第1章 Ep5:領地到着、インフラは死んでいた
王都を出発してから三日。
私の身体、特に下半身の耐久値(HP)は、物理的にも精神的にも限界を迎えつつあった。
「……ジェム、現在の馬車の振動レベルと、私のバイタルを教えなさい」
『了解、お嬢! 現在の振動は震度4から5を不規則に推移! お嬢のHP(体力)は残り12%、MP(精神力)は一桁台でレッドゾーン突入寸前だよ!』
ガタンッ!! ドスゴォンッ!
馬車が深い轍に落ち込み、凄まじい衝撃とともに跳ね上がった。私は危うく舌を噛みそうになりながら、座席に敷き詰めた自作の衝撃吸収クッション(スライムの粘液を加工したジェル内蔵)に顔を埋めた。
「酷すぎる……これが王都と公爵領を結ぶ主要街道だなんて、嘘でしょ……?」
馬車の小さな窓から外を覗き込む。
そこにあるのは、インフラとしての「道」ではない。ただの「泥と石の川」だ。
連日の雨でぬかるんだ未舗装の地面に、無数の馬車や荷車の車輪が深く食い込み、それが乾燥して固まり、また雨で抉れる……という最悪の悪循環(無限ループ)を数十年単位で繰り返した結果、月面もかくやという凸凹のハードコア・アスレチックコースと化している。
『足元の物理演算の処理限界を超えていますね。ただでさえ悪路な上に、馬車が地面に「沈み込む」ような不自然な挙動を繰り返しています』
黒のアーティファクトのスピーカーから、執務官AI・シャルルが冷静に分析結果を告げる。
『お嬢様、これは単なる整備不良ではありません。王都方面から断続的に発生している「巨大な演算負荷」――十中八九、あの聖女が引き起こしたオーバーフローや地形貫通バグによるラグ(処理落ち)の波紋が、この街道の空間座標処理にまで悪影響を及ぼしているのです』
「マリエルの残飯処理(エラーの皺寄せ)が、こんな所まで来てるってわけね……」
私は呻いた。
シャルルの言う通り、馬車の車輪は時折、泥の中で完全に動きを止め、そこから数コマ飛んで瞬間移動したように前へ進むことがある。深刻なラグだ。
『物流ルートのパケットロス率(通行不能・遅延率)は脅威の80%。王都からのデータ(物資や情報)が領地に届くまでに、通常の5倍から10倍のレイテンシ(遅延)が発生しています。控えめに言って、通信環境としては「死に体」ですね』
「知ってるわよ! だから今、私の尻が割れそうになってるんでしょ!」
私はクッションに顔を押し付けたまま叫んだ。
前世のIT知識で例えるなら、これはアナログ回線どころか、伝書鳩以下の通信速度だ。
あのクソ聖女・マリエルのRTA(超高速光回線・帯域独占)のワガママなパケット通信のせいで、ただでさえ脆弱なこの世界のサーバー(物理法則)が悲鳴を上げ、そのしわ寄せが辺境のインフラを直撃している。
私が対抗しようとしている「敵」は、魔王でも政敵でもなく、この世界のシステムそのものの限界だった。
## 2. クソゲーへの招待状
その日の夕刻。
泥まみれになり、車軸から不吉なきしみ音を上げ続ける馬車は、ようやく私の故郷――ノクターン公爵領の核心部たる領都「ノワール」に到着した。
大国の北方を守護する名門公爵家の城下町。本来であれば、活気あふれる市場と石造りの美しい街並みが私を出迎えてくれるはずの、感動的な帰郷シーンになるはずだった。
だが、馬車の扉が開いた瞬間、私を待っていたのは全く別の出迎えだった。
「……ッ、臭いっ」
第一声がそれだった。
街の空気を吸い込んだ瞬間、鼻腔を強烈に突く泥と酸の入り混じった異臭。
下水と生ゴミ、家畜の糞尿、そして何かが腐敗した匂いが複雑に混ざり合った、目眩がするほどの悪臭毒(デバフ空間)だった。
