第8章 Ep8:天井
## 1. 詫び石の行方
「いくよ……今度こそ……!」
マリエルは運営から配られた3,000個の石(リベンジの機会)を握りしめ、再びガチャのレバーを回した。
かつて、このゲーム世界に入ってからの数日間で、彼女は何度このボタンを押したことか。その度に、彼女の心は揺さぶられ、期待と絶望を繰り返していた。
だが、今回は違う。
今回は「詫び石」だ。
その言葉には、一種の「正当性」が感じられる。運営が配ったのだから、当然のようにSSRが出るのではないか。そんな幻想を、マリエルは抱いていた。
レティシアは何も言わなかった。
確率は変わらないこと。詫び石も通常の石も、システムには区別がないこと。そして、過去の爆死から何も学んでいないマリエルを見つめながら。
金色の輝きを祈りながら。
マリエルの指は、画面に触れた。
『10連ガチャを実行します。魔法石 3,000個を消費します。よろしいですか?』
『はい』
画面が暗転する。
そして、再び、あのシーンが始まった。
**ゴロン、ゴロン、ゴロン……**
排出された玉が、画面上を転がり落ちていく。
一つ目の玉の色は——
**青色**(R確定)。
「あ……」
マリエルの声が引きつった。
青色。つまり、レアリティが低い。金色の演出もない。銀色でもない。ただの、青色。一つ目から既に、悪い予感が立ち込めている。
二つ目も青。三つ目も青。四つ目も青。五つ目も青。六つ目も青。七つ目も青。八つ目も青。
「あ、あ、あ、あ……」
マリエルの声は、もはや人間のものではなかった。それは、絶望の漏音。期待が砕け落ちていく、その音。
九つ目も青。
そして、十つ目。
最後の確定枠が、銀色に光った。
『[SR] ギルバート(機能制限版)』
「またアンタかぁぁぁ!!」
マリエルが絶叫した。
その声は、純粋な「怒り」ではなく、絶望と、自分自身への苛立ちが混じった、複雑な感情の発露だった。
なぜだ。
なぜ、また同じキャラクターが出るのか。
ゲームの確率は、本当に公正なのか。それとも、自分たちを「養分」として扱っている運営が、意図的に操作しているのか。
その場に崩れ落ちたマリエルを見て、レティシアは、その仮説を検証してみることにした。
3,000個の石は、数秒の演出と共に電子の彼方へ消え去った。
画面には、リザルト画面が表示されている。
SSR:0枚
SR:1枚
R・N:9枚
「操作されてる……! 絶対に確率操作されてるよこれ!」
マリエルが涙目で訴える。
その訴えは、ある意味で正しかった。だが、それは「意図的な操作」ではなく、「システム的な搾取」だったのだ。
その違いを、レティシアは理解していた。
## 2. 天井という名の絶望
「……ちょっと見せて」
レティシアは冷静にガチャの詳細ページへアクセスした。
ガチャ画面の隅には、小さく『詳細確認』というボタンがある。多くのプレイヤーは、その存在に気付かない。あるいは、気付いても、確率なんて見たくないという心理が、ボタンを押させない。
だが、レティシアは元SE。彼女にとって、「詳細」を確認することは、本能的な行為だった。
「ここね……」
ページをスクロールしていくと、米粒のような文字で、残酷な真実が記されていた。
『提供割合』
『SSR英雄王:0.7%』
『その他SSR(武僧・暗殺者):2.3%』
『SSR合計:3.0%』
『SR・R:97.0%』
「3%……」
マリエルがつぶやいた。
その数字は、ギャンブラーにとって、どれほどの絶望を意味しているのか。
「それだけじゃない。ここを見てほしいのだが」
レティシアが指差した項目は、『ピックアップ交換所(天井)』と題されていた。
『ピックアップ交換所:ガチャ1回につき「交換pt」が1pt貯まります。300ptで対象キャラクターと交換可能です』
「300ポイント……つまり300連ね」
レティシアは計算を開始した。
彼女の頭の中は、SEの時代に培われた、数値処理能力で満ちていた。
「1回のガチャに300個の石が必要。なぜなら、10連ガチャで3000個消費される、つまり1回あたり300個だから。つまり、300連は——」
『300連 × 300個 = 90,000個の石が必要』
「9万……」
マリエルが呆然とつぶやいた。
その数字は、彼女の生涯の財産の、何十倍以上だろう。
