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第6章 Ep5:理想の王子

1. 玉座の間


 隣国の王宮。


 その建築様式は、最初に見た街の家々とは異なっていた。街の建造物が「統一されたテンプレート」であったのに対し、この王宮は「統一を超越した完璧さ」を体現していた。


 高い天井。煌びやかなシャンデリア。緋色の絨毯。柱には金箔があしらわれ、壁には油彩画が掛けられている。


 その最奥の玉座の間で、一人の青年が待っていた。


 金髪碧眼、長身痩躯。


 背中には、まるで発光エフェクトを背負ったかのような、正統派の王子様だった。


 フレデリック皇太子。


 彼の周囲の空気は、街の人々とは全く異なっていた。


 存在感。


 その言葉は抽象的だが、レティシアの脳は正確に検知していた。彼は「データ」ではなく、「意識」を持つ存在に感じられたのだ。


「よくぞ参られました、レティシア嬢。そしてマリエル嬢」


 フレデリック皇太子が微笑む。


 その笑顔は、街の人々の「コピペ笑顔」とは違い、知性と温かみがあった。その瞳の奥には、無限の深さが感じられた。


 そして何より——


「あの、殿下。申し訳ありませんが……」


 レティシアは、フレデリックの瞳をじっと見つめた。


 通常、好感度が無限に上昇した存在(ヤンデレNPC)には、瞳にハートマーク(❤)が浮かぶ。それは、この世界の仕様だった。


 だが、フレデリックの瞳には、そのハートマークがない。


 代わりに、そこには「知性」が宿っていた。


「……貴方の瞳に、ハートマークがありません」


 レティシアが指摘すると、フレデリックは笑った。


 その笑いは本物だった。感情的な起伏があり、自然な呼吸を伴い、プログラムされた反応ではなかった。


「よく気付かれましたね。確かに、私は……通常の『舞台装置』(NPC)ではないのです」


「何ですか?」


「それは、もう少し後で説明させましょう。まずは、旅の疲れを癒してください」


 フレデリックは、レティシアの前に膝をつき、彼女のモザイクだらけの手を取った。


## 2. 王子の儀礼


「殿下、このような無礼な姿で申し訳ありません」


 レティシアは深く頭を下げた。


「私たちは呪いを受けておりまして、このような見苦しい状態で……」


「気になさらず」


 フレデリックの声には、真摯さと優しさが溶け合っていた。


 彼はレティシアのモザイクだらけの手を優しく持ち上げ、その表面に軽く口づけを落とした。


「外見など些細な問題です」


 その動作は、古典的なヨーロッパ貴族の作法に従っていた。だが、それは単なる「儀礼」ではなく、心からの敬意が込められているように感じられた。


「私は貴女のソウルの輝きを見ているのですから。君という人間の、その本質を」


 レティシアの心が、微かに揺らいだ。


 1周目から5周目まで、彼女が受けてきた「好意」は、すべて呪いのようなものだった。一方的で、支配的で、個人の意思を否定するもの。だが、フレデリックの言葉には「君を『個人』として見ている」という、それ自体が稀少な感情が込められていた。


「きゃあぁぁぁ! 何このイケメン!?」


 マリエルが黄色い声を上げた。


 彼女は、もう完全に心を掴まれていた。


「レティシアお嬢様、ここが天国だよ! もうここに住もうよ!」


 その発言の直後、彼女のステータス画面には、すでに「好感度MAX」という表示が出ていたに違いない。


 フレデリックは、マリエルに対しても丁寧に接した。


「マリエル嬢も、同じく心より歓迎いたします。君たちが、この城で安全に過ごせるよう、あらゆる手配をさせていただきます」


「ありがとうございます! 殿下!」


 マリエルは、感激のあまり涙を流していた。


## 3. サンクチュアリ


 フレデリックは、二人に豪奢な客室を与えた。


 壁に沿って本棚。その中には、様々な言語で書かれた書籍が並んでいた。レティシアが一冊取り出してみると、それは「インフラストラクチャー設計論」という専門書だった。


 フレデリックが、わざわざ彼女の関心に合わせて、蔵書を選定したのだろう。


 食事も完璧だった。


 栄養バランスが計算された料理。素材の品質。調理の仕上がり。すべてが「最高級」だった。


 ドレスも。


 モザイク処理を考慮した、特別に設計された衣装。通常のドレスではモザイク特性によって皺が立つが、この衣装は「全身モザイク」を前提に作られていた。


 召使いの態度も完璧だった。


 彼らは、レティシアとマリエルを見下さず、侮蔑することなく、「ゲストとしての敬意」を持って接していた。


 国境の向こう側で起きている「ヤンデレ大戦争」が嘘のようだ。


## 4. 夜の疑念


「……信じていいのかしら」


 深夜。


 ふかふかのベッドの上で、レティシアは呟いた。


 窓からは、月光が差し込んでいる。


 隣の部屋ではマリエルが、すでに深い眠りについているはずだ。その部屋の窓から、規則正しい呼吸音が漏れ聞こえる。


 あまりにも都合が良すぎる。


 このバグだらけの世界で、なぜ彼だけが「正規の乙女ゲーム」のような挙動をしているのか。


 6周目というのに、なぜ急に「完璧な王子」が現れたのか。


「お嬢様は疑り深いなぁ」


 突然、隣の部屋からマリエルの声が聞こえた。


 彼女は、眠っていなかったのだ。


「たまには素直に甘えてもいいんじゃない?」


 マリエルが現れ、レティシアのベッドに横になった。


「あたしだって、ここまで良くしてくれる人を見たことない。疑うなんて失礼だよ」


「だが、リスク評価は必須だ。我々は、この世界で何度も死を経験している」


「そっか……」


 マリエルの表情は、一瞬曇った。


 だが、彼女の好感度無限化によって、その曇りはすぐに晴れた。


「でも、ここまで裏切られることはないと思う。あたしの『感覚』が言ってるんだ」


 レティシアは、マリエルを見つめた。


 彼女は、本来ならば「ライバル」であるはずだった。だが、好感度無限化により、彼女はレティシアの「最大の味方」へと変わってしまっていた。


「わかった。一度くらい、素直に信じてみようか」


 レティシアは、一度マリエルの手を握った。


 その時——


「レティシア」


 フレデリックの声が、心の奥底から聞こえた。


 いや、それは「声」ではなく、何か別の形式の通信だった。


 テレパシー?


 いや、正確には——


「……なんですか」


 レティシアが呟くと、フレデリックの姿が、闇の中から現れた。


 だが、その「姿」は、物理的には存在していなかった。彼は、むしろ「意識」のレベルで、このベッドルームに侵入してきていた。


## 5. ノイズの検知


「君の疑念は、正しい」


 フレデリックが語る。


 その声は、どこからともなく聞こえ、同時にレティシアの脳に直接響いた。


「だが、それでも、私は君を守りたい」


「何者です? あなたは」


 レティシアは、自分の「解析眼」を起動した。


 ステータス画面を確認しようとする。だが、そこに表示されたのは——


`ERROR: ADMIN_FUNCTION_DETECTED`


 エラーだった。


 それは、フレデリックが「この世界の管理者」に相当する権限を持っていることを意味していた。


「説明は、明日にしましょう」


 フレデリックの姿は、再び闇に溶けていった。


「今夜は、休んでください。君たちは安全です」


 その言葉の直後、レティシアは深い眠りに落ちた。


 だが、その眠りの中でも、レティシアの「解析眼」は、微かなノイズを感じ取っていた。


 それはまだ、決定的な警告アラートにはなっていない。


 だが、確実に何かが、この「完璧な世界」を蝕んでいるのだ。


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