第8章 Ep2:チュートリアル
## 1. 強制誘導
自由に動けない絶望に打ちひしがれるレティシアの目の前に、パタパタと「妖精」が飛んできた。
それは明らかに『3Dモデル』だ。低ポリゴンで、不恰好で、ジャギジャギのテクスチャーで構成されている。だが、その場にはっきりと『存在』している。
「ヘイ! リッスン! 勇者様、起きてください!ハッピーデイ!」
甲高い声。
卵が割れるような、かん高い笑い声だ。
レティシアは本能的に、その妖精を蹴飛ばしたいという衝動に駆られた。
そして、その瞬間——ピン!——
視界のど真ん中に、巨大な「指アイコン」が出現した。アニメーションで上下に動き、一点を指し示す。その指は『[次へ] ボタン』を指していた。
『[次へ] ボタンをタップしてください』
『チュートリアルを開始します』
「…………なによこれ。邪魔よ」
レティシアが手で払いのけようとする。
しかし、指アイコンは半透明で、物理的には触れられない。3D空間にあるが、同時にUIレイヤーにも存在しているのだろう。
無視して歩こうとすると——ビビビ!——
見えない壁にぶつかった。スマートフォン画面の『タップできない領域』のように、完全に移動が阻害されている。
『チュートリアル中は移動できません。指示に従ってください』
『これはゲームの重要な説明です。スキップすることはできません。』
「はぁ? 私に行動の自由はないの!?」
「諦めてレティシア。ソシャゲのチュートリアルは『儀式』だから。教えてる気になってる開発者の自己満足。逆らうだけ時間の無駄だよ」
マリエルの声は完全に諦めの境地だ。彼女は過去のループで、乙女ゲームやカードゲーム、様々なジャンルのゲームを経験している。その中でも、チュートリアルほど『プレイヤーの意思を無視する仕組み』はないことを知っていた。
「でも強制ですか。これは……」
「そうだよ。『ゲーム側が決めた道筋』を歩まされるだけ。選択肢なんてないの。ゲーム側が『この順番で学べば理解できる』と決めたレールの上を、只々歩くだけ」
レティシアは奥歯を噛みしめた。
しかし、現状として彼女には選択肢がない。
虚空に浮かぶ [次へ] ボタンに、マリエルが指を当てた。
その瞬間——ピン!——
画面が切り替わる。
## 2. スキップ不可の紙芝居
背景が急速に変わり、王城の玉座間へと場面は推移した。
立ち絵のキャラクターが表示された。王様らしき人物が、玉座に座っている。その横には神父のような格好をした女性がいる。そして、何かの『力』が渦巻いているような、不穏な雰囲気のイラストも添えられている。
王様がしゃべり始める。
「かつて、この世界は光と闇の——」
「知ってるわよ! 7回も繰り返したんだから!」
レティシアが叫ぶ。
そのストーリーは、彼女たちが既に7周も体験してきた『このゲーム世界の根本設定』だ。乙女ゲーム、ファンタジー、ダンジョンゲーム……様々なジャンルに姿を変えてきたが、根本にある『世界観』は常に共通していた。
光と闇の戦い。
秩序と混沌の対立。
英雄と悪役の宿命。
しかし、会話ウィンドウの端には『SKIP』ボタンがない。
あるのは『AUTO』(自動読み進め)と『LOG』(テキストログ)だけだ。
『SKIP』機能は完全に削除されている。
「スキップがない…………だと…………?」
「うわぁ、一番ダメなやつだ。開発者の『あたしの考えた最強の設定を読め』というエゴを感じるね。『ゲーム性よりも、ストーリーテリングを優先する』という腐ったプライド」
マリエルはゲーマーとして、その選択に深く落胆している。彼女はこれまで、無数のゲームをプレイしてきた。良いゲームは、プレイヤーの時間を尊重する。良いゲームは、スキップ機能を用意する。なぜなら、プレイヤーがスキップしたいということは、『その部分に価値を感じていない』ということであり、それはプレイヤーのニーズに応えるゲームデザインの責務だからだ。
しかし、このゲームは違う。
このゲームは『プレイヤーの時間』なんて、ケロっと無視している。
二人は虚ろな目で、既知のストーリーを1行ずつタップして送り続けた。
「光と闇の戦いが始まった——」
「かつての英雄たちが立ち上がった——」
「しかし、秩序の側に背く者が現れた——」
同じテキストを何度も何度も。
その時間、実に10分。
スタミナは回復しない。(チュートリアル中は時間経過が無効化されているため、スタミナの自然回復も停止していた。つまり、この10分は『純粋な時間の浪費』だ)
ようやく紙芝居が終わると、背景が再び切り替わる。
## 3. ポチポチゲー
「では、戦闘訓練です! スライムを倒してみましょう!」
妖精がまた甲高い声で指示する。
画面が切り替わり、横スクロールのバトル画面になった。背景には草原が描かれている。
