第8章 Ep9:虚無期間
## 1. 祭りのあと
『イベント期間が終了しました』
システムメッセージが画面に浮かぶ。
同時に、画面から華やかなバナーが消える。かつて、「SSR英雄王 ピックアップガチャ」と書かれていた、虹色に輝く看板。その背後に描かれていた、勇壮な武官の絵。金色の輝きで彩られた、プレイヤーの欲望を刺激するための完璧な装飾。
それらすべてが、瞬間にして、画面から削除される。
代わりに表示されたのは、いつもの見慣れた「恒常ガチャ(誰も引かない)」のバナーだけ。ボタンの背景には、灰色の風景が描かれている。退廃的で、誰の心にも刺激を与えない、実在感の薄い描画。
このバナーは、イベント期間外の「通常ガチャ」を示している。ピックアップキャラクターは存在せず、低いレアリティのキャラクターたちが、彼を待つ者のない笑顔で並んでいた。
「……ねえマリエル。次のイベントは?」
レティシアが、マリエルに問いかけた。
その質問は、見慣れた儀式だった。毎週木曜日、イベントが更新される予定になっているはずだ。だが、今週の更新は……
「告知ないね」
マリエルの声は、かすれていた。
彼女は、ゲーム内のお知らせボードをスクロールしていた。新クエスト、新イベント、新キャラクター。通常であれば、毎週更新されるはずのコンテンツが、一つも表示されていない。
「新クエストは?」
「追加なし」
更新データも、ダウンロードもなく、ただ日付だけが変わった。
いわゆる「虚無期間」の到来である。
それは、ゲーム運営が「次のイベントの準備中」という意味だ。だが、同時に、プレイヤー側からすれば、「やることがない時間」という意味でもある。
レティシアは、ため息をついた。
前の周回で協力関係を築いた二人だが、この時期に失うものが大きすぎた。マリエルの爆死。二度の10連での敗北。そして、システムレベルで敗北不可能だという自覚。
それらが、彼女たちの心に、深い疲労をもたらしていた。
## 2. 過疎化する世界
「おはよう……誰もいないわね」
レティシアは広場のベンチに座った。
以前は多くのプレイヤー(アバター)で賑わっていたこの場所も、今は閑散としている。
イベントガチャが終了して、3日。
かつて、ここには数十のアバターが立っていたはずだ。ギルドのメンバーを待つ者。ワールドチャットで雑談する者。クエスト前の最後の準備をする者。
だが、今は。
レティシアとマリエル以外に、生きたアバターの姿は見当たらない。
代わりに表示されているのは、BOT(自動プログラム)のアバターだけ。彼らは、プレイヤーではなく、ゲーム内に配置された「装飾品」か「敵キャラクター」のようなものだ。人工的な動きで、同じルートを何度も巡回している。
「フレンドリストを開く」
レティシアは、かつての彼女たちの相棒たちの名前を確認した。
『勇者A 最終ログイン:5日前』
『魔導師B 最終ログイン:12日前』
『猫耳戦士 最終ログイン:30日前』
『獣人騎士 最終ログイン:45日前』
『聖騎士C 最終ログイン:60日前』
『[SR] ギルバート ログイン中』
「あらら。ほぼ全滅ね」
マリエルもリストを見て、ため息をついた。
「みんな、飽きちゃったんだよ。ガチャは渋いし、イベントは周回だし、スタミナはすぐ切れるし」
彼女たちは、このゲーム世界での「友人」だった。毎日、デイリーを一緒にこなした相棒たち。イベントで協力して、ボスを倒した仲間たち。
だが、イベントが終わると、彼らは静かに消えていった。
レティシアが確認した「勇者A」。彼との最後の交流は、イベント終了3日前の雑談だった。『次のイベントいつですか?』という問いに対して、『わかりません……』という返答。その数時間後、彼は、ずっとオフラインのままになった。
本当に、もう戻ってこないのだろう、レティシアはそう思った。
この周回で彼らとの友情を築いたはずなのに。イベントボスを一緒に倒した思い出があるはずなのに。
