第5章 Ep7:裏切りと銃弾
## 1. 絶体絶命
宝物庫は完全に包囲されていた。
逃げ場はない。
ギルバートの魔導銃の銃口が、私の眉間にまっすぐ向けられている。
暗い鋼鉄の筒の先端に、青白い魔力の光がチラチラと揺れている。あの光に込められた殺傷力は、至近距離なら対物レベルだ。直撃すれば、肉体ごと後ろの壁まで吹き飛ぶ。
そして今の私の当たり判定は3倍。「避ける」という選択肢は物理的に存在しない。
「動くなよ、お嬢ちゃん」
ギルバートの声は、先ほどまでのアジトでの軽口とは別人のように冷たかった。
いや、冷たいというより「空っぽ」だ。感情を切り離した、プロフェッショナルの声。
「そのデカい当たり判定じゃ、俺の弾丸は避けられないぜ。わかるだろ? お前ならさ」
その通りだった。
私は歯を食いしばった。
ハッキングで得た「世界の真実」――この世界が作り物であり、王が管理者であること。その重大すぎる情報を抱えたまま、ここで終わるのか。
「ギルバート……! 信じていたのに……!」
マリエルが叫んだ。
彼女の声には、怒りよりも悲しみが滲んでいた。
ドブ川で出会い、アジトで一夜を共にし、侵入計画を練り上げた。
短い時間だったが、「仲間」だと思い始めていた。少なくともマリエルは。
「信じる? 裏の住人をか? おめでたいお嬢さんだ」
ギルバートは銃口をブレさせずに、冷酷に笑った。
だが、その笑みのどこかに、わずかな――本当にわずかな、自嘲のような影が差したのを、私は見逃さなかった。
彼の背後に、武装した近衛騎士団が続々と現れる。
数は20名以上。全員が剣を抜き、盾を構えている。
その中に、見覚えのある顔が二つあった。
騎士団長グレン・ライハルト。
かつて二度目の世界で私たちと激闘を繰り広げた、王国最強の武人。
彼の表情は厳格で、弟であるギルバートにも容赦のない視線を向けていた。
宰相ルシウス。
四度目の世界で経済戦争を繰り広げた冷徹な実務家。
彼は書類を手にしており、事務的な目で私たちを見下ろしていた。
S級指名手配犯を確実に捕らえるための、大掛かりな囮捜査。
「逃亡者を匿う情報屋」という餌で私たちを誘い込み、王城に誘導し、現行犯で逮捕する。
最初から、全てが仕組まれていたのだ。
「ギルバート、よくやった」
グレンが一歩前に出た。
兄の目は、弟を褒めているというよりも、任務の完了を確認する上官のそれだった。
「生け捕りにしろ。陛下が尋問を望んでおられる」
「無理だね兄貴」
ギルバートは兄の命令を即座に撥ねつけた。
「こいつらは危険すぎる。バグ技で壁を抜け、変数を書き換え、経済を崩壊させた実績がある。生け捕りにしたところで、牢獄の壁すらすり抜けるだろうさ。ここで始末する」
「ギルバート! 命令だ!」
「俺は国の犬じゃない。報酬分の仕事はした。後始末は俺のやり方でやる」
兄弟の間に、氷のような緊張が走った。
グレンの手が剣の柄にかかる。ギルバートの指が引き金にかかる。
この二人の関係は、単純な「兄弟」ではない。もっと複雑な、国家と闇社会の間に横たわる歪んだ絆だ。
## 2. 銃声
ギルバートの目が、一瞬だけ鋭く細められた。
その視線は、私の顔ではなく、私の足元――床のタイルの継ぎ目に向けられていた。
ほんの一瞬。まばたきの半分ほどの時間。
だが、5周分のループで磨かれた私の観察眼は、その微かな視線の動きを捉えた。
(……あそこ?)
