第7章 Ep7:エンダー
## 1. 目を合わせてはいけない
ネザーから無事生還した二人は、既にその次の段階へと突入していた。マリエルの乱獲したブレイズロッドは、スタック上限いっぱいまで確保されている。ブレイズパウダーもまた然り。次のステップへ向かうための触媒は、既に整っていたのだ。
だが、その前に。
一つ、重大な障害があった。
夜の平原。どこまでも続く暗い草地。その中で、二人は「黒い長身の怪物」を探していた。
「エンダーマン。プレイヤーを追跡する、このゲーム最強の敵対生物。だけど、ある一つのルールを知ってれば、それほど脅威じゃない」
マリエルが説明する。その声は教科書的で、まるで自分が発見者であるかのような確信に満ちていた。
「いい? レティシア。エンダーマンを見つけても、絶対に目を合わせちゃダメだよ」
「目を?」
レティシアは眉をひそめた。目を合わせる。その言葉は、戦闘のイニシアチブを取る、という古典的な意味ではない。この世界では、視線という情報そのものが、敵対判定をトリガーするのだという。
「目が合うと敵対モードになるから。攻撃態勢に入る。だから足元を見るのが鉄則! 相手の靴とか、地面を見つめる!」
「了解。足元を見て、決して目を上げない」
レティシアはそう誓った。その誓いは、ほんの数秒後に破られることになる。
何故なら。
突然の動きで、レティシアがふと視線を上げてしまったのだ。夜空の星を見ようとして。あるいは何か別の理由で。
その瞬間。
紫色に光る目が、レティシアの目と直線を引いた。
バチッッッッ!!
不快な効果音が、脳を直接揺さぶった。それはシステム警告音ではなく、敵意の具現化だった。
「あ、あ、あ……」
レティシアの体が固くなる。その瞬間、黒い身体が歪んだ。
ズンッ!
エンダーマンが、夜の闇の中から瞬間移動した。その身長は、レティシアの倍以上。四角い顔が、紫色の目で真っすぐに見下ろしている。その口が、ゆっくりと開き始める。
「きゃあぁぁぁ! こっち来たぁぁぁ!」
レティシアが悲鳴を上げた。その声は、ゲーム開始以来、最も高い音域で彼女が発した音かもしれない。
恐怖が全身を支配した。その黒い怪物の眼差しが、他のどの敵にも増して凶暴に感じられた。目を合わせたことで、何か深い層でのプログラムが発動された。そんな確信が、レティシアの直感を支配していた。
「今の装備なら勝てる! 足元を殴って!」
マリエルの指示が、かすかに聞こえた。その声に従い、レティシアは反射的に剣を振った。
ヴァン!
エンダーマンの脚部に剣が当たる。その黒い身体は予想以上に硬く、刃の手応えは確かだった。
だが、怪物は怯まない。むしろ、その目がより強く輝く。
「撃退しろ!」
マリエルが次々と指示を飛ばす。その言葉に従い、レティシアは刃を繰り返し下ろした。
ヴァン、ヴァン、ヴァン!
連続した斬撃。その度にエンダーマンが後退する。だが同時に、その脚部が傷つき、紫の粒子が飛び散る。
数秒の格闘。それは永遠のように思われた。
しかし、やがてエンダーマンは別次元へと逃げ去った。瞬間移動によって、その黒い身体が夜の闇に消える。
「やった……?」
レティシアは大きく息をついた。全身が汗でぬれていた。ボクセル体型だったはずなのに、なぜか現実的なほどの脱力感がある。
「お疲れ。あ、見てみて」
マリエルが指差した先には、緑色の真珠が落ちていた。
「エンダーパール。ドロップアイテムだよ。これが必要だったんだ」
「そ、そんな……目を合わせるだけであんなに敵対するなんて……」
レティシアは息を整えている。その時の恐怖は、単なるゲーム的な脅威ではなく、何か根源的な「知性による敵意」を感じさせたのだ。
「このゲームの怖さって、そこにあるんだよ」
マリエルは拾ったエンダーパールを握った。その翠色の光が、彼女の掌で反射する。
「生物が『目を合わせたら敵』という単純なプログラムに従ってる。ゲームなんて、結局そういう『記号的な判定』の集合体でしかない。目を合わせたら敵。触れたらダメージ。火に近づいたら燃える。そうした単純なルールの組み合わせで世界が出来ている」
マリエルのその言葉は、単なるゲーム解説ではなく、この虚構世界への冷徹な認識だった。
「……貴女は本当に、このゲーム世界を完全に理解してるのね」
「走者として、そのくらいは基本だよ」
