第8章 Ep5:ピックアップ
## 1. 輝くバナー
スタミナ回復待ちの虚無な時間。
残り時間は「01:45:23」。
レティシアは退屈をまぎらわせるために、メニューをいじくり回していた。ステータス画面、装備画面、スキル画面……様々な要素を確認していると、突如として——
ピカーン!
画面全体を覆う煌びやかな広告が表示された。
それは『ウィンドウ』というより『支配』に近い。画面の全てが、金色に覆われる。
『★★★ 新イベント開催! ★★★』
『★ 伝説の英雄、今ここに降臨! ★』
『期間限定! ピックアップガチャ開催中!』
背景が光に包まれ、それが段々と消えていく。
その中から、一人の男が現れた。
金色のオーラを纏った、美丈夫のイラスト。
長く流れる金髪。
鋭い瞳。
筋骨隆々とした体格。
そして何より、『圧倒的な存在感』。
それはかつて最初の周回でレティシアに婚約破棄を突きつけた王太子の父、英雄王の若かりし頃(全盛期)の姿だった。
実物の英雄王は、『くたびれたおじさん』だ。
顔もたるみ、髪も白く、体形も緩んでいる。
しかし、イラストの英雄王は『完全に別人』だ。
それは『理想化された』『美化された』『消費用に最適化された』、偽物の英雄王である。
『★ SSR [全盛期] 英雄王 ★』
『攻撃力:SSS』
『防御力:SS』
『魔法:S』
『スピード:A』
『固有スキル「王の威光」:味方全体の攻撃力50%アップ』
『ピックアップガチャ開催中!』
『限定期間:あと 5日 11時間 23分』
マリエルが気づいた。
「うわぁぁぁ! 来たぁぁぁ!!」
彼女がベンチから飛び起きた。
「レティシア見て! 英雄王だよ! 英雄王が来た!」
その声は、これまでのレティシアが聞いた『虚無』『諦め』『無力感』から、明らかに変わっていた。
それは『希望』。
それは『興奮』。
それは『衝動』。
「……ずいぶん美化されてない?」
レティシアは冷静に指摘した。
「私の知ってる英雄王はもっとくたびれたおじさんだったけど。なぜ、イラストと実物で、こんなに……」
「性能を見てよ! 性能を!」
マリエルはレティシアの質問を無視し、ステータス画面を指差した。
「攻撃力SSS! これはゲーム内最高峰の性能だ。そして固有スキル『王の威光』は味方全体の攻撃力50%アップ。つまり……」
彼女の瞳孔が開いている。
「この一人のキャラがいるだけで、全体の戦力が1.5倍になる。圧倒的だ」
## 2. 人権キャラ
「…………ふーん。強そうね」
レティシアの反応は冷淡だ。
「強そうじゃないよ、必須だよ!」
マリエルが叫んだ。
「これがいわゆる『人権キャラ』ってやつ!」
「人権?」
レティシアは耳慣れない単語に眉をひそめた。
「そう。このキャラを持っていないプレイヤーは、この先の『人権がない』の。つまり……」
マリエルの説明は速まった。彼女はゲーマーらしく、このゲームジャンルの『常識』を知っている。
「このキャラを持っていないプレイヤーは、マルチプレイで『キックされる』。高難易度クエストは『クリアできない』。ランキングでも『下位に沈む』。要するに、このキャラがないと『人として扱われない』ってこと」
「なんて殺伐とした世界なの…………」
たかがデータの有無で、人間としての尊厳まで否定されるとは。
それはゲームではなく『身分制度』だ。
『レアリティによる階級制度』だ。
「でも、これがあれば勝てる。今のあたしたちの『N・R編成』じゃ絶対にクリアできない第3エリアも、この王様がいればワンパンで突破できる!」
マリエルの目は既に『理性を失っている』。
彼女は『ゲーマー』から『ギャンブラー』へと、その瞳の奥で変身していた。
「マリエル、冷静に……」
「冷静に!? 何を言ってるんですか! あたしたちはずっと『弱いキャラで頑張ってた』んだ。そして『ずっと苦しんでた』んだ。でもこのキャラがあれば、その苦しみから解放される!」
マリエルは振り返った。
「レティシア、考えてみて。ずっと1ダメージしか出ない戦闘。ずっと敵を倒せない状況。それが、この瞬間に変わるんだ。『1ダメージ』が『50ダメージ』になる。『倒せない敵』が『ワンパンで倒せる敵』になる。その差って、何?」
「…………」
「それは『絶望と希望の差』だ。『奴隷と自由人の差』だ。そして、今、その差を埋める『唯一の手段』が、目の前にあるんだ」
