第8章 Ep4:スタミナ切れ
## 1. 習慣化という罠
スライムを叩き続けること数十分。
最初は「虚無だ」「苦行だ」「ゲームなのに全然楽しくない」と文句を言っていたレティシアだったが、徐々にその目つきが変わりつつあった。
ボタンを押す。
ボタンを押す。
ボタンを押す。
それは反復作業だ。
それは習慣だ。
それは……中毒だ。
『Level Up!』
画面上部のレベル表示が「Lv.1」から「Lv.2」に変わった。
「…………あ、レベル上がった。攻撃力が+1されたわ」
声に微かな喜びが混じっている。それは、ほんの1ポイントの攻撃力上昇に対するものなのに。
「おめでとうレティシア。次は装備の強化クエストに行こうか」
「ええ。素材があと3つで『銅の剣』が作れるのよ」
クリックするだけの単調な作業。
だが、数字が少しずつ増えていく感覚には、抗いがたい中毒性があった。
それは『パチンコ』と同じメカニズムだ。
それは『スロット』と同じ快感だ。
それは『ギャンブル』と同じ報酬刺激だ。
思考を停止し、ただ提示された目標を消化する快感。
『+1』
『+1』
『+1』
その微細な増加を、延々と眺めることの奇妙な快楽。
レティシアは知らず知らずのうちに、ソシャゲの沼に片足を踏み入れていた。
いや、既に両足が沼に浸かっているのかもしれない。
「さあ次! 次のクエスト行くわよ!」
レティシアが勇んで「出撃」ボタンを押した。
その時点で、彼女は気づいていなかった。
『成長を感じたい』という欲望が、既に彼女を支配し始めていることに。
『次のボタンを押したい』という義務感が、既に彼女の神経を侵食していることに。
『やめられない』という感覚が、既に彼女の自由意志を奪っていることに。
## 2. 強制退場
ブブーッ。
不快なブザー音が鳴った。
それはゲームオーバーの音ではない。
それは『制限に達した』という警告音だ。
目の前に警告ウィンドウが表示された。
『⚠️ Stamina Insufficient ⚠️』
『現在:0 / 5』
『必要:2』
「…………え?」
レティシアは弾き出されるように、クエスト選択画面から「ホーム画面(広場)」へと戻された。
スマートフォン画面から『タップできない領域』に移動させられたような、そういった強制的な遷移だ。
「ちょっと! どういうこと!? 今いいところだったのに!」
レティシアの声に、明らかに『ゲームに没入していた』証拠が表示されている。
「スタミナ切れだよ。レティシア、走りすぎたね」
「まだ30分しか遊んでないわよ!?」
彼女の抗議は正当だ。実際、この世界に来てから1時間も経っていない。それなのに、もう『ゲームをプレイできない状態』にさせられてしまった。
マリエルが肩をすくめた。
「初期の最大値なんてそんなもんだよ。ランクが上がれば増えるけど、今はこれが限界。でもね、『ランクアップに必要な経験値』と『スタミナの自然回復速度』を計算すると……」
彼女も暗い表情だ。
「完全に『負のスパイラル』になってる。スタミナが少ないから、クエストが少ししかできない。だから経験値が少ないから、ランクアップが遅い。だから最大スタミナが増えるのが遅い。だから、さらにクエストができなくなる」
「つまり、『課金でランクを上げる』か『延々と待つ』か、どちらかを選ばなきゃいけないってわけね」
「その通り」
「汚い」
レティシアは吐き捨てた。
## 3. 石を割るか、時を待つか
ウィンドウには3つの選択肢が提示されていた。
『スタミナ回復方法:』
『1. [アイテムで回復]』
『 所持数:0個』
『2. [魔法石で回復]』
『 消費:1個(即座に5回復)』
『3. [自然回復を待つ]』
『 回復予想時間:2時間30分』
「…………あと2時間半?」
レティシアは絶句した。
「Nキャラの自然回復力は低いんだよ。SRならもっと早いんだけど。つまり『高レア度キャラの方が、スタミナ回復速度も速い』という完全な格差システムになってる」
レティシアは絶句した。
「続きを遊びたければ、2時間以上もこのベンチでぼーっとしていろと言うのか」
「そうだね。あるいは『課金石を消費する』という選択肢もあるけど」
「石を使えば回復するのね」
彼女の指は、既に [魔法石で回復] ボタンに向かっていた。
「待ってください。その石は『ガチャ用』でしょう。スタミナ回復に使ってたら、いつまで経っても3000個貯まらないじゃない」
マリエルが静かに制止した。
「…………っ!!」
究極の二択。
未来の強さ(ガチャで確率を引く)を取るか。
今の快楽(プレイ継続の快感)を取るか。
それは『ギャンブラー』と『禁欲者』という、二つの心の対立だ。
短期的な『爽快感』vs 長期的な『目標達成』。
「…………汚い。さすがソシャゲ汚い」
レティシアはギリッと歯噛みした。
「こちらの『遊びたい欲求』を人質に取って、石を消費させようとするなんて……!」
この仕組みを理解すると、それはもう『ゲーム』ではなく『心理操作の装置』に見えた。
プレイヤーを『快楽に酔わせて』『判断を曇らせて』『課金へと誘導する』。
それは『科学的に設計された搾取装置』だ。
「どうする? 割る?」
マリエルの問いかけに、レティシアは一瞬間が止まった。
実際のところ、彼女のアカウントには『石が足りない』のではなく『石を節約している』だけだ。何を思えば、この苦行を受け入れるのか。
だが。
「…………割らない!」
レティシアは叫んだ。
「この『理不尽さ』『汚さ』『搾取性』に対抗する唯一の手段が『無課金の意地』ですわ!」
彼女の目には、既に『闘志』が宿っていた。
それは前章のサバイバルゲームで見せた、『絶望的な状況下での抵抗』と同じ輝きだ。
「ならば、時間を待ちましょう。その間に『このゲームのシステムの脆弱性』を分析します」
レティシアはベンチにドカッと座り込んだ。
目の前には「あと 02:29:59」という無慈悲なカウントダウンが表示されている。
それはまるで、時間が『テキストで可視化されている』ようだ。
そして、秒数が減るたびに、レティシアの『無課金の意地』が試されていく。
『あと 02:29:40』
『あと 02:29:20』
『あと 02:29:00』
「待ってやるわよ! 無課金の意地を見せてやるわ!」
マリエルはベンチの隣に座り、スマートフォンで何かを調べ始めた。
「『ソシャゲの中毒メカニズム』『可変報酬スケジュール』『スキナー箱』……」
彼女は、この『罠の仕組み』を科学的に理解しようとしていた。
こうして二人は、ゲームの中で「何もしない時間」を強いられることになった。
それは『待つ』という行為だ。
それは『無駄な時間』だ。
それは『搾取される身体的感覚』だ。
これもまた、ソシャゲの『日常』の一部なのだろう。
実は最も恐ろしいのは、この『待ち時間』を『許容できるようになること』だ。
時間が経つにつれて、レティシアは『2時間待つ』ことを『当たり前』だと思うようになり始めていた。
それは『慣れ』だ。
それは『馴化』だ。
それは『依存』だ。
彼女は『理不尽さを受け入れる』という、最も恐ろしい適応をしていた。
かくして、無限のスパイラルは続いていく。
次へ、次へ、次へ……
終わりなき『ボタン連打の義務』へ。




