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第6章 Ep7:違和感

## 1. 深夜の潜入作戦


 深夜、三時を過ぎた王宮。

 レティシアは寝室の窓からそっと身を乗り出し、周囲の警備体制を頭の中でマッピングしていた。ゲーム脳で言えば、これは「ダンジョン踏査」フェーズ。敵配置をスキャンして、最小検知距離内での移動経路を計算する。


「マリエル、見張り数は?」

「お嬢様、15分ごとに西棟の見張り兵が巡回します。あと、廊下の三箇所にセキュリティ用の魔法陣が設置されてますね」


 マリエルが事前に入手した「サーバーのパラメータ表示機能」で、各通路の警備フローを可視化していた。彼女のRTA走者的思考は、本当に便利だ。


「いい? ここから私たちは『ステルスクリアモード』で進む。一度でも警備兵に見つかったら、ゲームオーバー。全ループが無かったことになっちゃう」


 実は、フレデリックの発言によって、レティシアの中で新しい仮説が立てられていた。

 「生まれた時から見ていた」――その言葉が意味するのは、彼がレティシアのことを、第1ループの時点で既に認識していたということか。だとすれば、彼は何者なのか。単なるアタッチメント対象にしては、知り過ぎている。


 心臓の鼓動を整えるため、深呼吸をする。その時、レティシアの脳は完全に「謎解きダンジョン」モードに入った。感情ではなく、ロジックのみで問題を分解する。これが、元SEの強みだった。


「行くわよ」


 二人は暗い廊下を進む。石造りの廊下の冷たさが、足の裏を通じて伝わってくる。壁には肖像画が並んでいるが、薄暗い照明下では、その目が何かを訴えかけているように見えた。


 フレデリック専用の執務室に辿り着くまで、5分。警備兵の巡回パターンを完璧に回避して、二人は無事に目的地へ到達した。


「ここね」


 レティシアは執務室の中へ静かに滑り込む。月光が窓から差し込み、部屋全体をほのかに照らしていた。机の上には、厳選されたペン立てと、一冊の日記帳。あまりに簡潔に、あまりに「完璧」に片付けられた室内。


 これはゲーム用語的な表現を借りれば、「オブジェクトのバリエーション値が低い」。つまり、この男が人間らしい雑多さを、何らかの理由で意図的に排除している可能性が高い。


## 2. 隠し扉の先


「本棚の裏……よね」


 レティシアは大型の書棚を調べ始めた。本棚のバックエンドシステムを、セキュリティ的にスキャンする。第5章で培った「ピッキング(物理)」のコツと、マリエルの「バグすり抜け」能力を組み合わせれば、この程度の隠し扉は難なく突破できる。


 本棚の背面に、かすかな違和感を感じた。カンザシを差し込み、てこの原理で引き出すと、内部のロック機構が咄嗟に反応した。


「マリエル、バグコード入力して」

「了解です。えーと……天井のテクスチャに背景フローの矛盾をぶち込んで……ほい」


 マリエルが指を鳴らすと、見えない何かが――おそらくはゲーム内のセキュリティシステムが――その権限を一時的に失った。本棚がゆっくりと、音もなく奥に引き込まれていく。


 隠し扉。


 レティシアとマリエルは、互いに視線を交わした。その背後には、薄気味悪い雰囲気が漂っていた。


「……ここね」


 中に入った瞬間、レティシアの鼻腔が一瞬にして刺激された。


 甘ったるい香。それは、人間の体臭と、高級香水の混ざった、言語化しがたい匂い。同時に、紙の古びた匂いも鼻をついた。図書館の古書コーナーのような、黴のような、でもそれ以上に何か「人間的なもの」の腐敗臭も混在していた。


「うわ……何この匂い……」


 マリエルが奥へ進み、魔石ライトを点火した。


「お嬢様……」


 その声には、恐怖と驚愕が混在していた。


## 3. コレクション


 明かりが灯った瞬間、レティシアは悲鳴を上げそうになり、自分の口を両手で押さえた。


 ――壁一面。


 壁の全てが、写真で覆い尽くされていた。


 レティシアの写真が。


 第1ループ。彼女が転生したばかりの時代の、寝巻姿の自分。疲れて机に突っ伏す自分。髪を下ろして窓際で考え込む自分。全ての一挙手一投足が、高解像度で記録されていた。


「これ……1周目の私……?」


 レティシアは壁に近づいた。写真の下には、日付が書かれていた。転生当初の、ほぼリアルタイムの記録だ。


「こっちは2周目のRTA中の私……」


 2周目。マリエルと出会う前の時期の写真。銀行で融資書類にサインする自分。借金取りから逃げている時の自分。夜中にマッピングシートを引き出している時の自分。


 そして、もっと衝撃的な写真がある。


 マリエルと出会って、世界がフリーズ(ロード失敗)する瞬間の自分。その時、自分の表情は驚愕と困惑に歪んでいた。壁抜けバグで吹っ飛んでいる時の無防備な自分。敵兵に追われている時の、必死の形相。


