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第6章 Ep1:モザイク令嬢と好感度無限

## 1. 卑猥な存在


 チュンチュン。

 明け方四時三十分。

 6度目の入学式の朝。


 レティシアは目を覚まして、すぐに浴室へ向かった。毎朝のルーティンである。この世界では、身だしなみ管理が重要なステータス値に直結している。SE時代の習慣で、朝の準備タスクリストを脳内で組み立てながら、鏡に向き合う。


「さて、今日も聖女マリエルと一緒に、この歪んだゲームシステムを──」


 鏡に映っているのは、極荒いドット絵のような、モザイクの塊だった。


「な……なにこれぇぇぇ!?」


 顔のパーツはおろか、体のラインすら判別不能。肌色も統一された灰色。眼球や鼻や口は、もはやポリゴン数ゼロの消失状態。ただ「人型の何か」がそこにいることだけが分かる状態だった。


 レティシアは鏡に近づき、触ってみた。モザイクは触覚的には実在しているらしい。本当のモザイク処理で、顔と体が「表現不可能レベルの不適切コンテンツ」判定されているということか。


 その瞬間、隣の部屋から悲鳴が上がった。


「お……お嬢様……? あたしも変だよ……!」


 マリエルが泣きそうな声で駆け込んできた。彼女もまた、全身モザイクの塊である。聖女のオーラも、美しい栗色の長髪も、完全に消失している。ただ、その「人型モザイク」の奥から、絶望的な声が漏れてくるだけだ。


「マリエル……お前も?」


「うん。朝起きたらこんなになってて。お鏡を見たら、自分が何だかわかんなくなっちゃって……」


『System Message: 6周目開始。ペナルティ適用』

『Penalty: Explicit Content Regulation (表現規制) - Duration: SCENARIO CLEAR or GAME OVER』


 システムメッセージが、二人の視界の左上に表示された。その直下には、詳細な説明が続いていた。


『Due to excessive emotional intensity and inappropriate content in previous routes, this route has been flagged for content regulation.』

『All visual representations and certain audio expressions will be subject to automatic censorship.』


「ふざけんじゃないわよ! 私たちが何をしたっていうの!? 前の周回での成功ルートなんて、完全にバグを活用した適正難度プレイだったじゃない!」


 レティシアの激怒が、文字テキストで表示される。


「ひどいよぉ! これじゃああたしの可愛さが(ピー!)じゃない! ボーイズラブゲームだって可愛い女の子に(ピー!)って……」


 マリエルの言葉の一部が、電子音で塗りつぶされた。まるで深夜テレビの放送禁止ワード処理そのものである。


「待てよマリエル。今のは……」


「そうだよ。もう、何も言えない。言葉が自動検閲される。どうやら、運営が『不適切』と判断したワードは全て自動検閲されるみたいだね」


 レティシアは脳内で状況を整理し始めた。前5周では「感情のオーバーフロー」に注意していたが、今度はそもそも「表現そのもの」が制限される。まるで、このゲームシステムが、彼女たちの存在自体を「成人向けコンテンツ」と判定しているのだ。


 実際のところ、バグだらけのプレイスタイル、予測不能な選択肢、常識外れの行動パターン。それらは全て、このゲームの「想定シナリオ」を大きく逸脱している。運営サイドからすれば、彼女たちの発言と行動は「危険思想」の塊だ。だから、ここまで徹底した規制を敷いたのだろう。


「で、これからどうするんですか……?」


「決まってるじゃない。このペナルティを『デバッグ情報』と見なして、システムの弱点を探すよ。どんな規制でも、必ず『穴』がある。それを見つけ出すのが、私たちの仕事よ」


 レティシアは決然と立ち上がった。モザイク処理された体が、ドット状に変形する。見た目は完全に「不可視の何か」だが、心理状態は変わらない。むしろ、この状況下での冷静な判断能力が、彼女の真の価値だ。


「マリエル。今日から、新しい攻略ルートを走り始める。目標は『このペナルティを外すエンドルート』の発見と実行。これは、前6周よりも難易度が高い。『ALL CLEAR』ではなく『サバイバル』レートでの進行になる」


