表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
48/65

第5章 Ep8:脱出

## 1. 奈落の底


 生き延びた。

 頬を掠めた魔弾、崩れ落ちた床、長い長い落下、そして汚水溜まりへの着水――そのどれもが、私たちを殺し損ねた。

 全身がドロドロの汚水にまみれている。臭い。ドレスは完全に台無しだ。髪に何か得体の知れない物体が絡みついている。それでも、息はある。


「……なんで助かったんだろ。あの高さだよ?」


 隣で、マリエルが泥人形のような状態のまま、首を傾げた。

 あの高さから落ちたのだ。本来なら即死のはず。


 だが、私にはなんとなく理由が分かっていた。

 当たり判定が3倍に肥大化しているということは、水面との「衝突判定」も通常より早いタイミングで発生するということだ。

 本来の落下速度に到達する前に水面の衝突判定が走り、結果として「落下ダメージ」の計算に使われる速度が実際より低くなった――と推測する。

 要するに、デカい判定のおかげで「ちょっと早めに着水した」扱いになり、落下ダメージが軽減されたのだ。


「……肥大化した当たり判定が、ここに来てデバフじゃなくてバフとして機能したわけね。皮肉なものだわ」


「え? 何の話?」


「気にしないで。とにかく生きてるならOK」


 だが、安心する暇はなかった。

 ここは王城の地下深く、廃棄物を処理する最下層のダンジョンだ。

 薄暗い空間に、ゴポゴポという汚水の気泡音と、金属がきしむ不気味な軋み音が反響している。

 壁面にはコケやカビが密生し、天井から汚水が滴り落ちている。

 そして、暗闇の奥から――ズルズルという湿った音が近づいてきた。


「……何、あれ」


 マリエルが指差した先に、ドロドロとしたスライム状の物体がうごめいていた。

 掃除用ゴーレム。王城の廃棄物を自動処理するための自律型魔導生物だ。

 本来は「汚物を溶かして分解する」だけの無害な存在だが、今の私たちは「汚物」と判定されている可能性が高い。

 なにせ、全身が廃水に浸かった汚物そのものの見た目なのだから。


「まずい。溶かされる前に脱出するわよ!」



## 2. 人間レールガン


 私は上を見上げた。

 遥か頭上に、微かに光が見える。

 壁面にはメンテナンス用の鉄梯子が取り付けられており、垂直のシャフトが上層へと続いている。

 だが、問題は明白だった。


「シャフトの幅は……1メートル弱。今の私たちの判定じゃ、入った瞬間に壁に挟まる。つまり、詰まる(スタックする)」


「梯子に触れる前に壁判定で弾かれちゃうよね……」


 ゴーレムたちが包囲網を狭めてくる。

 粘液質の体が床を這い、じわじわと距離を詰めている。ゴポゴポという不気味な泡立ちの音が、四方八方から迫る。

 時間がない。


 私は必死に考えた。

 5周分のバグ知識。物理演算の癖。判定のパラドックス。

 そして、さっきのEp5で学んだこと。


 肥大化した判定が壁にめり込むと、物理演算エンジンは「座標の重複」を検知して、キャラクターを強制排出イジェクトする。

 Ep5のレーザー突破では、壁との判定重複を利用して「向こう側」へ弾き出された。

 ならば、もっと激しく判定を重複させたら?

 もっと多くの物体が一箇所に圧縮されたら?