デフォルメされたレティシア(村娘)とマリエル(見習い聖女)が、敵側に棒立ちしている。そして正面には、やたらと可愛らしい『スライム』が置かれている。まるで、クッキーのような丸い体形だ。
ゲーム的には、『最初のチュートリアル敵』だ。
『Battle Start!』
『敵:Slime (HP: 5)』
『You: Leticia (HP: 12)』
『You: Mariel (HP: 15)』
「よし、剣で斬ればいいのね!」
レティシアが前に出ようとする。彼女はこれまでのループで、様々な戦闘を経験している。ダンジョン探索、剣戟、魔法戦闘……自身の意思で行動する、真の『バトル』を。
しかし、足が動かない。
『あなたの番です。[攻撃] ボタンをタップしてください』
大きく表示されたボタンが、画面下部に浮かんでいる。
「…………は?」
「コマンドバトルだよ、レティシア。自分で動く必要はないの。君の行動選択肢は、このボタンだけ。つまり『攻撃する』『防御する』『スキルを使う』『逃げる』みたいな、予め用意された選択肢から選ぶだけ」
レティシアは説明を受けながら、ボタンを押す。
すると、アバターが勝手に動いた。
ぬぅっ。
スライムの方へ走り、ペチッと殴ってから戻ってきた。
それは『戦闘』ではなく『アニメーション』だ。
プレイヤースキルは不要。
技術も戦略も関係ない。
『Damage: 1』
『You dealt 1 damage!』
「よっわ!! 何このダメージ!? 何ターンかかるんですか!?」
「Nだし装備もないし。こんなもんだよ。レアリティが低いんだ。これが『人権キャラ』だったら、1発で倒せるんだろうけどね」
マリエルの説明は、同時にゲーム内の『力関係』を示していた。
このゲームにおいて、プレイヤースキルは完全に無視される。重要なのは『キャラのレア度』『ステータス数値』『装備』『スキル』——つまり『課金で手に入る要素』だけなのだ。
スライムの反撃。
『Enemy Attack!』
スライムが跳ねた。それだけだ。
『Damage: 10』
「痛っ! ちょっと、避けるコマンドはないの!?」
レティシアがのけぞる。
「ないよ。被ダメージはステータス(防御力)と運(回避率)で決まるから。プレイヤースキルが介入する余地なんて、0.1ミリもないの。つまり、君はここでは完全に『操り人形』。ゲーム側が決めたステータスに従うだけの、その他大勢のNPCと同じ」
それは残酷な真実だ。
ただボタンを押すだけの「戦闘」。
戦略も、技術も、アクションも必要ない。
必要なのは「数値」だけ。
「こうなったら数値をぶん殴ろう」という方針で、10回ボタンを押し続けた。
『Damage: 1』
『Damage: 1』
『Damage: 0(Miss!)』
『Damage: 1』
『Damage: 1』
『Damage: 1』
『Damage: 1』
『Damage: 1』
『Damage: 1』
10回で約9ダメージ。スライムの体力は5だったので、余裕で倒した。
『Victory!』
画面が派手にキラキラ光る。
「…………何が楽しいの、これ」
レティシアは呆然と呟いた。
確かに敵は倒した。しかし、そこに『達成感』はない。『緊張感』もない。『工夫』も『試行錯誤』も存在しない。ただ『ボタンを押す』という作業を繰り返した結果が『自動的に勝つ』という状態だ。
「数字が増えていくのを見るのが楽しい……と思えるようになるまで、あと100時間はかかるかな」
マリエルも諦めの表情で答えた。彼女はこれまでのループで、様々なゲームの『虚無』を体験してきた。だが、これは違う。
これはゲームではなく『義務』だ。
『システム』だ。
『仕組み』だ。
『Reward』
『EXP: 10』
『Gold: 5』
『魔法石: 1個』
「ちょっと待ってください。『報酬』でも石が貰えるんですか?」
「そう。クエストをクリアする度に石が少量貰える。つまり、課金を全くしなくても、永遠にプレイし続ければ、いつかはガチャが引ける。ただし、その『永遠』は、人生より長いんだけどね」
チュートリアル終了。
『Tutorial Complete!』
『You have unlocked:Quest Menu, Battle System, Shop, etc.』
『Total Reward:』
『魔法石 1個』
「私の10分間、石1個分の価値しか……? つまり、1分=0.1個の石?」
レティシアは計算した。
「10連ガチャが3000個。ということは、3000分。つまり50時間。50時間、ボタンを押すだけで、やっと1回ガチャが引ける……?」
その現実が、レティシアの表情から全ての『やる気』を奪い去った。
レティシアの悲鳴は、虚しくメニュー画面に吸い込まれていった。
その音は、無限に続く『ポチポチ』という音に、かき消されたのだ。




