第5章 Ep4:スネーク・イーター
## 1. ダンボールの魔力
深夜の王城。
月明かりに照らされた白亜の回廊は、昼間の華やかさから一転して、青白い死者の殿堂のような静寂に包まれていた。
磨き上げられた大理石の床に、松明の炎が不規則に揺らめき、柱の影を生き物のように蠢かせている。
空気は冷たく、張り詰めている。
衛兵の巡回が通過するたびに、鎧のガチャガチャという金属音と、規則正しいブーツの足音が回廊に反響し、やがて遠ざかっていく。
その静寂の中を、二つの「箱」が進んでいた。
『……ねぇマリエル。本当にこれでバレないの?』
『大丈夫よ! これは古来より伝わる「究極の迷彩」なんだから!』
私たちが被っているのは、厨房の裏口付近に積み上げられていた木箱だ。
元々は野菜の輸送用だったらしく、側面には「みかん」と黒い墨で達筆に書かれている。蓋の隙間から覗く私たちの目だけが、暗闇の中でキョロキョロと動いている。
どう見ても怪しい。
どう見ても不審物だ。
深夜の王城の回廊に、誰も運んでいない「みかん」の箱が二つ、ジリジリと自走している光景は、ホラーかコメディかのどちらかにしかならない。
だが、これにはちゃんとした(?)根拠があった。
『マリエル、本当に大丈夫なの? こんな古典的な手段で……』
『いいから信じてよ! ステルスゲームの金字塔「メタルギア」シリーズでは、ダンボール箱は最強のステルス装備なの! 敵の目の前を堂々と通っても、箱を被ってさえいれば「ただの箱だな」で見逃してくれる伝統があるんだよ!』
『それはゲームの話でしょ!? 現実は……いや、ここもゲームだったわ』
その時、角から衛兵が現れた。
完全武装の近衛騎士。手には魔導ランタン、腰には長剣。目つきは鋭く、任務に忠実な職業軍人の顔だ。
私たちは「箱」の状態でピタリと停止した。
呼吸を止め、筋肉を硬直させ、「私はみかんの箱です」という強い自己暗示をかける。
衛兵がゆっくりと近づいてくる。
松明の光が箱の表面を舐めるように照らした。
「ん? こんな所に箱なんてあったか?」
衛兵は箱をジロジロと見た。
心臓が破裂しそうだ。汗が背中を滝のように流れている。
箱の中のマリエルが、私の腕を掴んでガタガタと震えているのが伝わってくる。
衛兵は首を傾げた。
もう一度、箱を見た。
手を伸ばしかけた。
私は内心で神(運営)に祈った。
いや、運営には散々理不尽なことをされているので、祈る相手としては不適切だ。
ならばせめて、このゲームエンジンの「索敵AI」のポンコツさに祈ろう。
「……気のせいか」
衛兵は肩をすくめ、何事もなかったかのように去っていった。
『嘘でしょ!? あの衛兵、目が節穴なの!? 明らかに不審物でしょ!?』
『ふふん、これぞ「ステルスゲームのNPC」よ! 明らかに不自然でも、警戒モード(アラートフェーズ)に移行するトリガーが発動しなければ、ただのオブジェクトとして認識されるの! 箱はオブジェクト! 箱は風景! 箱は正義!』
マリエルが箱の中で小躍りしている。箱がガタガタと揺れて非常に目立つのでやめてほしい。
## 2. 物理演算の真の敵
衛兵のAIがポンコツなのは助かった。
だが、真の敵は人間ではなかった。
物理演算エンジンだ。
『よし、次の角を曲がるわよ……痛っ!』
ガガガッ!
私の箱が、曲がり角の壁に引っかかった。
見た目は余裕がある。箱と壁の間には拳二つ分の隙間がある。
だが、「肥大化した当たり判定」が壁に接触し、ガリガリと削れる音がする。箱の下端から火花のようなエフェクトが散っているのが見えた。
『ちょっ、引っかかった! 動けない! 箱の下から判定がはみ出して壁に食い込んでる!』
『静かに! 衛兵が戻ってくるわよ!』
私は必死にもがいた。
箱の中で体を捩り、角度を変え、判定が壁から離れる方向を探る。
だが、もがけばもがくほど箱は激しく振動し、ガタガタと音を立てた。
みかんの箱が壁にぶつかりながら震えている光景は、もはや「震える不審な箱」以外の何物でもない。
「おい! 今度は音がしたぞ!」
衛兵が振り返った。
今度は目が節穴ではなかった。箱が「自発的に振動する」という事象は、さすがのポンコツAIでも警戒トリガーを引いたらしい。
松明を掲げ、剣を抜き、大股でこちらに向かってくる。
絶体絶命。
私は箱の隙間から必死に周囲を見回した。
壁、壁、壁。右側は行き止まり。後ろからは衛兵。前方は曲がり角で判定が引っかかって進めない。
……左に、窓があった。
その時、ギルバートの声がインカム(通信魔法)から響いた。
『――そこだ、右の窓から庭へ出ろ! 2階だが、芝生に落ちれば死にはしない。多分な』
「多分って何!?」
だが、迷っている暇はなかった。
## 3. 緊急回避
「マリエル、窓から飛ぶわよ!」
「えぇ!? ここ2階だよ!?」
「3階よりマシでしょ! 箱を捨てて! いくわよ!」
私は箱を蹴り飛ばし、窓枠に手をかけた。
――ゴツッ!
当たり判定が窓枠に引っかかった。見た目は余裕で通れるサイズなのに、判定が通してくれない。
「くっ……! 横向きに……!」
体を90度回転させ、最も判定の面積が小さくなる角度で窓枠に突っ込む。
ギリギリ。本当にギリギリだ。判定の端がガリガリと窓枠を削りながら、なんとか体が押し出された。
マリエルも続く。彼女は窓枠に突っ込む前に「慣性保存移動」の初動モーションを試みたが、箱を脱いだばかりで体勢が整わず、普通に窓枠の縁に腹を打ちつけて「おぶっ!」と情けない声を上げながら、頭から中庭の芝生へと落下していった。
ドサッ! ドサドサッ!
二人は中庭の芝生へと転がり落ちた。
衛兵たちの怒号が2階の窓から漏れるが、距離は稼げた。
夜の庭は植え込みの影が多く、ひとまず身を隠す場所には事欠かない。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った」
「だから言ったでしょ! 当たり判定がデカいんだから、曲がり角は大回りで! 直角に曲がろうとするから引っかかるのよ!」
「そんなの実戦でやってみないとわかんないよ……。ゲーマーとしての矜持はあるけど、このヒットボックスはもはや別ゲーだもん」
私は芝生の泥を払いながら、周囲を確認した。
城の裏庭。植え込みの向こうに、地下への階段が見える。ギルバートの見取り図によれば、あの階段が宝物庫へ続く地下通路の入り口のはずだ。
王城への侵入は、かろうじて成功した。
だが、ここからが本番だ。
目指す宝物庫は地下最深部。そこには、衛兵のポンコツAIなど通用しない、魔法によるセキュリティシステムの数々が待ち受けている。
『……聞こえるか? 次は「光の格子」だ。衛兵を誤魔化すのとは訳が違うぞ。気をつけて行けよ』
ギルバートの指示に従い、凸凹コンビ(当たり判定3倍)は夜の闇の中を進んでいく。
みかんの箱は中庭に置き去りだ。
翌朝、清掃係の侍女がなぜか王城の中庭に転がっている「みかん」の木箱を発見し、首を傾げることになるのだが、それは別の話だ。