## 2. 導きの目
夜が明け、新しい朝日がプレイヤーたちを照らした。ネザーの赤い常闇とは違う、まぎれもない地上の朝だ。エンダーマンを狩り明かした平原に、淡い光が広がっていく。
二人は迅速に、次のアイテムの合成へと進んだ。ネザーで手に入れたブレイズパウダーと、エンダーマンから奪った緑色の真珠。この二つを組み合わせることで、特別な『目』を作ることができるのだ。
レティシアが作業台で、パウダーと真珠を混ぜた。
シュウウウ……。
錬金の音。かすかな光。
完成したのは、不気味に瞬く「エンダーアイ」だった。それは、澄んだ翠色に紫色が混ざった、生きた眼球のような外見。まるで何かの生命体の目玉そのもの。
「これが……」
「これがあれば、ラスボスの居場所が分かるの」
マリエルは空に向かってエンダーアイを投げた。
ヒュン。
投擲と同時に、エンダーアイは地面を離れた。その軌跡は、紫色の光跡を引いて空中を進む。移動の方向は、北。何か吸引力に導かれるかのように、それは空を駆ける。
二人はそれを追い、草原を駆けた。
やがて、遠く地平線の彼方で、エンダーアイは速度を落とし始めた。そして最終的には。
ポトリ。
エンダーアイが地面に落ちた。その地点は、小高い丘のすぐ麓だった。
「ほら、あっちの方角に『要塞』がある合図だよ。エンダーアイは、ポータルの方向を示す。GPS機能付きのコンパスみたいなもん」
「なるほど……。GPS機能」
レティシアは感心した。この不便で、ボクセル状の粗い世界で、いくつかの親切設計が存在しているのだ。それはプレイヤーを完全に放置するのではなく、ボス戦までの道のりを『示唆する』ための配慮なのだろう。
「開発者も全てのプレイヤーを、右も左も分からない状態で放置するつもりはないみたいね」
「そりゃそうだよ。ゲームなんて、遊んでもらわないと意味ない。だから、さりげなくヒントを隠しておく。その隠し方が上手いゲームほど、遊び手は『自分で発見した』って気になって、ハマり込む」
マリエルのその分析は、ゲーム設計の本質を突いていた。
## 3. 地下の迷宮
二人は丘を越え、谷を越えた。
昼と夜を繰り返し、やがてエンダーアイが地面に吸い込まれる地点に到達した。その直下に、答えがあるはずだ。
「ここだ! この真下に要塞がある!」
「掘るわよ!」
二人は直下掘りを開始した。石ツルハシで、ひたすら下に掘り進む。土、石、深層岩を突破して。
数分後。
カキン。
硬い音がして、ツルハシが「苔むした石レンガ」に当たった。それは采配の砕ける音ではなく、『古びたブロック』との衝突音だった。
「あった……。要塞だ」
レティシアは掘り進め、より大きな空間を確保した。そこは、紛れもなく人工的な建造物だった。
カビ臭い地下迷宮。複雑に入り組んだ通路。鉄格子で仕切られた部屋。そして——図書室。
その図書室には、多くの本棚が立ち並んでいた。本。知識の蓄積。何か意味があるかのような配置。
「……何なんですか、これは?」
レティシアが本の一冊を手に取った。その表紙には、意味不明な記号が並んでいた。
『□□□□□□□□□□』
「走ったことのある世界にはね、たまに謎の文字とか、謎の建造物とか出てくるんだよ」
マリエルも本を開き、中身を確認した。しかし、そこにも文字ではなく、同じ記号の羅列しかなかった。
「変わってるね。こんな世界、初めて見た」
「もしかして……」
レティシアは思案した。この本たちは、何らかの『仕様書』の断片ではないか。このゲーム世界の設計図。あるいは、この世界を『管理』するための何か。
(……もしかして、この世界はただのサバイバルゲームではなく、意図的に『作られた隔離空間』なのでは……?)
その疑念は、後の展開で確信へと変わることになる。
だが、今は。二人は先を進むしかない。
「最奥部には、エンドポータルが待ち受けてるはずだ」
マリエルが、迷宮の奥へと進むよう促した。
二人は暗い回廊を進んだ。その通路の先には、宇宙のような星空を称えた『エンドポータル』が存在するはずだ。
「いよいよ最終決戦ね」
「うん。エンドラを倒せば、エンディングロールが見られるはず!」
二人は剣を握りしめ、暗い回廊へと足を踏み入れた。
その時点では、まだ。
エンディングが存在しないという恐ろしい現実に気づいていなかった。




