第5章 Ep3:侵入計画(インポッシブル)
## 1. 無理ゲーの条件
「ここが王城の地下見取り図だ」
ギルバートのアジトは、下水路の最深部にある、かつてのメンテナンス作業員の休憩室だった。
天井からは錆びた配管が垂れ下がり、壁面には苔と水垢がこびりついている。だが、床には粗末ながらも毛布が敷かれ、壁際には非常食の缶詰やポーション瓶が整然と並べられていた。地下の闇に適応した、実用的な住処だ。
薄汚れたテーブルの上に、精巧な図面が広げられていた。インクが滲みかけているが、線の正確さは軍の測量士が描いたものと遜色ない。
「狙いは最深部の『王家の宝物庫』。そこに安置されてる『賢者の石』を頂く」
ギルバートがダガーの先でルートをなぞりながら説明する。
王城の構造は複雑怪奇だった。
地上4階、地下5階。外周は二重の堀と高さ20メートルの城壁で囲まれ、城壁の上には魔導センサー付きの監視塔が30メートル間隔で配置されている。
門は4つ。それぞれに重武装の近衛騎士が常時6名。夜間は12名に増員。
「正門を強行突破するのは論外。裏門も同じだ。となると、入り口は地下水路からの接続ルートに限られる」
ギルバートが指差したのは、図面上で細い点線として描かれた排水管だった。
「この管は、城の厨房から出る生活排水を処理するための配管だ。直径は約80センチ。普通の人間なら四つん這いでギリギリ通れる」
「80センチ……」
私は暗算した。
私の見た目の横幅は約40センチ。だが当たり判定は3倍で120センチ。
80センチの配管に120センチの判定は入らない。
「配管は無理ね。詰まるわ」
「だろうな。だからそこは俺が先行して、厨房側から内側のハッチを開ける。お前らは配管の出口から入ればいい。ハッチの向こうは通路幅3メートルだ。ギリギリだが通れるだろ」
「……それで、宝物庫までのルートは?」
「そこが問題だ」
ギルバートは図面の一点を指差した。
宝物庫の直前、最後の通路。
そこに赤いインクで『光格子』と走り書きされている。
「『光の格子』。網の目のように張り巡らされた魔導光線だ。これに少しでも触れれば、瞬時に警報が鳴り、ゴーレム部隊が飛んでくる。反応速度は0.01秒。人間の反射速度じゃ絶対に回避できない」
「隙間は?」
「約30センチ」
私は絶望した。
30センチ。
今の私たちの「当たり判定」は、体から10センチ以上もはみ出している。見た目の体を30センチの隙間に通せたとしても、判定は確実にレーザーに触れる。
「無理よ。物理的に通れない。見た目を何とかしても、判定がアウト」
「だろうな。普通の人間なら」
ギルバートがニヤリと笑った。
その笑みが「試している」のだと、すぐに分かった。
## 2. 判定のパラドックス
「だが、あんたたちの判定は『おかしい』んだろ?」
ギルバートはリンゴを一つ、テーブルの上から取り、私に投げた。
私は受け取ろうとした。普通に手を伸ばし、飛んでくるリンゴの軌道を予測して掌を広げた。
だが、リンゴは私の手に届かなかった。
手前で「見えない壁(当たり判定)」にぶつかり、バチンッという乾いた音とともに弾かれて、床に転がった。
「そう。俺の手はそこにはないのに、そこにあると判定される。……逆に言えば、『そこにあるはずの手に、物体が触れていない』という判定も起きうるんじゃねぇか?」
私はハッとした。
当たり判定の肥大化。
それは通常、デメリットでしかない。敵の攻撃は避けられない。障害物に引っかかる。隠れても見つかる。
だが、ゲームのバグにおいて、「判定のズレ」は最大の武器にもなり得る。
前世でプレイしたRTA動画を思い出す。
古い3Dアクションゲームでは、キャラクターの判定が壁やオブジェクトに「重なる」と、物理演算エンジンが「座標を修正しよう」として、キャラクターを強制的に壁の「外」へと弾き出す処理が走る。
この「弾き出し方向」を制御することで、壁の向こう側へワープする。
いわゆる「壁抜け(クリッピング)」や「ケツワープ」の原理だ。
そして今の私たちは、通常の3倍の判定を持っている。
つまり、通常の3倍の「壁にめり込みやすさ」を持っているのだ。
「……マリエル」
「ん?」
「貴方の『壁抜け』バグ。今の状態でやったらどうなると思う?」
マリエルは首を傾げた。
「え? うーん……判定がデカすぎて、壁に埋まっちゃうんじゃない? 普通なら弾かれるけど、判定がデカいから戻りきれなくて」
「そう。埋まるのよ」
私の目が光った。
壁に埋まるということは、物理演算エンジンが「オブジェクトの座標重複」を検知するということだ。そしてエンジンは、その重複を解消するために、キャラクターを「最も近い空間」へ強制排出しようとする。
その反発力を利用すれば――。
「レーザーの隙間を『通り抜ける』んじゃなくて、レーザーの判定そのものを『すり抜ける(クリッピング)』ことができるかもしれない」
「おお! つまり、レーザーの支柱に突っ込んで判定を埋め込んで、反発力で向こう側に弾き出される?」
「そういうこと。当たり判定がデカいことが、ここでは逆に有利に働く。めり込む面積が大きい分、反発力も大きくなるはず」
マリエルの瞳に、久しぶりに「RTA走者の炎」が灯った。
この光を見るのは、しばらくぶりだ。追い詰められた状況で、攻略の糸口を見つけた時のプレイヤーの目。
「それ、面白いね。やったことないタイプのグリッチだけど、理論的にはいけるかも」
## 3. 作戦開始
「理論は分かった。だが失敗すれば消し炭だぞ」
ギルバートが呆れたように言った。
「レーザーに触れた時の警報は0.01秒。それはつまり、お前らが壁にめり込んでから反対側に弾き出されるまでの間に、1フレームでもレーザーの判定に触れたら終わりってことだ」
「分かってるわ。だから成功率を上げるために、突入角度の計算が必要なのよ」
私はアーティファクトの画面を起動し、簡易的な物理演算シミュレーションを走らせた。
カルテットたちの人格AIは起動できないが、デバイスの基本的な計算機能はまだ生きている。
反発力のベクトル。めり込み深度と排出速度の関係。レーザー格子の空間配置。
変数が多すぎる。前世なら2日はかかるシミュレーションだ。
だが、今の私の脳は5周分のループを経験している。物理演算の癖、バグの挙動パターン、この世界のエンジンの「おっちょこちょい」な処理順序を、体感で知っている。
「突入角度は45度。壁とレーザー発生器の接合部を狙う。そこが物理演算の計算精度が最も甘くなるポイントのはず」
「根拠は?」
「勘よ。……嘘。5周分の経験則」
ギルバートが鼻で笑った。
「ま、お前らがやるんなら止めないさ。俺は外で警戒してる」
「やるしかないわ」
私は覚悟を決めた。
5周目の攻略法。
それは、ペナルティである「肥大化した判定」を逆手に取った、決死のグリッチ・ムーブだ。
失敗すれば消し炭。成功すれば、この世界の核心に触れることができる。
「行きましょう。今夜が決行よ」
マリエルが拳を握った。
「了解。……久しぶりに、スーパープレイの見せ場だね」
闇に紛れ、三つの影が王城へと向かう。
脳内で再生されるスパイ映画のBGMは、残念ながらステレオではなくモノラルだった。
まあ、この世界の音声チャンネルに多くを期待してはいけない。