だが、ゲーム世界における「友人関係」とは、その程度のものなのだ。
「ワールドチャットはどう?」
マリエルが確認してみると——
『格安石販売! www.gem-sale.com』
『RMT高価買取! 安心の実績』
『レアアカ販売! 相場の30%オフ』
ワールドチャットを見ても、流れているのはBOT(自動プログラム)の宣伝だけだ。
「Real Money Trading」。つまり、ゲーム内のアイテムを、現実の金銭で取引するサービス。通常、ゲーム規約で禁止されている行為だが、運営の目を逃れながら、そのようなサービスが蔓延している。
かつてのこのゲーム世界は、活気に満ちていたはずだ。プレイヤーの声があふれ、雑談が繰り広げられ、新しい仲間との出会いがあった。
だが、イベントが終わると——
すべてが、取引業者の営業トークだけになってしまったのだ。
「これが……ソシャゲの末路?」
レティシアは、その言葉を形容詞として使うことに、ためらいを感じた。
「末路」というのは、何か終わりを示唆する言葉だ。だが、ソシャゲにはそのような「終わり」は存在しない。あるのは、「生き残った人間と、脱落した人間の分離」だけだ。
強い人間(課金者)だけが生き残り、弱い人間(無課金者)は、静かに去っていく。
その分離が、今この瞬間、目の前で起きている。
## 3. 重要なお知らせ
「空気が重いよ、レティシア」
マリエルがポツリと言った。
彼女は、ゲーム世界の「雰囲気」を敏感に感じ取っていた。画面の向こう側の、何か。コードとデータだけで構成されているはずの世界に、確実に存在する、ある種の「感情」。
「この雰囲気……知ってる。サービス終了(サ終)の前兆だ」
マリエルの声は、確信に満ちていた。
彼女は、複数のソシャゲを経験している「ベテラン」だ。その目と耳は、このゲーム世界の「死臭」を嗅ぎ取っていた。
「サービス終了? どういうこと?」
レティシアは、その言葉の意味を知らなかった。
「運営が『もう儲からない』って判断して、サーバーを畳むこと。そうなれば、この世界は消滅する」
「消滅……!?」
前の周回で経験した「岩盤破壊」は、ゲーム内における「ゲームオーバー」だった。だが、サービス終了は、違う。
「岩盤破壊の時みたいに?」
「もっと静かで、不可逆な終わりだよ」
マリエルの説明は簡潔だったが、その意味するところは深い。
岩盤破壊は、ゲーム内イベント。つまり、「ゲームの一部」だ。だが、サービス終了は、ゲーム自体の消滅。ゲーム世界そのものの破壊。
つまり、この広場も、スライムも、ガチャガチャ機も、すべてが消えてしまうということだ。
その想像をしていると——
その時。
二人の目の前に、赤字で書かれたシステム通知がポップアップした。
『【重要】サービス終了に関するお知らせ』
「……来た」
マリエルの顔色が青ざめる。
それは、彼女たちが無意識のうちに恐れていた通知だった。
死刑宣告にも等しい通知。
レティシアは、その通知をタップした。
『平素より本サービスをご利用いただき、ありがとうございます。』
『諸事情により、本年4月30日をもちまして、サービスを終了させていただきます。』
『これまで本サービスをご利用いただきました皆様に、心より御礼申し上げます。』
「……来た」
マリエルの顔色が更に青ざめる。
「43日」
レティシアが冷静に計算した。
「現在が3月18日。つまり、4月30日までは、43日の時間がある。この世界は、あと43日で消滅する」
「嘘でしょ……まだこの周回、始まったばかりなのに!?」
マリエルの声は、絶望に満ちていた。
前の周回で協力関係を確立した彼女たちの物語は、ようやく深まり始めたばかりだというのに。
だが、運営の決定は絶対だ。
彼女たちの意思とは無関係に、世界のカウントダウンが始まっていた。
カチン、カチン、カチン。
時間の針が動く音が、背景で静かに鳴り響いている。
もう、誰も止めることはできない。