「今の私たちの収入は1日50個。クエストやイベントを合算しても、1ヶ月で1,500個が限界。つまり、天井に到達するには——」
『90,000個 ÷ 1,500個/月 = 60ヶ月』
「60ヶ月……」
『つまり、 **1,800日(約5年)** 。』
レティシアの計算は冷徹だった。
無課金プレイヤーが、天井システムを使ってSSRを獲得するのに必要な時間。それは、彼女たちの「ゲーム人生」に比して、どれほど長いことか。
「5年……!?」
マリエルの声は、もはや悲鳴だった。
だが、レティシアの言葉は、そこで終わらなかった。
「さらに恐ろしいことが書いてあるわ」
レティシアが指差した項目は、注釈欄の最下段だった。
『※交換ptは開催期間終了後にリセットされ、翌イベントには持ち越されません』
「……は?」
マリエルの思考が完全に停止した。
それは、絶望の最終形態だ。
「つまり、この天井は『イベント限定』ということね。つまり、このイベント期間中に300連できなければ、すべてのptはリセットされる。また一から始めるということ」
レティシアの声は、淡々としていた。だが、その背後には、「人間にここまでの搾取をされるシステムが存在する」という、深い怒りが隠されていた。
「それじゃあ、課金しない限り、天井は無理ってこと……?」
「正確には、課金したとしても、無限に課金し続けなければ到達不可能ということね」
レティシアは計算を続けた。
「3%の確率で引ける可能性。それは、300連中、平均で約9回。つまり、30回のSSR出現チャンスがあるということ」
「30回……?」
「だが、その30回は『期待値』に過ぎない。実際には、0回の可能性もあれば、1回かもしれない。そして、その1回が、ほしいキャラクターであるという保証もない」
## 3. 数学的敗北
レティシアは、さらに続けた。
「つまり、無課金でコツコツ貯めても、天井に届く前に期限が来てリセットされる。運良く3%を引けない限り、永遠にSSRは手に入らない」
レティシアは結論付けた。
「このシステムは、最初から『課金しない人間』を排除するように設計されているのよ。努力や継続なんて無意味。あるのは『払った金額』という絶対的な正義だけ」
その言葉は、マリエルの心の最後の砦を破壊した。
「そんな……じゃあ、あたしたちは一生モブキャラのまま……?」
そう。まさにそれだ。
彼女たちが何ヶ月間ログインし続けようとも、どれだけクエストをクリアしようとも、SSRキャラクターは手に入らない。なぜなら、そのキャラクターは、「金を払った人間」だけのための存在だからだ。
「確率論的にはね」
レティシアは空を見上げた。
そこには「SSR 英雄王」の煌びやかな看板が、あざ笑うかのように輝いていた。最高レアリティのキャラクター。最強の能力を持つ存在。だが、それは、貧しい人間にとって、永遠に手の届かない星のようなものだ。
「マリエル、目を覚まして。これはゲームじゃない。集金装置よ」
その言葉に、マリエルは反論することができなかった。
なぜなら、レティシアの分析は、完璧に正しいからだ。
ゲームの仕様は、すべての情報が公開されている。提供割合、天井システム、期間制限。すべてが、透明性の名の下に、「お客様が納得した上で、ガチャを引いてください」という建前で説明されている。
だが、その透明性の背後に隠された真実は、シンプルだ。
金がない人間は、ゲームをするな。
それが、この「基本プレイ無料」の世界における、本当のゲームルールなのだ。
二人は悟った。
この「基本プレイ無料」の世界における自分たちの立ち位置は、プレイヤーではなく、ただの「養分」であることを。
プレイヤーは、金を払った人間だけだ。
彼女たちは、その『プレイヤーの楽しみ』のために、時間と労力を費やす、NPCのような存在。
そして、その自覚は、彼女たちの心に、新たな絶望をもたらした。
単なる「爆死」ではなく、より根本的な「絶望」。
「このゲーム世界には、勝利など存在しない」という、システムレベルの諦念。
マリエルは、画面を見つめたまま、何も言わなかった。
レティシアもまた、静寂を保ったまま、空を見つめていた。
二人きりの広場に、落ちるのは、ログインボーナスを受け取る効果音だけ。
もう誰も、その音に喜びを感じることはなかった。




