第5章 Ep5:絶対監視
## 1. 赤い線
「ここが……最深部」
私とマリエルは、巨大な鋼鉄の扉の前に立っていた。
だが、扉へ続く通路は、無数の赤い光線で封鎖されていた。
その光景は、映画や小説でよく見かける「古典的な罠」そのものだ。だが古典的だからこそ、危険性は本物だ。隙間はわずか30センチ。まるで定規で測ったかのような正確さで、赤い光線が隙間なく張り巡らされている。
今の肥大化した二人(判定1メートル超)が通ろうものなら、身体が光線に触れる前に判定がそれに接触し、瞬時に警報が鳴り響くだろう。さらに厄介なことに、このセキュリティは「見た目より遠くから反応する」。つまり、判定3倍のペナルティは、ここでは致命的だ。
私は額の汗を拭った。計画段階では「何とかなる」と思っていたが、実物を目の前にするとそうもいかない。これが現実と予想の差なのだ。
『……見事なセキュリティだな。正規の手順なら、解除に3日はかかる』
インカムからギルバートの声がする。
相変わらず情報屋らしく、淡々とした口調だ。だが、その中にはどこか楽しんでいるような色合いが混じっていた。
『さあ、見せてくれよ。お前らの言う「異能」とやらを。それともここまでが限界か?』
その言葉に含まれた挑発に、私は唇を引き結んだ。限界? 冗談ではない。ここまで来たのは、限界を突破するためだ。
「マリエル。準備はいい?」
横を向くと、マリエルはいつもの柔和な笑顔を浮かべていた。だが、その目は真摯だ。彼女は何度もこの状況を経験している。RTA走者としての直感が、成功の道筋を教えてくれるのだろう。
「いつでもいけるよ」
## 2. 座標ズレ
「行くわよ。手順は?」
「壁とレーザー発生器の隙間に、45度の角度でダッシュ! そのまま壁に体を埋め込んで、判定が完全に壁の中に沈んだ瞬間にジャンプ!」
マリエルの説明は的確だ。彼女はこの世界のバグを知り尽くしている。
それは、アクションゲームのRTAでよく見かける「壁抜け(クリッピング)」の挙動だ。本来、キャラクターが壁にめり込むと、物理演算エンジンは「これはおかしい」と判断し、キャラクターを強制的に「壁の外」へと排出する。その「排出方向」を制御することで、壁の向こう側へ移動するのだ。
だが通常は、このテクニックを使う者などいない。ゲームなら、ただのバグ技だからだ。現実の世界で、物理法則を無視した移動なんて、本来は不可能なはずだ。
「判定3倍のペナルティ……逆に言えば、当たり判定がデカい分、壁にめり込みやすい!」
私は苦笑した。絶望的な状況を逆転させる論理。それもまた、この2人の強みだ。
私は深く呼吸をした。
これからやることは、自分の判定を意図的に壁に埋め込み、物理演算エンジンに「エラー」として認識させることだ。そしてそのエラー処理の瞬間に、方向を制御して反対側へ飛ぶ。単純だが、実行となると話は別だ。
「うぉぉぉぉ!!」
私は助走をつけた。
目の前には、触れれば瞬時に焼き尽くす致死性のレーザー。接触したら死。だが、ここで止まっても包囲網に捕まって死ぬ。どちらにせよ、進むしか道はないのだ。
私の身体が、レーザーの支柱に向かって全力で突進した。
## 3. 世界の外側
グニュゥゥゥッ。
衝突した瞬間、世界が歪んだ。
自分の身体が壁に沈み込んでいく感覚。それは普通なら味わうことのない、奇妙で頭がおかしくなりそうな浮遊感。視界がちかちかと明滅する。音も歪んで聞こえた。
『警告:オブジェクトの座標重複を検知』
耳の中で、機械的な声が鳴り響く。それはシステムの警告音だ。私は瞬間的に理解した。自分の当たり判定が、壁の判定と完全に被ってしまったのだ。
『物理演算エンジン:緊急排出を実行します』
ああ、そうか。物理法則が、自分を拒否しようとしているのだ。
次の瞬間、世界が反転した。
ポンッ!
という間の抜けた音と共に、私の身体は猛烈な速度で弾き飛ばされた。宙を舞う感覚。重力が方向を変える。
目を開けると。
そこはレーザーの「向こう側」だった。
私は息もつかずに着地した。膝をついて、何度か息を整える。全身が痺れている。まるで帯電したような感覚が残っていた。だが、生きている。生きているのだ。
「成功……!」
その声に応じるように、後ろからマリエルの悲鳴が聞こえた。
「ぎゃあああああ!?」
続いてマリエルも、壁に体ごと埋め込まれ、同じように物理演算エンジンに排出された。だが彼女は派手に転がり込んできた。
「痛い痛い痛い……! あ、でも……成功だ!」
二人は立ち上がり、互いの顔を見合わせた。その表情には、疲労と達成感が混在していた。
最強のセキュリティを、物理演算のバグだけで突破したのだ。
『……ハハッ、傑作だ』
インカムからギルバートの声が聞こえた。その響きは、先ほどまでと微妙に異なっていた。感情の揺らぎが、声色に現れている。
『本当にやりやがった。物理法則そのものを無視して壁を抜ける人間なんて、俺の人生で初めて見たぜ。……いや、二度と見ねえだろう』
その一言目まで、私はまだギルバートを信頼していた。情報屋としての驚嘆。協力者としての敬意。そう思っていた。
だが、二言目。あの最後の一言には、別の意味が隠されていたのだ。
扉が自動で開く。
その向こうには、虹色に輝く結晶体が浮いていた。
国の至宝「賢者の石」。
だが二人は、ギルバートの声色が、先ほどまでの「協力者」のものではなく、冷徹な「誰かの手駒」へと変わっていることに、まだ気づいていなかった。
その気づきは、もう少し先のこと。
何もかもが、終わる間際のことになるだろう。




