第7章 Ep8:ドラゴン討伐
## 1. 虚空の果て
ポータルに飛び込む瞬間、レティシアの感覚は完全に乱転した。
通常の次元転移とは異なる、無重力感。沈降と浮遊を同時に経験する矛盾。時間と空間の伸縮。
全てが一瞬で過ぎ去り。
次の瞬間、二人は『ジ・エンド』へと降り立った。
それは、言葉の持つあらゆる意味で「異世界」だった。
足元には、細い黒い柱のような塔。その先端には、牙のような結晶体「エンドクリスタル」が立ち、青白い光を放っている。その光の線は、空へと上昇し、何か巨大な生命体へと繋がっているかのような跡を示していた。
空は薄暗い紫色。太陽も月もない、永遠の黄昏。天井はなく、見上げると果てしない虚空が広がっており、その中には無数の『浮遊する島々』が存在していた。立方体の岩盤が、何の理由もなく空中に浮かんでいるのだ。
そして——無数のエンダーマンが、その闇の中を徘徊していた。
「これが……」
レティシアは言葉を失った。この空間は、もはや『ゲーム世界』という言葉では表現しきれない異界だった。それは、通常の自然法則を全て無視した、純粋なプログラムの可視化。数値化された虚無。座標軸だけで成り立つ世界。
そしてその中で。
「ギャオオオオオ!!」
絶叫が響き渡った。
その音源は、空を旋回する黒い影だった。翼を広げた、巨大なドラゴン。エンダードラゴンだ。このゲーム、いや、この隔離されたサーバー世界の『最終ボス』。
ドラゴンの体色は純黒。鱗は一つ一つが立方体のような形状で、その隙間から紫の光が漏れていた。その目は、エンダーマンと同じ紫色に輝き、プレイヤーたちの存在を確認した瞬間、殺意に変わった。
そして重要なのが——ドラゴンの体力を回復させている仕組みだ。
ドラゴンの周囲に存在する、高い塔の上のクリスタルから、青白い光の線が伸びている。その光はドラゴンの体を貫き、その傷を癒していた。つまり、ドラゴンは無敵状態。クリスタルが存在する限り、永遠に回復し続ける。
「見て。あの塔の上のクリスタルよ」
マリエルが指差した先には、確かに、複数の結晶体が立ち並んでいた。
「あれを全部破壊しないと、ドラゴンには傷を与えられない」
「了解。では、戦闘開始ね」
## 2. 最終兵器「ベッド」
レティシアは弓を構えた。矢をつがえ、次々とクリスタルに狙いを定める。
シュン、シュン、シュン!
矢が放たれる度に、クリスタルが爆破する。青白い光の線が、一本また一本と消えていく。
その傍ら、マリエルは別の手段を使っていた。丸石を積み上げ、クリスタルの位置する塔へと登り詰め、直接クリスタルを叩き割っていくのだ。
カッ、カッ、カッ!
硬い音が、虚空に反響する。その度にクリスタルが砕け、光の線が消える。
やがて、全てのクリスタルが破壊された。
その瞬間、ドラゴンは悲鳴を上げた。
「ギャオオオ!」
その咆哮は怒りであり、絶望であり、恐怖そのものを体現していた。ドラゴンが中央の祭壇(岩盤の泉)へと降りてくる。その速度は猛烈で、プレイヤーたちのいる地点へと接近した。
「今だ! レティシア、援護して!」
マリエルが何かをインベントリから取り出した。それは剣ではなく、弓でもなく——。
「何を出してるの?」
レティシアが問いかけた瞬間、マリエルが掲げたのは「ベッド」だった。茶色の木材と、赤い布地でできた、何の変哲もないベッド。
「おやすみー!」
マリエルはドラゴンの頭の直下にベッドを置き、躊躇なくその上に寝転んだ。
レティシアが叫ぶ。
「はぁ!? ボス戦の最中によく寝れるわね!? 戦意喪失するなぁぁぁ!」
「違うよ! これは兵器だ!」
その瞬間。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい爆発が、虚空に炸裂した。
ベッド自体が大爆発を起こしたのだ。その爆風は、ドラゴンを直撃し、その巨大な体を空へと吹き飛ばした。
黒い体が宙を舞う。その鱗から、紫の粒子が飛び散る。ドラゴンの体力ゲージが、ごっそりと削られた。
「え、何!?」
レティシアは混乱している。ベッドが爆発した。その物理的メカニズムが理解できない。
「ネザーやエンドで無理やり寝ようとすると爆発する仕様を利用した『ベッド爆破』だよ!」
マリエルが爆風を盾で防ぎながら、インベントリから新しいベッドを取り出した。
「RTA最強の攻撃手段! ボス戦では必須アイテム!」
「仕様がバグってるようなもんよね!」
マリエルは再びドラゴンの直下にベッドを置いた。ドラゴンが着地する瞬間を狙って。
ドゴオオン!
二度目の爆発。ドラゴンが再び吹き飛ぶ。
この繰り返し。
マリエルは一人、淡々とベッドを配置し続けた。爆風ダメージを受けても、耐久度の高い盾で防ぎながら。まるで自動処理機械のように、無心で爆破を続ける。
ドゴン、ドゴン、ドゴン……!
連続する爆発音。悲鳴を上げるドラゴン。虚空に広がる爆風と、硝煙と、砕ける岩盤と。
それはもはや『騎士の戦い』ではなく、『爆破テロリスト』の所業だった。
「これで……よし、もう一発!」
マリエルの声には、戦闘者の鋭さではなく、職人の黙々とした作業感すら感じられた。
最後の一発。
「トドメッ!」
ドゴォォォォォン!!!
最後の爆発と共に、ドラゴンが光の粒子となって砕け散った。
その体は四方八方に爆ぜ、虚空に消える。大量の経験値オーブが降り注いだ。
「やった! クリアよ! エンディングが来るわ!」
レティシアが歓声を上げた。虚空の中で、二人の声は響き渡る。
ボスは倒された。これで終わりだ。次は、この世界からの脱出。エンディングロール。あるいは、新しい世界への転生。
レティシアはその時点で、何ら疑念を抱かなかった。
## 3. 開かないエンディング
……しかし。
いつまで経っても、スタッフロールは流れなかった。
音楽も流れない。画面の色も変わらない。エンドポータルが開く『はずの』場所には、真っ黒な『岩盤』が敷き詰められているだけだった。
「……あれ?」
レティシアが眉をひそめた。
「出口がない?」
マリエルも、その異常を認識した。その冷徹な分析能力が、状況の不当性に気づき始めたのだ。
「どういうこと? バグ?」
レティシアが問い返す。しかし、その問いに答える者は誰もいない。
マリエルは黙ったまま、岩盤の隙間を覗き込んだ。
その先には——底なしの奈落が広がっていた。
ヴォイド。虚無。座標軸すら存在しない空間。そこに落ちたプレイヤーは、永遠に落ち続けることになるだろう。
「……まさか……」
レティシアが呟く。その声は、かすかな絶望を含んでいた。
「この世界には、まだ『下』がある?」
それが、この周回の大きな転換点だった。
ボスは倒した。しかし、クリアは来ない。エンディングは実装されていない。
この隔離されたサーバーは、プレイヤーたちを完全に『閉じ込める』ために造られたのだ。