## 3. 悪魔の囁き
マリエルは震える指で、現在の所持石を確認した。
『◆ 所持魔法石:3,051個 ◆』
そのテキストが、まるで『誘惑』のように画面に表示されている。
チュートリアル報酬1個。
ログボ、1日50個を60日積み上げて3,000個。
デイリー40個。
クエスト初クリア報酬10個。
そして、彼女たちが苦しみながら集めた、血と汗と涙の結晶だ。
「…………引ける」
マリエルがゴクリと唾を飲み込んだ。
その瞬間、彼女の『理性的部分』と『衝動的部分』が衝突した。
「10連、1回なら引けるよレティシア」
彼女の声は『誘惑者』のそれだ。
悪魔が、人間に『禁断の実を食べろ』と囁く時の声。
「待ちなさいマリエル。確率は?」
レティシアが冷静に質問した。
『★ 確率情報 ★』
『全体SSR排出率:3%』
『ピックアップ対象出現率:0.7%』
『SSR必ず出現保証:300連時(90,000個)』
「…………0.7%?」
レティシアは計算した。
0.7%は、統計学的に『ほぼゼロ』と等しい。
10回の試行では、0.7%の確率で成功する可能性は約6.8%。つまり、93.2%の確率で失敗する。
「なめてるの? ほぼゼロじゃない」
「でもゼロじゃない!」
マリエルが反論する。
それはギャンブラーの『最後の言い訳』だ。
「1回で引ける可能性だってある!」
確かにそれは真実だ。
0.7%の確率で『全盛期英雄王』が出現する可能性は、存在する。
100回に1回は、それが起こるのだ。
1000回に7回は、それが起こるのだ。
つまり、『この瞬間』が『その1回』である可能性は、確かに存在する。
その『可能性』が、マリエルを支配した。
彼女の瞳孔が開いている。
それはギャンブラーの目だ。
日々の周回作業で溜まったストレスと、一発逆転への渇望が、彼女の理性を蝕んでいた。
「引こうよレティシア。夢を見ようよ。このボタンを押せば、あたしたちは英雄になれるかもしれないんだよ?」
彼女の指は、既に『ガチャ実行ボタン』に向かっていた。
金色のボタンが、ドクンドクンと脈打つように見えた。
まるで『生きた心臓』のように。
まるで『誘惑の声』のように。
あと一押し。
その一押しで、天国へ行けるか、地獄へ落ちるかが決まる。
レティシアは、その『分岐点』で立ち上がった。
「マリエル」
彼女の声は静かだが、強い。
「そのボタンを押す前に、確認することがあります。いいですか?」
マリエルは、その声に我に返った。
レティシアの目に、『これまでのループで見た、彼女の真摯さ』が映っていたからだ。
「な、何ですか……?」
「『あなたが本当に望んでいることは、何ですか?』」
レティシアは、マリエルの顔を見つめた。
「キャラを手に入れることですか? それとも『キャラが出ることへの快感』ですか? それとも『このゲームから解放されることへの望郷念』ですか?」
沈黙。
マリエルは、その質問の『重さ』に気づいた。
「…………前のループでね、私たちは『協力』することの大切さを学んだ。ならば、この『誘惑』にも、一緒に抵抗できるはずです」
レティシアは、マリエルの手から『ガチャボタンへの指』を奪うように握った。
「あと2時間、一緒に『待ちましょう』。スタミナが回復するまで。その間に、『このゲームの本質』『この誘惑の仕組み』『そして私たちが本当に望んでいること』を、一緒に分析します」
マリエルの指から、ガチャボタンへの『接触』が失われた。
その瞬間、多くの『アクティブユーザー』たちが、彼女たちと同じボタンを押していることに、気づくはずだった。
このピックアップガチャの『誘惑』に、幾千もの人間が『抵抗できずに』『金銭を投下する』ことになる。
それが『ソシャゲビジネスの仕組み』だ。
それが『人間の心理をいかに完璧に理解した設計』かの証拠だ。
しかし、レティシアとマリエルは、それに『抵抗する道』を選んだ。
それは『最高の難易度』だ。
それは『最後の闘い』だ。
そして、それはこのゲームを『攻略する鍵』になるかもしれない。
カウントダウンは続く。
『あと 01:57:45』
『あと 01:57:44』
『あと 01:57:43』
その秒数の中で、彼女たちの『本当の戦い』が始まろうとしていた。