「……了解だよ、お嬢様」


 マリエルは、聖女としての面持ちを引き戻した。どんなにモザイク処理されていても、彼女の「RTA走者としての本質」は変わらない。


## 2. 視線


 文句を言ってもモザイクは消えない。

 そもそも消すための『アンロック条件』が示されていない。


 レティシアとマリエルは仕方なく、モザイク姿のまま制服らしきテクスチャを着て、学園へと向かった。朝日が差す街路を歩きながら、レティシアは思考を巡らせていた。


 このペナルティが適用された理由は何か?

 前周回での「好感度システム」のオーバーフロー?

 それとも、システムそのものに対する侵襲的なアプローチ?


 SE時代の経験上、こうした規制装置は「システム側の過度な反応」である場合が多い。つまり、バグの一種。バグは、必ず「有限な修正パス」を持っている。その道を辿れば、この制限を外すことも可能かもしれない。


「レティシア、学園が見えたよ」


 マリエルの声で我に返る。


 校門をくぐった瞬間。


 異様な空気が、物理的に感じられるほど濃密に、二人を包み込んだ。


 校内の生徒たちが、全員、一斉に動きを止めた。授業の準備をしていた者、友人と話していた者、朝食をしていた者。すべての行動が、フリーズ画面のように停止したのだ。


 そして──


 一同が、ゆっくりと振り返った。


「……あの、モザイク処理された人影は……」


「……あれは、レティシア様では……?」


 いつもなら、レティシアはこのような視線を受けることがない。むしろ積極的に無視されるか、陰で悪口を言われるのが常だった。だが今、学園の全生徒が、一つの『プログラム』に支配されたような同期した動きで、二人の方へ注視を向けている。


 その目は、焦点が合っていなかった。


 もっと正確に言うなら、焦点が「一点」に集約されていた。つまり、みな同じ場所を、同じ強度で、同じ執着度で見つめているのだ。


 そして瞳孔の奥が、毒々しいピンク色のハートマークに染まっていた。


 そのハートマークは、静止画像ではなく、脈動していた。ドクン、ドクン、と心臓の鼓動に同期するように。


「お嬢様……あれ、何?」


 マリエルの声が、かすれている。


「あ……あ……好き……」


 まず一人の男子生徒がつぶやいた。その声は、人間の声というより、スピーカーから出力された『音声ファイル』のような、どことなく生命感に欠ける響きだ。


「結婚して……僕の子供を(ピー!)で……」


 別の生徒の言葉が重なる。内容はおぞましいが、その多くが検閲されて、電子音に変わっている。


「髪の毛……爪……全部欲しい……」


「お肌の一片でいいから、形見が欲しい……」


「一緒に死にたい……死にたくない、ずっと一緒に……」


 言葉は多くが『不適切表現』として検閲されているが、そこから漏れ出る『意思』だけは、痛いほど伝わってくる。


 ゾワリ、と悪寒が走った。レティシアの脊椎を、氷の指が這い上がるような感覚。


 これは「憧れ」や「恋心」ではない。


 もっとドロドロとした、執着と狂気の混ざった何か。さらに言うなら、個々の『人間』としての思考が消失し、全員が『同一のAIプロセス』に支配されているような、ぞっとする統一感だ。


