第7章 Ep6:ネザー
## 1. バケツ錬金術
装備と食料が整い、いよいよ異世界への進出が決まった瞬間、レティシアは何度も確認を取っていた。剣の耐久度、食料の数、回復用のベッド、そして地獄への道しるべとなる黒曜石製のゲート……全てのチェックリストを脳内で反復する。
「待ってください。黒曜石を採掘するんでしょ? ダイヤモンドのツルハシでも時間がかかるはずだわ。このタイムスケジュールで間に合うの?」
レティシアが眉をひそめて声をかけると、マリエルは相も変わらず余裕顔で、「いや、そこはね」と、空いた手をひらひらと振った。
「時間かけてアイテムを掘ることなんて、効率的じゃない。RTA式で行くね」
RTAとは——Real Time Attack。ゲーム攻略の最短記録を目指す走者たちが使う、あらゆる抜け穴を利用した速攻法だ。レティシアはIT用語ではそれを「スキップ」と呼ぶ。デバッグの時間を省く、プログラムの欠陥を逆手に取る行為。つまり……。
「まさか、またバグを使うつもり!?」
「バグじゃなくて『仕様利用』だよ。ほら、あっちのマグマだまり」
マリエルが指差した先には、地表近くで溶岩が盛り上がっている地点があった。そこはこの平原全体を照らす熱源の一つで、クリーパーたちもよく集まる危険地帯だ。
マリエルはインベントリから「水入りバケツ」を取り出した。素朴な木製のバケツに、黒ずんだ水が満杯に詰まっている。
「水と溶岩を接触させると、高温で硬化して黒曜石になる。これを利用して……」
そう言い終わる前に、マリエルはもう動いていた。
溶岩源に直接、バケツの水を注いだ。
シュウウウウ……!
凄まじい音とともに、白い水蒸気が吹き上がり、溶岩表面が瞬時に黒く硬化する。しかし、マリエルが採掘するわけではない。彼女は素早く、その硬化した黒曜石の周りに、別のブロック(石や土)を積み上げ、まるで型枠を作るかのように四角い枠を形成し始めたのだ。
(あ……理解した。彼女は採掘するのではなく、その場で形を作るつもりだ。流し込み鋳造の手法を使って)
レティシアが息をのむ。その発想は、確かに凡人のそれではない。黒曜石が落ちる前に速やかにブロックを配置し、まるで建築師のように四角い枠組みを完成させていく。
最後に、マリエルは一つの黒曜石ブロックで、枠の上部を塞いだ。
「よし、ゲートの枠ができた。あとは着火するだけ」
「はい、着火!」
マリエルが懐から取り出した火打石と鋼鉄のセットを打ち鳴らした。
カチッ!
火の粉が飛散する。その一粒が、黒曜石で囲まれた空間に着火した瞬間。
ヒュウウウウウ……!
不気味な低音の共鳴音が響き渡る。黒曜石の枠の内側に、紫色の液体のような波動が立ち上った。ちょうど水面が揺れるような、重い光の渦。その中心には、別の次元へと続く道が開いていた。
「なっ……!」
レティシアは身を乗り出してしまった。採掘せずに、ゲートを。たったの数分で。それもバグともいえない、単なるゲーム仕様の「創意工夫」だけで。
「こんな……時間短縮技があるなんて……」
「ゲームってのはね、『想定外の使い方』を許容する余裕があるんだよ。開発者が全てをコントロールできるわけじゃない。だから走者はそこに隙を見つける」
マリエルはサバイバルゲームの世界で、本来の攻略法を完全に無視していた。その姿は、聖女というより、システムの脆弱性を徹底的に突き詰めるハッカーそのものだった。
「さあ行こう。地獄へようこそ」
マリエルは黒曜石ゲートに向かって歩き始める。その後ろ姿を見つめながら、レティシアは改めて思う。
(この人、本当にこのゲームを味方に付けてる。ゲームシステムそのものが彼女の武器になってしまってる)
そして同時に。与えられたルール内で完全に最適化するレティシアと、ルール自体を改変してしまうマリエル。その両者が協力する時の相乗効果は、恐らく誰の予想をも上回るに違いない。
レティシアは決意を固めると、黒曜石ゲートの紫色の渦へと身を投じた。
## 2. 赤い世界
視界が激しく歪んだ。
吸い込まれるような感覚。次元の断絶を越える痛覚。耳朶を刺す高周波音。
全てが一瞬で過ぎ去り。
次の瞬間、レティシアは熱に包まれた。
「うわああああ! 何ここは!」
見渡す限りの赤い岩肌が迫ってくる。ボクセル体型の手足はぶら下がり、足元は不安定な岩の足場。そして眼下には……。
広大なマグマの海。
真っ赤な溶岩が地平線まで続き、時折、光る泡が表面で弾ける。天井からは無数の溶岩の流れが垂れ下がっており、まるで地面と空がマグマで繋がっているかのような奇景を呈していた。そのすべてが不自然に黄色く発光し、その光は熱を伴っていた。
「熱っ! 本当に熱い! こんなとこ、地獄じゃない!」
