ゲーム内の「友人」への。
ゲーム内の「思い出」への。
そして、このゲーム世界そのものへの。
『サービス終了まで、あと30秒』
マリエルは、レティシアの手を握った。
ゲーム世界では、二人のアバターは物理的に接触することはない。だが、この瞬間、マリエルはスマートフォンの画面越しに、レティシアの手を握った。
『サービス終了まで、あと10秒』
9、8、7……。
カウントダウンが進む。
レティシアは、この瞬間の重みを感じていた。
この広場での思い出。イベントボスとの戦い。ギルバート卿との対面(相変わらず弱い)。そして、マリエルとの出会いと、協力関係の構築。
すべてが、今この瞬間に、終わる。
「レティシア、次のループで会おうね」
「ええ。次はもっとマシな世界であることを祈るわ」
それは、彼女たちの約束だった。
ゲーム世界から別のゲーム世界へ。ループから次のループへ。彼女たちは、何度も何度も、新しい世界に送り込まれてきた。
そのサイクルの中で、今、第8周目が終わろうとしている。
3、2、1……。
0。
## 3. インフレの予感
プツン。
画面が暗転した。
音が消え、世界が闇に包まれる。
『Connection Lost.』
プレイヤーにとって、これ以上ない悪夢のメッセージだ。ゲーム世界への接続が失われたことを意味している。
これで終わり……かと思われた。
しかし。
暗闇の中に、新たなプログレスバーが出現した。
『Downloading Update Data...』
『Checking Resources...』
「……え? アップデート?」
レティシアの声が響く。
ゲーム内音声によるシステムメッセージ。でも、彼女たちはどうやって、声を出しているのか。ゲーム世界は既に終わったはずなのに。
『Welcome to [New World: Re:Dive] Ver 2.0!』
『大型アップデート完了! インフレの波に乗れ!』
画面が明るくなる。
新しいタイトル画面。だが、それは以前のものとは、明らかに異なっていた。
背景に流れている数字。それは、かつてのゲーム世界では見たことのない規模のものだ。
『最大LV 9999 解放!』
『ダメージ上限 100億突破!』
『新通貨「超魔法石」実装! 1個 = 100石の価値!』
『新ガチャレアリティ「SSR+」「UR」実装!』
サービス終了は終わりではなかった。
「別ゲー」レベルの大型リニューアルへの布石だったのだ。
ゲーム内の数値が、桁違いになっている。かつての最大ダメージが「1000」だったのなら、今は「100億」。つまり、数値の単位自体が変わってしまった。
インフレーション。
ゲーム業界における「救済」と称されるシステム。既存のコンテンツをすべて無意味にすることで、新しい「上位互換」コンテンツを導入する。
それによって、かつて課金して手に入れたSSRキャラも、新しいガチャで手に入る「UR」の前では、雑魚キャラ同然に成り下がる。
つまり、これまでのゲーム人生が、すべてリセットされるということだ。
マリエルは、その画面を見つめた。
彼女の目には、恐怖が映っていた。
だが、同時に、一種の希望も感じられた。
「……新しいスタートだ」
マリエルがつぶやく。
「次のインフレ展開では、みんな同じスタートラインに立つ。かつてのように、『課金者と無課金者の絶対的な差』がないかもしれない」
それは、幻想かもしれない。
インフレがあれば、新しい課金誘導も必ず伴うのだから。
だが、この瞬間、彼女たちにとって、その幻想は必要だった。
「インフレ……ね」
レティシアも、その言葉を咀嚼していた。
かつての安定していたゲーム世界は、完全に破壊される。だが、破壊されるからこそ、新しい何かが始まる可能性もある。
彼女たちの「敗北」は、新しい「ゲーム」の始まりへの扉を開くのだ。
『Restarting Game World...』
画面が再度暗転する。
だが、今度の暗転は、「接続失敗」ではなく、「再起動」だ。
新しいゲーム世界への準備だ。
もはや数値の暴力がすべてを支配する、桁外れの世界が幕を開ける。
二人は、その新しい世界への入口で、静かに待つ。
新しい敵が待っているだろう。新しい同盟者が現れるだろう。そして、新しい「ゲーム」が始まるだろう。
ギルバートのSRカードは、この時点ではまだ弱いままだ。だが、インフレの波の中で、彼も新しい形へと進化するはずだ。
だが、今はまだ。
二人は、新しい世界の入口で、新しい冒険の幕開けを、静かに待っている。
『New World Loading... 95%』
『96%』
『97%』
『98%』
『99%』
プログレスバーが、着実に進んでいく。
時間が動く。
新しい世界が、彼女たちを待っている。
『100%』
『Welcome to The Inflation Era!』
(第8章 完)