私の「解析眼」が、無意識のうちに起動した。
床のタイルの下に、かすかな魔力の波動を感じる。
空洞。そして、起爆術式。
宝物庫に備え付けられた緊急脱出機構――あるいは「強制排除用の落とし穴」だ。
その制御盤は、床の継ぎ目の下に埋め込まれている。
ギルバートの口元が、微かに動いた。
騎士たちからは死角になる角度で。
彼の唇が形作った言葉は、たった一言だった。
――『飛べ』
その瞬間、全てが繋がった。
ギルバートは裏切ったのではない。いや、裏切ってはいる。だが、裏切っているのは国の方だ。
彼は最初から、二人の味方でも国の味方でもなかった。ただ、自分自身の目的のために、全ての勢力の間を泳いでいたのだ。
「あばよ、大罪人ども」
ギルバートが引き金を引いた。
――ズドン!!
銃声が宝物庫に轟いた。
放たれた魔弾は、私の右頬をかすめた。
当たり判定の端をギリギリで通過する、ミリ単位の精密射撃。
頬に灼けるような熱さが走り、髪の数本が焼き切れた。
だが、弾丸は私に命中しなかった。
あの弾は、最初から私を狙っていなかったのだ。
魔弾は私の頬をかすめた後、そのまま床のタイルの継ぎ目に着弾し、その下に隠された起爆術式の制御盤を正確に撃ち抜いた。
ドゴォォォォン!
爆発。
凄まじい轟音と共に、宝物庫の床が崩壊した。
大理石の床板が粉々に砕け散り、その下に隠された巨大な空洞――王城の地下に広がる廃棄物処理用のシャフトが口を開けた。
「きゃあああああ!?」
「うそぉぉぉぉぉ!?」
足場を失った二人の体は、瓦礫と共に暗闇の底へと吸い込まれていった。
落下しながら見上げた視界に、ギルバートの顔が遠ざかっていくのが見えた。
彼は――笑っていた。
冷酷な裏切り者の笑みではなく、不敵な共犯者の笑みで。
## 3. 面従腹背
暗闇を、落ちた。
廃棄物処理用のシャフト——王城の地下を縦に貫く、長い長い縦穴。落ちながら、私は当たり判定三倍の巨体で壁の出っ張りに何度もぶつかり、そのたびに息が詰まった。隣で、マリエルが「お尻でスライドできれば最高なのにぃ!」と叫んでいる。こんなときまで走者の発想か。
そして——ドシャーン、と派手な水音。
下水か、地下水か。とにかく液体のクッションが、私たちの命を、辛うじて拾った。
全身が、ずきずきと痛む。当たり判定が三倍でも、痛覚は等倍らしい。理不尽だ。だが——生きている。
「……生きてる、わよね」
「生きてるよぉ。うえぇ、くっさい……」
泥と汚水にまみれて、私たちは暗い水路の縁に這い上がった。
頭上、遥か遠くに、崩れた床の穴が、小さな光の点になっている。あそこから、落ちてきたのだ。
落ちる直前、騎士たちからは死角になる角度で、ギルバートの唇が形作った、たった一言。
——『飛べ』。
そして、私の頬を掠めただけで、寸分の狂いもなく落とし穴の制御盤を撃ち抜いた、あのミリ単位の魔弾。
考えるまでもなかった。
あの男は、私たちを「処刑する」ふりをして、「逃がした」のだ。騎士団の目の前で、ただ一人の共犯者にだけ届く合図を送って。
裏切り者は、裏切っていた。ただし、裏切られたのは——国の方だ。
頭上の回廊で、このあと何が交わされたのか。それを私が知るのは、ずっと後のことになる。
グレンが弟の胸ぐらを掴み、「わざとやったな」と凄んだこと。ギルバートが「手元が狂っただけだ」としらを切り通し、「死体を確認してくる」と、わざわざ単身でこのシャフトへ降りる役を買って出たこと。そして——誰の目も届かない回廊の隅で、彼が王国のものではない周波数の通信結晶を取り出し、国境の向こうの誰かへ向けて、「死ぬんじゃねぇぞ、共犯者」と、誰にともなく呟いたこと。
その全部を、私はまだ、知らない。
今わかるのは、一つだけ。
私とマリエルは、泥だらけの手の中に「世界の真実」を握ったまま、生き延びた。
この壊れたゲームの謎を解く鍵は——この、汚水まみれの両手に、確かに託されたのだ。




