第8章 Ep6:爆死
## 1. 運命の10連
「いくよ……!」
マリエルが震える指で [10回引く(3000個)] ボタンを押した。
世界が止まる。
いや、世界ではなく、彼女の心臓が止まったような錯覚だ。ボタンを押す直前、マリエルは深呼吸を三度した。この瞬間のために、彼女は60日間、毎日ログインしてデイリーをこなし、クエストをクリアし、地味な周回を繰り返してきた。
「来て……お願い……」
隣でレティシアが息を詰めている。元SEである彼女も、数値の重要性は分かっているはずだ。この3000個という石の重さを。
画面が光り輝く。
それは単なる「演出」ではなく、一種の儀式だ。ソシャゲの運営は、ガチャを引く瞬間の「期待」をできるだけ長く、できるだけ激しく、できるだけ美しくするために、何百時間もの制作時間をかけている。
**ゴロン、ゴロン、ゴロン……**
画面上を球体が転がり落ちていく。キャラクターが確定する前に、「玉の色」でレアリティが判定されるシステム。それはプレイヤーの心理を何度も揺さぶるための完璧な設計だ。
「あ、ああ……」
マリエルの声が震えている。
排出された一つ目の玉は、青色(R確定)。二つ目も青。三つ目も。四つ目も青。
「あ……」
期待は打ち砕かれるはずだった。
だがその時。
**キィィィン**
高い音が鳴る。システム音。ゲーム内に存在しないはずの、プレイヤーの心に直接響くような音。
五つ目の玉の色が変わる。
青色から——
**金色へ。**
「金だ! 金演出だ!」
マリエルが絶叫した。彼女の声は喜悦に満ちている。だが同時に、その目には恐怖もある。金色の玉が出たということは、SR以上が確定したことを意味する。しかし、SSRではなく、ただのSRである可能性の方が圧倒的に高いのだ。
「SR以上確定! ワンチャンSSRあるよこれ!」
でも、確率は?レティシアは計算していた。3%。たったの3%。残りの97%は、SRという現実に直面することを意味している。
「お願い、来て……! お父様(英雄王)……!」
レティシアも祈るように画面を見つめた。
この一回に、二人の(主にマリエルの)全財産と、この先のゲーム人生が懸かっている。そして、もしここで爆死すれば、次の10連ガチャまでは60日の歳月が必要になる。60日間、毎日毎日、貧乏な石を1個、2個と集めていく日々。
金玉が出た直後の、この一瞬。
それが、この周回における「最高の瞬間」かもしれないのだ。
## 2. 確定枠の悲劇
玉が次々と弾けていく。
光と音が、交互に交差する。ドット絵のキャラクターが、画面から浮かび上がっては消える。一つ目、二つ目、三つ目——
1. [R] 鉄の剣
2. [N] 薬草
3. [R] 王国兵士B
4. [R] 見習い魔術師
「……Rばっかりね」
レティシアがつぶやいた。その声は静かだが、明らかに焦っている。金の演出があったのに、その後は青い玉ばかり。世界の不公正を感じずにはいられない。
だが、マリエルは手を握った。
「大丈夫、最後の一枠! 確定枠が本番だから!」
最後の10個目——それは「確定枠」と呼ばれている。このシステムでは、10連ガチャの最後のキャラクターは、必ずR以上が保証されているのだ。つまり、金の玉が出た以上、ここに来るのは、SR以上のキャラクターに決まっている。
それが唯一の救いだった。
マリエルの心臓は、規則的なビートを忘れていた。代わりに、不規則に跳ね回っている。
**シュゥゥゥ……**
最後の玉が、画面の中央で回転を始める。
赤い光が、玉の中心から発せられる。その光は、徐々に明るくなっていく。黄色から、オレンジへ。そして——
**金色**
もう一度、金色だ。
玉が割れ、光の中からキャラクターのシルエットが浮かび上がる。
その一瞬、マリエルの脳内では、数千の可能性が、同時に展開していた。SSR英雄王。SR武僧。SR暗殺者。SR聖女。あるいは、SR魔導師。SR竜騎士。様々な可能性が、光の粒子の中で踊っている。