レティシアは思わず身を縮める。この世界での気温は、現実の数倍以上はあるだろう。皮膚が焼けるような感覚。目玉が乾きそうな乾燥感。息をするだけで気管支が痛い。
「そうだよ。ここはネザー。Hellみたいなもんだね」
マリエルは平然と歩いていた。その四角い体を適応させるように、彼女は既にこの環境を「理解」している。
「ここではね、重要なルールが一つ。ベッドで寝ようとすると爆発するから気をつけてね」
レティシアは首をかしげた。
「どういう理屈よ!? なんでベッドが爆発する必要があるの!?」
「この次元はプログラムの外にある領域だから、『リスポーン処理』が実装されてないんだ。だから無理やりベッドで寝ようとすると、システムがエラーを起こす。その結果が大爆発」
マリエルはあくまで冷静に、ゲームの仕様を解説していた。対して、レティシアは自分たちが歩んでいるマグマの橋の脆弱性に気が気でない。
「常識の通じない世界ね。本当に、あらゆる予測がぶっ飛ぶ」
「慣れるまでが大変だけど、適応した方が強いよ」
マリエルは丸石ブロック(このネザーでも採掘可能な最も簡素な建材)を取り出し、器用に足場を広げていく。
カチッ、カチッ、カチッ。
規則正しい足音が、マグマの嘶く音に混ざる。二人は徐々に、深い赤の大洋へと足を踏み入れていった。
「落ちたら全ロス(アイテム全没収)だからねー。一秒で燃え尽きるし」
「怖いこと言わないで!」
レティシアは橋の中央を歩く。両側を見ないように、足元だけを凝視する。ボクセル体型の足が、丸石の上で着実に前に進む。背後ではマリエルが、まるで日常散歩のように淡々と進んでいた。
(この人は何なのよ。この不気味な世界を、本当にゲームのように楽しんでいる。それとも、本気で恐怖の外にいるのか……)
レティシアはふと思った。マリエルは、ゲーム世界を「遊ぶ」のではなく「攻略する」存在なのだと。
その瞬間。
## 3. 豆腐との戦い
上空から、突如として機械音が響き渡った。
「キィィィィ……キィィィィ……」
赤ちゃんの泣き声のような、不気味な音。ノイズのような電子音。それは次第に大きくなり、やがてレティシアの脳天を貫いた。
「何? これ、何?」
レティシアが上を見上げた瞬間、その視界に巨大な白い物体が映った。
立方体。
純白のブロック状の体。浮遊する、このネザーの空を支配する怪物。その名はガスト。ネザーに棲息する浮遊生物であり、このゲームの中でも屈指の厄介者だった。
「あ、ガストだ。避けようよ」
マリエルが呟いたのと同時。
その白い豆腐の口が、ゆっくりと開いた。
ヒュオオオオ……
内部から、赤色に輝く球体が浮かび上がる。ファイアボール。純粋な炎の魔力。それが、ぐんぐんと膨れ上がっていく。
「危ない!」
レティシアが叫ぶ。しかし、マリエルは動じない。
むしろ、彼女の目は輝いていた。
「来たな。卓球タイム」
マリエルが剣を構えた。その構え方は、しかし戦闘というより、ラケットを握るそれに近い。
ガストの口から、火の球が放出された。
シュゴッ!
大気を熱で歪ませながら、炎の弾が飛来する。時速は相当なもので、通常の走者なら躱すことすら難しい。だが、マリエルは躱さなかった。
迎え撃つ。
カキンッ!!
硬い音が響いた。剣の刃が、火の玉に正面衝突する。その瞬間の反射角度は、完璧な入射角に対して180度。つまり、完全なバウンスバック。
「……は?」
レティシアは口をあんぐりと開けた。
魔法が。炎の玉が。物理的な『反射』をした。
まるで卓球のボール(ピンポン玉)のように。
「魔法を剣で弾き返した……?」
「『ガストの卓球』だよ」
マリエルは残心もそこそこに、次の足場を作り始めた。その冷ややかな声からは、この戦闘が何ら「特別」ではないことがうかがえる。
「基本テクニックだし。ネザーに来るならみんなやってるよ」
上空では、ガストが悲鳴を上げていた。自分が放った火の玉が戻ってきて、その白い体を焼いている。それでもガストは動こうとしない。むしろ、その浮遊速度が速まっていた。
「逃げたね。さすがに同じ手は二度と食わないか。RTA的には効率悪いけど、ここは深入りしない」
マリエルはガストを見送ると、再び丸石の橋を進んでいく。
「さあ急ごう。この先に『要塞』があるはずだから。そこがネザーの本体だ」
マリエルの背中を追いながら、レティシアは改めて認識した。
この世界でのマリエルは、かつての聖女のような頼もしさを発揮していた。いや、それ以上かもしれない。聖女は『正義』に従って戦ったが、今のマリエルは『効率』に従って戦っている。
その行動原理がすべて、「ゲーム仕様の悪用」「システムの脆弱性の徹底利用」に基づいていることを除けば。
レティシアは剣を握り直し、ネザーの赤き地獄の奥底へと進んでいった。




