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第5章 Ep1:指名手配と当たり判定

## 1. 最悪の目覚め


 チュンチュン。

 ――小鳥のさえずりは、聞こえなかった。

 代わりに私の鼓膜を叩いたのは、ドブネズミが石畳を走る湿った足音と、遠くの大通りで鳴り響く魔導サイレンの甲高い警告音だった。


「……ここ、どこ?」


 意識が浮上する。

 背中に当たっているのは、ふかふかのダウンベッドではない。冷たく、湿った、苔のこびりついた石の上だ。腰骨に直接響く不快な硬さが、これが現実――いや、「5周目の現実」であることを否応なしに告げてくる。

 私は目を開けた。

 視界に飛び込んできたのは、ひび割れた煉瓦の天井と、その隙間から覗く灰色の空。空気は下水の臭いと、錆びた金属の匂いが混ざった、胃が捩れるような悪臭に満ちている。


(……路地裏? いや、建物の間の隙間か。どこかの裏通りに転送リスポーンされたみたいね)


 5度目のループ開始。

 前回のクラッシュ――あの「金銭変数が整数の限界値を超えて世界がオーバーフローした」という前代未聞の終わり方の記憶が、まだ脳の奥でチカチカと点滅している。

 私は上体を起こそうとした。


「痛っ……!」


 背中に鋭い痛みが走る。寝返りを打ったわけでもないのに。

 そして、気づいた。

 体が、おかしい。


 正確に言えば、見た目は何も変わっていない。いつもの金髪(ドリルなし・素髪状態)、いつもの華奢な腕。白い指先も、爪の形も変わらない。

 だが、右手を壁に近づけた時、指先がまだ壁に触れていないはずの位置で――ゴツッ!と硬い感触が返ってきた。


「……は?」


 空中に、透明な壁がある。

 いや、違う。透明な壁ではなく、「私の体」が、見た目よりも遥かに「大きい」のだ。


「うわっ、痛っ……! 何これ、体が重い……」


 隣で、マリエルが呻きながら起き上がった。

 彼女もまた、何もない空中に頭をぶつけて「ゴンッ!」という間抜けな音を響かせている。

 ピンクゴールドの髪が、見えない天井に押し潰されるように広がった。


「え? 何もないのにぶつかった? どういうこと? バグ?」


 マリエルが周囲をペタペタと手で探る。

 すると、彼女の手のひらが体から10センチほど離れた空間で、何かに触れて止まった。見えない壁。いや、見えない「自分自身」。


 ――その時、世界がメッセージを寄越した。


『System Message: 5周目開始。ペナルティ適用』

『Penalty: Hitbox Scale x3.0 (当たり判定3倍)』

『Note: Your collision boundary has been enlarged. Physical appearance remains unchanged. Good luck.』


「……嘘でしょ」


 私は青ざめた。

 当たり判定ヒットボックス

 それはゲームにおいて、キャラクターが「存在する」と判定される透明な箱のことだ。攻撃を受ける範囲、障害物との接触判定、敵の索敵レーダーに引っかかる大きさ――その全てを決定する、目に見えない「本当の体のサイズ」。

 それが3倍。

 見た目は華奢な少女のままなのに、システム上は横幅も縦幅も奥行きも、全て通常の3倍に膨れ上がっている。


「つまりあたしたち、見た目は変わらないのに、システム的にはデブってこと!?」

「デブって言わないで! でも……そういうことね」


 私は試しに、路地の壁に背を預けてみた。

 本来なら余裕で寄りかかれる距離なのに、壁から20センチ手前で「ドンッ」という衝突判定が発生し、見えない力場に背中を受け止められた。

 壁に触れているのに触れていない。触れていないのに触れている。

 まるで自分の周囲に、分厚い透明な風船が常にまとわりついているような、理不尽極まりない感覚だった。


(これは……相当まずいわ)


 前世のゲーマー知識が、このペナルティの深刻さを即座に理解していた。

 当たり判定が3倍ということは、通常の3倍の精度で隠密行動に失敗するということだ。物陰に隠れても判定がはみ出す。狭い通路を通れない。そして何より、敵の攻撃が「かすっただけ」で直撃になる。

 前世でプレイした数多の死にゲーの中でも、「ヒットボックス拡大」は最悪の部類に入る難易度上昇デバフだった。



## 2. S級指名手配


 内心のパニックを抑え込んでいると、路地の外から怒号が飛んできた。


「探せ! 経済事犯の重要参考人だ!」

「見つけ次第、確保しろ! 抵抗するなら斬り捨てて構わん!」


 私は慌てて壁の陰に身を潜めた。もちろん、見えない判定ごと隠れなければならないので、壁から不自然に30センチも離れた位置に体を押し付けることになる。実にみっともない。