 3周目、4周目、5周目……。


 全てのループが、全ての瞬間が、そこに記録されていた。


「待ってください。これは……」


 マリエルが視界を向けた先には、大型のガラスケースが設置されていた。その中には、遺物たちが陳列されていた。


「見てお嬢様……これ」


 マリエルの指が震えながら差したのは、第1ループでフリーズした時に身に着けていた、レースのリボン。その脇には、ドライフラワーのように干からびたスカーレット色のドレス地の切れ端。


 隣には、2周目で使用したポーションの空き瓶。薬液がこびり付いた状態で、標本瓶のように展示されていた。


 4周目で発行した紙幣。その上には、「初回の『失敗』記念」というラベルが貼られていた。


 5周目でレティシアが買った、靴のかけら。


 まるで、美術館の貴重品展示コーナーのように。


 いや、それ以上に。


「彼は……」


 レティシアの声は、かすかな震えを宿していた。


「私の全てを『収集コレクション』していたの……?」


 その時、レティシアの脳は複雑な推論を瞬時に完了していた。


 フレデリックは、彼女の恋人ではない。所有者ではない。


 彼は、「観察者」だ。


 ゲーム用語で言えば、不具合のあるキャラクターの挙動を調査する「デバッガー」のようなもの。あるいは、心理学的には、女性を「客体」として扱う、最悪のサイコパスだ。


 そしてその仮説は、次の瞬間に完全に証明されることになった。


## 4. 観測者の告白


「気に入ってくれたかい?」


 背後から声がした。


 レティシアとマリエルが同時に振り返ると、フレデリックが立っていた。あの完璧な笑顔のまま。目には、古代の遺跡を掘り出す考古学者のような、知的で、冷酷な光が灯っていた。


 だがその瞳の奥には、ハートマークなど存在しなかった。


 代わりに在るのは、「レンズ」だった。


 観察眼。スキャン機能。解析機能。あらゆるものを「データ」として記録する、プレイヤーの視点。


「殿下……これは……」


「美しいだろう?」


 フレデリックがゆっくりと、ガラスケースの中の遺物を撫でた。その仕草は、最高級の美術品に触れる時の優しさを持ちながら、同時に「気に入った玩具を手放さない子どもの執着」を宿していた。


「君が足掻き、苦しみ、そして死んでいく様は。本当に、美しい」


 彼の言葉は、ゆっくりとしていた。まるで、最高の映画を字幕で説明するように、一語一語に――狂気を込めた。


「私は、君の『バグ』が大好きなんだ。普通のヒロインにはない、予測不能な挙動。既存のシナリオを無視する、理不尽な死。その全てが――」


 彼はレティシアの頬に手を伸ばした。モザイク越しに、その指がかすかに触れる。


「――愛おしい」


 レティシアの全身が、凍りついた。


 これまで彼女が遭遇した「悪役」たちは、皆、何らかの「理由」を持っていた。支配欲、所有欲、自分の理想を押し付けたい欲望。だが、この男は違う。


 彼の愛情は、被験体への関心だった。

 彼の執着は、稀有なバグの記録だった。

 彼の狂気は、オタク的な偏執だった。


「だからこの国に保護したんだ。もう誰にも邪魔させない」


 フレデリックが、窓越しに王国の夜景を見つめた。その視線には、プレイヤーが自分のセーブデータを眺める時の、完全なる満足感が込められていた。


「君がバグり、壊れていく様を、特等席で永遠に愛でるためにね」


 ――逃げ場はなかった。


 元カレたちは「所有」しようとした。だがこの男は「観賞」しようとしている。


 彼らが怪物なら、この男は、怪物を客体化する、より高次の怪物だった。


 ある意味で、最もタチの悪い「プレイヤー視点」の狂気。


 そして、その瞬間、レティシアの中で一つの確信が生まれた。


 ――このシナリオは、もう「他者に頼る」段階ではない。


 彼女自身が、「ゲームをハックする」しか、道がないということを。


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