『大気中の衛生環境パラメータ、Red Zone(危険域)に突入しました。感染症のリスクが極めて高いです』
『うわ、ボス! 空気の解像度まで下がってる感じしない? 瘴気っていうか、ただの不衛生!』
シャルルとロキの警告を聞くまでもなく、隣に控えていた侍女見習いのアイリーンが、香水を含ませた真っ白なハンカチを私の鼻元へ素早く差し出してくれた。彼女の鉄面皮も、わずかに眉間にシワが寄っている。
ハンカチ越しに街並みを見渡す。
メインストリートらしき大通りも、かつては敷き詰められていたであろう石畳が至る所で剥がれ落ち、黒黒とした土が露出している。
道の両端には蓋のない側溝から濁った汚水が溢れ出し、丸々と太ったネズミ(低級モブ)が我が物顔でチョロチョロと走り回っていた。
すれ違う領民たちの衣服は一様に薄汚れ、すり減った靴を引きずるように歩く彼らの目には、希望はおろか、明日の生活に対する生気すら宿っていない。
街全体に、まるで彩度の低いグレーのフィルター(後処理エフェクト)がベッタリと掛けられているかのようだった。
「ひどい……数年前、私が王都の学園に向かう前は、まだもう少しマシだったはずなのに」
私が愕然としていると、広場に向けられた公爵家の古びた屋敷の扉が開き、一団がぞろぞろと出てきた。
「おお、ようこそお帰りなさいませ、レティシアお嬢様!」
先頭で大仰に両手を広げて出迎えたのは、ノクターン家の家令(現地の総責任者)を任されている男――ガロン男爵だった。
彼は、栄養状態の悪い領民たちとは対照的に、高価なベルベットの服が張り裂けそうなほど丸々と太り、脂ぎった顔に卑屈とも傲慢ともとれる薄ら笑いを貼り付けていた。彼の後ろには、やる気のなさそうな数人の使用人数名が頭を下げている。
「ガロン男爵。……ずいぶんと街の様子が変わっているようだけど、父様は?」
「はいはい、公爵閣下は王都での政務が大変にお忙しく、もう何年もこちらにはお戻りになられておりません。領地の管理は、すべてこの私、ガロンに一任されておりますのでご安心を」
ガロン男爵は、太い指で揉み手を作りながら、私の顔をじろじろと見下げた。
その目には、公爵家の令嬢に対する敬意はなく、明らかな「侮り」の色が浮かんでいた。
「しかし、学園に入学されたばかりのお嬢様が、なんの前触れもなく急にお戻りになるとは驚きましたぞ。さては、王都の華やかな生活や厳しい学業に馴染めず、ホームシックになられたのですかな? くくく……まあ、ド田舎ですから空気は良い(実際は強烈に臭い)ですし、水も豊か(ただの泥水)です。ゆっくりと傷心旅行でも楽しまれるとよろしいでしょう」
彼の態度は明白だった。
「どうせ何もできない、現場を知らない小娘が、王都から泣いて逃げ帰ってきただけだろう」。
適当におだてて屋敷の奥に押し込めておけば、自分たちの甘い汁(横領と怠満)は守れると確信しているのだ。
なるほど。すべて理解した。
典型的な「地方放置型・悪代官統治」の腐敗パターンだ。
中央(王都)の監視の目を盗み、現場の予算は徹底的に中抜きされ、維持管理の工数は完全に放棄されている。結果、このサーバー(領地)は物理的にも経済的にもダウン寸前まで荒廃している。
そして、そのシステムの腐敗を招いた元凶――無能にして強欲な害虫(管理者)が、今、私の目の前でヘラヘラと笑っているわけだ。
私は、玄関ホールの前に立ち尽くした。
見上げれば、屋敷の外壁の漆喰は剥がれ落ち、窓ガラスは曇り、かつて栄華を誇ったノクターン家の紋章彫刻は鳥の糞で汚れきっている。
『う、うーん……こりゃまた……想像以上にひっどいねぇ。廃墟寸前っていうか、もうレガシーシステム以下の「技術的負債の塊」じゃん』