「マリエル、静かに!」

「……ひっ」


 マリエルが口を押さえる。

 路地の入り口を、完全武装の衛兵が二人組で通過していく。手には魔導ランタンと、抜き身の剣。


 そして、彼らが壁に貼り出していくビラが目に入った。

 安っぽい紙に、粗い版画で描かれた二人の女の顔。

 一人は金髪の公爵令嬢。もう一人はピンクゴールドの聖女。

 紛れもなく、私とマリエルだ。


 罪状が赤い文字で列挙されている。


『国家経済転覆罪』

『通貨偽造罪』

『特別詐欺罪』

『金融商品取引法違反』

『風説の流布及び偽計取引罪』

『他、余罪多数』


 賞金額が、手配書の下部に巨大な文字で印刷されていた。

 金貨100億枚(※新紙幣換算)。


「100億……! 前の周回の借金額じゃない!」


 私は歯を食いしばった。

 どうやら前回の「マイナス922京ゴールド」という気の遠くなるような負債はリセットされたものの、その罪悪度(カルマ値)だけは律儀にこの周回へ引き継がれてしまったらしい。

 考えてみれば当然か。私たちは前の周回で、国の経済システムを文字通り崩壊させた。ハイパーインフレを引き起こし、仮想通貨でバブルを作り、最終的には通貨の数値そのものを桁溢れさせて世界をクラッシュに追い込んだ。

 そりゃ指名手配もされるわ。


「レティシア、これ首一つで100億って書いてあるよ……。首一つって、あたしたちの首ってこと?」

「そうよ。つまり国中の賞金稼ぎ、衛兵、それこそ隣の農夫まで、私たちの首を狩れば一生遊んで暮らせるってこと。……全国民がエネミーよ」


 マリエルの顔が蒼白になった。

 今の二人は、この国で最も危険なテロリスト扱いだ。

 そして、テロリストに対する衛兵の対応は「発見次第射殺(オワタ式)」。


(ステルスゲーの最高難度どころじゃない。これは「見つかったら即ゲームオーバー」の、本当の死にゲーだわ)



## 3. 隠れられない


「おい、あそこの路地! 何か動いたぞ!」


 衛兵の一人が振り向いた。

 私たちは慌てて路地の奥へ走り、積み上げられた木箱や樽の陰に滑り込んだ。

 視覚的には完全に隠れている。影の中に完全に身を沈め、呼吸すら殺して、微動だにしない。

 前世のステルスゲームで培った「完全静止」のテクニック。見つかるはずがない。


「……隠れているつもりか?」


 衛兵は迷わず、真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。

 視線は木箱の影を正確に捉えている。

 なぜ? 完璧に隠れたはずなのに。


 答えは、すぐに分かった。

 衛兵の視界に映っているのは、木箱や樽ではない。

 木箱の横から、透明な「何か」が10センチほどはみ出しているのだ。

 私たちの、肥大化した当たり判定が。


 見えない。触れない。だがシステム上は「存在している」。

 衛兵のAI(索敵ルーチン)は、この世界のルールに忠実だ。テクスチャ(見た目)ではなく、ヒットボックス(判定)で認識する。


「見つけた!」


 衛兵が木箱に向かって剣を突き出した。

 その剣先は、木箱と私の体の間の、何もない空間を貫いた。

 木箱から数センチ離れた、ただの「空気」を刺したように見える。


 ――ズシュッ!


「ぎゃあああ!?」

「痛ぁぁぁい!!」


 何も当たっていないはずなのに、私の右腕から血が吹き出した。

 マリエルも左肩を押さえて悲鳴を上げる。

 「見た目は当たっていない」のに「システム上は直撃」。当たり判定が肥大化しているせいで、遮蔽物の外にはみ出した「見えない体」が斬り裂かれたのだ。


 ヒリヒリと灼けるような痛みが走る。

 これは幻痛ファントムペインではない。

 見えない判定であっても、ダメージは本物だ。


「見つけたぞ! ここだ! 応援を呼べ!」


 笛が吹かれる。

 甲高い音が路地裏に反響し、遠くからドカドカという重たい足音が近づいてくる。


「無理ゲーだ……!」


 マリエルが叫んだ。

 その通りだ。

 隠れても判定がはみ出してバレる。かすっただけで致命傷。そして見つかれば即死ワンキル

 この状態で、首に100億の賞金がかかった国中の追跡を逃れなければならない。

 制限時間は――たぶん、ない。ゲームクリア(この周回の終了条件を達成する)まで、永遠に続く逃亡劇だ。


 前世でプレイしたどんな理不尽ゲーよりも過酷な条件。

 だが、私は歯を食いしばって立ち上がった。腕から流れる血を、ドレスの端で乱暴に拭う。


「走るわよマリエル! 捕まったら即・公開処刑よ!」

「そんなぁ~! あたしの聖女ライフがぁ~! 前世でもう少しちゃんと確定申告しておけばよかったぁ~!」

「確定申告は関係ないでしょ! いいから走りなさい! あと壁との距離を30センチ以上空けて! 判定が引っかかるから!」


 二人は走り出した。

 朝靄の残る薄暗い路地裏を、見えない巨大な体を引きずるようにして。


 5周目のジャンルは――「見つかったら死ぬ」「隠れても見つかる」という、救いようのない難易度の「ステルス・デスゲーム」だった。

 そしてその難易度設定は、かつてデスマーチの修羅場をくぐり抜けたインフラSEと、Any%RTAで世界中のクソゲーを最速クリアしてきたグリッチ使いの二人にとって――。


「……まあ、ようするにいつものクソゲーってことね」

「そうだね! いつもの!」


 マリエルが、血まみれの肩を押さえながらもニヤリと笑った。

 こういう時だけ、妙に息が合うのが腹立たしい。


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