第5章 Ep9:真相
## 1. ダンプデータの断片化
王城から逃げ出して三時間。
川沿いの橋の下に身を隠した二人は、盗み出した「世界ログ」の解析に没頭していた。
泥と汚水。くぐもった臭い。蛍光虫がうなる暗闇。
最高のハッキングスポットである。
「見て、これ」
私はタブレットの画面を指差す。
液晶が泥で汚れているのか、画面の一部がノイズまみれだが、その奥に記された数値は明確だった。
```
[Warning Log: Year1246_M02_Final_System_Check]
Error: Variable "Money" Overflow.
Affected address: 0x1234ABCD
Memory value: -922京
Adjacent address: 0x1234ABD0
Adjacent variable: "Affection" (好感度)
Integrity: ╳ CORRUPTED
Spread: 47.3% of nearby buffer
```
「ちょっと待って。これ、四度目の世界の借金が……」
マリエルが画面に顔を近づける。
「そう。あの時のマイナス922京」
私は続ける。「コンピュータのメモリって、連続的に配置されてるじゃない。数値が大きすぎて格納できないと、溢れた部分が隣のメモリセルに流れ込むの。バッファオーバーフロー」
「つまり……」
「つまり、お金の値が暴走してメモリを破壊し、その破片が隣に格納されていた『好感度』まで侵食した。ウイルスみたいにね」
私は指をすべらせて、データをスクロールさせた。
ログの密度が高い。システムの悲鳴が記録されている。
```
[16:47:23] Buffer overflow detected in Affection field
[16:47:24] Maximum cap value: 100 → REWRITTEN → NULL
[16:47:25] Affection calculation: UNDEFINED
[16:47:26] NPC behavior prediction: UNSTABLE
[16:47:27] Emotional state tracking: LOST
```
「あ、これ。好感度の上限がNULLになってる」
「ええ。通常は『0〜100』とか『ハート5個』って上限があるじゃない。でもこの世界では、その上限を設定するアドレスが破壊された。つまり、好感度は『青天井』。無制限」
マリエルが深呼吸した。
「つまり、NPCたち全員が、あたしたち(特に君)に対して、際限なく好きになるってわけ?」
「そういうこと。理論上はね」
## 2. 異常なNPCリスト
タブレットをもう一度スクロール。
その先には、既に異常値を記録し始めているキャラクターのリストが出力されていた。
```
[NPC Affection Status Report]
隣国の皇太子フレデリック
Standard Value: 65/100
Current Value: ERROR
Status: 計算不可。システムがreadできない領域にアクセス
ギルバート(情報屋)
Standard Value: 42/100
Current Value: 2147483647
Status: int値の最大値に到達。次の演算でオーバーフロー発生予想
王妃エスターローラ
Standard Value: 18/100 (好意の上限)
Current Value: UNDEFINED
Status: 上限なし計算中……計算に失敗。フリーズ
モブA(町の衛兵)
Standard Value: 0/100
Current Value: 99999999.9999
Status: ポインタ破損? 何かに好意を持たされている
```
私は額を抱えた。
「コンピュータの世界で『無限』ほど危険な値はないの。数値が大きすぎるとCPUが処理しきれず、フリーズするか、あるいは完全に挙動がおかしくなる」
「いわゆる……」
「ヤンデレ化よ」
言葉が決定的に聞こえた。
「あと、これを見て」
マリエルが画面をさらにスクロールさせた。
そこには、世界全体の「安定性レポート」が記されていた。
```
[WORLD STABILITY ANALYSIS]
Baseline Integrity: 85.2%
Current Load Factors:
├─ Chapter 5 Stealth Mode Hitbox (3x multiplier): +15.8% Load
├─ Security Breach (Coordinate Paradox): +8.3% Load
├─ Affection Memory Corruption: +23.4% Load
└─ [OTHER CASCADING FAILURES: CALCULATING...]
Estimated Time to Critical Failure: 7h 43m (± 2h)
Recommendation: IMMEDIATE RESET REQUIRED
```
「あぁ。やっぱり」
私は静かに呟いた。
「何が?」
「この世界、限界を迎えるの」
## 3. 崩壊の予兆
その瞬間。
タブレットが鋭い警告音を発した。
```
『CRITICAL SYSTEM WARNING』
『World Consistency Check: FAILED』
『Initiating Forced Reset Sequence』
『Estimated Reset Time: 2.5 hours』
```
「来たか。やっぱり」
私は天を仰いだ。
橋の上から、薄く光る物質が落ちてくる。それは雨ではなく、世界の砂粒だった。現実が物理的に崩壊し始めているのだ。
「レティシア。次は?」
マリエルの声に不安はなかった。RTA走者の彼女は、ゲームの崩壊を何度も経験している。
「次の世界よ。多分」
私は画面をもう一度指で滑らせた。
「予測システムが出した推測なんだけど……この世界が終われば、次は『好感度バグ』の仕様で再起動される。つまり、ヤンデレ乙女ゲーム。世界中のNPCから、際限のない好意を向けられる地獄」
「えっ、それはいい話では……」
「貴方、好感度が『無限』って想像できる?」
マリエルが沈黙した。
「『愛してる』『君のものになりたい』『お前だけが私の全て』……こういった好意が、常に、あらゆる方向から、永遠に、物理的な力をもって迫ってくるってわけ。数値で表現できないほどの好きという感情が、世界の法則となる」
「つまり……」
「つまり、求愛が『ステルス・アクション』から『ヤンデレ・サバイバル』に変わるってことね」
その時。
空が割れた。
一本の亀裂が、王都の中心から広がり始めた。
ただし、これまでと違う。
亀裂から漏れ出すのは、白や青のノイズではなく、ねっとりとした『ピンク色の光』だった。
それは淡く、甘く、脳を蕩かすような色。
恋愛シミュレーション特有の、飽和度の高い「愛」の色だった。
「あ……」
マリエルが呟いた。
「来たんだね。次の世界が」
「ああ。準備はいい?」
私は手を握る。
「決まってる。一緒に行こう」
ピンク色の光が、二人を包み込もうとしていた。
世界の再起動まで、あと数秒。
第5章の終わりは、同時に新たな地獄の開始でもあった。