「マリエル! 私と一緒にあのシャフトに飛び込むわよ!」


「えっ? 一人でも詰まるのに、二人も入ったら……」


「そう! もっと凄まじい『反発力イジェクト・フォース』が生まれるの!」


 私が思いついたのは、アクションゲームのバグ技で「座標圧縮カタパルト」と呼ばれる現象だ。

 狭い空間に複数のオブジェクトが無理やり押し込まれると、物理演算エンジンはそれらを「同時に」離そうとして、合算された異常なベクトルを発生させる。

 通常サイズのキャラクター二体でも相当な反発力になるが、今の私たちは判定が3倍。

 3倍 × 2人 = 6倍のオブジェクト密度が、1メートルのシャフトに圧縮される。

 物理演算エンジンは、この矛盾を解消するために、とてつもない推力でオブジェクトを射出するはずだ。


「つまり……あたしたちが人間の砲弾レールガンになるってこと?」


「そういうこと! 上に向かって発射されれば、シャフトを一気に駆け上がれる!」


「死ぬんじゃないの!?」


「死ぬかもしれないけど、ゴーレムに溶かされるよりマシでしょ!」


 マリエルが一瞬だけ躊躇い、それから――ニッと笑った。


「よし。やろう。人間レールガン、やったことないけど。……ていうか、やったことある人いないよね、多分」


「多分ね!」



## 3. 物理の彼方へ


「3、2、1……今!」


 二人は同時に、狭いシャフトへと身体をねじ込んだ。


 ギュムッ。

 互いの当たり判定が激しく干渉し合う。

 見えない壁が見えない壁と衝突し、互いの体が弾力のない透明な膜で押し合いへし合いになる。

 骨が軋む。息が詰まる。視界が歪む。

 シャフトの壁面からも、当たり判定の圧迫が四方八方から襲いかかる。


 ――ギリギリギリギリ。

 物理演算エンジンが悲鳴を上げている。

 世界のフレームレートが一瞬ガクッと低下し、視界がコマ送りのようにカクつく。


『警告:座標重複。排除処理を開始します』

『警告:座標修復不能。推力を最大化して排出します』

『警告:計算値が想定範囲を超過しています。緊急イジェクト・プロトコルを実行』


 ガガガガガッ!

 二人の身体が震え始めた。

 これは自分たちの筋肉の震えではない。世界の物理演算そのものが二人を「この座標から弾き出す」ために計算した推力が、実際の力として身体に伝わっているのだ。


 力が溜まっていく。

 スプリングが極限まで圧縮されるように。

 水圧が限界を超えた瞬間に噴き出すように。


 そして、限界を超えた。


 ドォォォォォォン!!


 まるで砲弾のように、二人は真上へと射出された。

 梯子を登るどころではない。音速に近いスピードで、垂直トンネルを矢のように駆け上がっていく。

 壁面のメンテナンス用梯子の横をすり抜け(判定がぶつかりながら火花を散らしつつ)、暗闇のシャフトを一瞬で貫通する。


「ぎゃあああああああ! 速い速い速い速いぃぃぃ!」

「舌噛むぅぅぅぅぅぅ! 歯がガチガチいってるぅぅぅ!」


 風切り音。いや、風ではない。空気の壁を物理的に突き破っている衝撃波の音だ。

 視界が上下に引き伸ばされ、シャフトの壁面がストリーミングの映像のように流れていく。


 数秒後。

 王城の裏庭にあるマンホールの鉄製の蓋が、凄まじい勢いで宙に舞った。

 蓋はクルクルと回転しながら放物線を描き、芝生の向こうの植え込みを薙ぎ倒して着地した。


 続いて、ボロ雑巾のようになった二人の少女が空高く打ち上げられ、夜空に一瞬シルエットが浮かんだ後、芝生の上にドサリと落ちた。


「……い、生きてる?」

「……生きてる。判定がデカいおかげで、着地の衝撃も広い面積に分散されたみたい……」


 泥だらけ、汚水まみれ、全身打撲。

 だが、生きている。

 そして、二人の手にはしっかりと「タブレット」が握られていた。

 世界の真実が記録されたログデータ。

 この5周目のミッションの、最大の成果物。


「……やったわね。最悪の方法で、最低の見た目で、でも確実に」


「うん。……あたしたちの人生、いつもこんな感じだよね」


 マリエルが泥だらけの顔で笑った。

 その笑顔は、5周分の地獄を共に駆け抜けた相棒の、かけがえのない信頼の表情だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