「あ、あの……」


 一人の女子生徒がスマートフォンを取り出した。その画面には、『好感度メーター』が表示されている。


 赤色の表示。

 それも、標準的な上限値(100)を遥かに超えて、スケールの外まで振り切れている。

 さらに悪いことに、その数値は『∞(無限大)』の記号で表現されていた。


「私の好感度が……消えた……?」


「規制されたんだよ。もう、『好感度』という概念すら、システムが追跡不可能なレベルに達したってことさ。つまり──」


 レティシアの脳内に、暗い予測が立ち上がる。


「全員が、『既知のAIロジック』を逸脱した、純粋な『狂気』に支配されてる」


 その瞬間。


 ハッ、と。


 生徒たちの全員が、一度に息を吸い込んだ。


## 3. バイオハザード


「ねえレティシア、なんか雰囲気おかしくない?」


 マリエルの呼びかけも、もはや形式的な警告に過ぎない。事態は、既に「おかしい」段階を通り越していた。


「ああ。前回のログ解析通りなら、全員の好感度が『限界打破オーバーフロー』してるはずよ。ただ……」


 レティシアの言葉が、途中で消える。


 理由は単純だ。その瞬間、学園の全生徒が、一斉に『移動』を開始したからだ。


 一人の男子生徒が、最初に動いた。


 体育館前で、将棋をしていた二年生。彼は盤面を蹴り飛ばし、持っていた駒を一粒も落とさず、直線的にレティシアへと向かってくる。


「レティシア様ぁぁぁ!!」


 その声は、人間の声帯から発せられたものではなく、スピーカーから出力される『クリップ音声』のように聞こえた。それも、音量が段階的に増幅されていく。


「僕の人生の全てを捧げますぅぅぅ!!」


 彼の瞳は、既に『人間の色』を失っている。純粋な『ハートマーク』の集合体。その中には、一片の理性も存在しない。


「ヒッ!?」


 レティシアは反射的に逃げ出した。その刹那、彼女の脳内で『サバイバル・モード』が完全起動する。


 SE時代の『緊急トラブルシューティング』のそれと同じ。思考速度が段階的に上昇し、周囲の『脅威度』を自動計測するプロセスが開始される。


 男子生徒の走力:秒速6メートル。

 追跡距離:現在3メートル。

 警戒レベル:『ORANGE』を超えて『RED CRITICAL』。


 それを合図に、周囲の生徒たち――数百人の「愛のゾンビ」たちが、一斉に襲いかかってきた。


 そこには、もはや『個性』というものが存在しない。


 制服の色も、髪の毛の長さも、身体的特徴も、全て『モザイク処理』される前の『テンプレート人間』へと均一化されていた。


 まるで、『ゲーム内のNPC』が『AI処理上の上限』に達してバグ化したかのような、ぞっとする同期ぶりだ。


「マリエルちゃん! 閉じ込めて一生可愛がりたい!」


「レティシア様の歩く地面になりたい!!」


「一緒に死にたい……」


「永遠に監視したい……」


「全て奪いたい……」


 言葉は多くが『検閲処理』されているが、その根底に流れるのは『純粋な執着』。個々の思考ではなく、『群体としての狂気』だ。


 欲望が剥き出しだった。


 モザイク越しでも分かる殺気(ご愛)の波動。いや、もはや『殺気』という言葉すら生ぬるい。これは『消滅波動イレイズ・オーラ』。レティシアとマリエルを「存在そのもの」へと変質させようとする、物理法則の逆転現象だ。


「逃げるわよマリエル! 捕まったら今度こそ『ジャンル:成人向け』に直行よ!」


 レティシアが手を伸ばし、マリエルの腕を掴む。


「いやぁぁぁ! 乙女ゲームに戻してぇぇぇ!」


 マリエルは泣き叫びながら、レティシアに続く。


 二人は廊下を駆け抜ける。後ろからは、数百人の『愛のゾンビ』たちの足音が、太鼓のように鳴り響く。その音は、次第に増幅され、ついには学園全体の『共鳴周波数』となっていく。


 窓ガラスが割れ始める。

 壁が亀裂を入れ始める。

 床さえも、ボコボコと隆起し始める。


 6周目の学園生活は、初日の朝礼すら始まらないうちに、パンデミック・ホラーと化していた。


 そしてレティシアの脳内には、ただ一つの考えが反復処理され続ける。


『これを打開するには、このゲームシステムの『根本的な矛盾』を突く必要がある。好感度が無限なら、その無限性そのものを『ハック』する。つまり……』


 その時、彼女の視界に、一つの『ルート分岐点』が浮かび上がる。


『Option:SKIP TO BORDER ROUTE?』

『Destination: Neighboring Kingdom - Frederick Route』

『WARNING: Irreversible Choice』


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