ホログラムの向こうで、ロキがドン引きしたような声を出す。
『お嬢、お嬢。これ真面目に直す(リファクタリングする)の? コスト対効果が悪すぎるよ。普通にこんなクソ領地捨てて、他の国で「ニューゲーム」した方が絶対に早いし安全だよ!』
建築担当のジェムですら、絶望的な初期状態に匙を投げている。
四重奏(AI)たちの言う通りだ。
普通の貴族令嬢なら、この惨状と悪臭に絶望して泣き崩れるか、三日かけてでも再び王都へ逃げ帰るだろう。
マリエルのようなタイムアタック至上主義のゲーマーなら、迷いなく「クソゲー乙」と吐き捨てて電源を切り、RTAのチャートからこのルートを完全に排除するはずだ。
けれど。
「……ふフフフ」
無意識のうちに、私の口から小さな笑い声がこぼれていた。
「お嬢様?」
「ふフフ……あは、あはははは! なにこれ。最高じゃない! 何この救いようのないクソゲー(クソ領地)!?」
私は、汚れた玄関ホールの中央で、両手を大きく広げて大笑いした。
長旅の疲労など、一瞬で消し飛んでいた。
血管の奥深くで、何かが恐ろしい熱を持って滾るのを感じた。
それは、最悪の難易度を前にして燃え上がる「ドMなレトロゲーマーとしての魂」であり、
何より、バグだらけのスパゲッティコードと崩壊寸前のインフラ環境を目の当たりにして覚醒した――「地獄のデスマーチを生き抜いた、社畜ITエンジニアの血」だった。
バグだらけの仕様? 泥沼のプロジェクト? 無能な現場責任者?
上等だ。
燃えないわけがない。最初から完成された綺麗な世界なんて、運用保守するだけの日々で退屈なだけ。
絶望的なエラーログと、誰にも直せない腐りきったインフラ環境こそが、私のインフラ屋としての本能を最も刺激する極上の「好物」なのだから!
「アイリーン!」
「はい、お嬢様」
私の急なテンションの豹変にも、アイリーンは一切表情を崩さず即座に応じた。
「直ちにこの屋敷の執務室……いえ、一番広くて機材が置ける部屋(作戦本部)を確保しなさい!」
「は? レティシア様、長旅でお疲れではないのですか? まずはお休みになられては……」
見当違いな気遣いをしてくるガロン男爵を、私は冷水のような視線で射抜いた。
「寝てる場合じゃないわ! シャワー設備の水圧すら保証されていないこんな不衛生な更衣室(世界)で、私が安眠できると思って!? アイリーン、そこをどかない肉の塊(男爵)は物理的に排除(ドリルで威嚇)してちょうだい!」
「御意」
アイリーンがメイド服のスカートの奥から、ガキンッ! と重低音を響かせて巨大なドリルの先端を覗かせると、ガロン男爵は「ひぃっ!?」と情けない悲鳴を上げて道を開けた。
私は泥だらけのドレスの裾を翻し、呆気にとられる無能な管理者たちを無視して、屋敷の奥へと力強く足を踏み入れた。
「総員、戦闘配置! 権限の奪取を開始するわよ!」
「これより『ノクターン領・フルスタック再生プロジェクト』を起動する!
まずは現状分析! 全てのボトルネック、不正な金の流れ、技術的負債を洗い出しなさい!
明日の朝までに、この領地の腐った部分を、1バイト残らずリストアップして私の机に提出するのよ!!」
『『『了解!!』』』
私の狂気に満ちたプレッシャーと、四重奏たちの処理速度を限界まで引き上げる歓喜のレスポンスが、ボロ屋敷の玄関ホールに響き渡った。
マリエルがバグで世界を完膚なきまでに壊すのが先か。
私がこの絶望的なクソゲー環境を、完璧な神ゲー(要塞インフラ)へリファクタリングするのが先か。
華やかな乙女ゲームの王都の裏側、泥臭い辺境の地で。
インフラ狂いの令嬢による、もう一つの「地獄のデスマーチ」が今、高らかに幕を開けたのである。