しかし。
光が散った時。
現れたのは——
眼鏡をかけた、神経質そうな中年男性。
肩身の狭そうな顔つき。どう見ても弱そうな雰囲気を全身から発している。
『[SR] ギルバート(機能制限版)』
『Type: サポーター』
『Rarity: ★★★★★(5つ星)』
フレーバーテキスト:『いつかの周回で秩序の姫君を裏切った、残念な賢者。この世界では能力が大幅に制限されている。』
「…………は?」
マリエルの顔から、すべての表情が消える。
それは、突然の停電のような喪失感。絶望の凝固。あるいは、死刑宣告を受けた瞬間の心理状態に近いかもしれない。
最後の確定枠。それは「SR以上確定」という安心感を与えるためのシステムだ。しかし、その安心感を見事に裏切ったのは、何ともアイロニーではないか。
彼女の目から、期待の光が消えた。
## 3. 賢者タイム
画面には無情なリザルトが表示されていた。
背景には虹色の光が舞っているが、それはただの装飾に過ぎない。真の情報は、テキストで表示されている。
**『ガチャ結果』**
SSR:0枚
SR:1枚
R・N:9枚
「なんで……なんでアンタが出るのよぉぉぉ!!」
マリエルが画面(虚空)を殴りつけた。音声通話があれば、耳をつんざくような絶叫だったはずだ。だが、ここはゲーム世界。彼女の叫びは、アバターが床を叩く音だけで表現されている。
「ギルバート……いつかの周回で裏切ったくせに、変なところで運命力を発揮しないでほしいわね」
レティシアが冷ややかな目でステータスを確認する。
**スキル1『バグチェック』**:『味方単体の防御力が小アップ(+8%)』
**スキル2『サポート』**:『毎ターン、チーム全体のHPを2%回復』
**パッシブ『残念な賢者』**:『敵との対面時、敵のATKが小アップ(+3%)』
……弱い。圧倒的に弱い。
いや、正確には、スキル自体は悪くない。だがSRキャラクターとしての「期待値」と比較すれば、明らかに下位クラスだ。この防御力+8%というスキルは、攻撃系のキャラに比べると、ゲーム進行に与える影響は微々たるもの。
「うそ……あたしの3000個……2ヶ月分の労働が……おっさん一人?」
マリエルはベンチに崩れ落ちた。
その目から、完全に光が消えていた。
数値で表現すれば、彼女のHP(心)は、1%を下回っているはずだ。あるいは「戦闘不能」という状態異常にかかっているかもしれない。
2ヶ月。
60日間の「基本プレイ無料」の世界における労働は、たったの3000個の石。そして、その石で手に入ったのが、何の役にも立たないサポーターのSR版。しかも、同じキャラクターが、今後も出続ける可能性は高い。上手くいけば、数回の重複で「ピックアップSSR英雄王」と交換できるだけのスターダストが貯まるだろう。だが、それまでには、さらに何千個の石が必要になるのだ。
レティシアは、彼女の横に座った。
「もうやめる……。こんなクソゲー、やってられない……」
マリエルの声は、かすれていた。涙声ではない。その逆だ。すべての感情が出し尽くされ、虚空を見つめているような状態。
画面の隅には、残酷な数字が表示されていた。
**『所持魔法石:51個』**
次の10連ガチャまで、あと2,949個必要。
毎日50個のログインボーナスで計算すれば——
**『次の10連まで、あと60日』**
その絶望的な数字が、彼女の心を完全にへし折っていた。
60日前の「現在」に戻るまでに、さらに60日の時間が必要になる。つまり、次にSSRを引く可能性は、120日後。その先。永遠に続く、無の時間。
レティシアは何も言わなかった。
ただ、黙ってマリエルの横に座り、二人で虚空を見つめるだけだった。
この瞬間が、この周回における「最初の絶望」だった。




