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第4章 Ep7:アルゴリズム取引

1. 毒をもって毒を制す


「『聖女コイン』の流通を止めることは不可能です」


 領主館の執務室。

 レティシアが緊急召集をかけた「対SNC戦略会議」の冒頭で、サイラス・ワイズマンが冷静に分析した。

 3周目のクラッシュ後、「技術顧問」として個人的にノクターン領に滞在していた宮廷魔導長官。黒髪に銀縁の眼鏡、白衣の下に黒のローブという出で立ちは、どこかの大学の研究者のようだ。

 彼は空中に半透明のネットワーク図をホログラム表示し、赤いノードが無数に繋がる複雑な蜘蛛の巣を指さした。


「P2Pネットワークは、中央サーバーを持ちません。個々の端末――つまり冒険者カード――が生きている限り、ネットワークは停止できない。完全に破壊するには、大陸中の冒険者カードを物理的に回収して破壊するしかありませんが、それは事実上不可能です」


「なら、どうすればいいのよ。このままじゃ通貨発行権をマリエルに握られたままよ」


 レティシアが焦る。

 領民たちも仕事そっちのけでスマホ(簡易端末)のチャートに釘付けだ。工場のベルトコンベアの横で、ポーションの瓶詰め作業をしながらチャートを見ている者すらいる。何度注意しても直らない。


「潰せないなら、乗っ取るしかありません」


 サイラスが眼鏡を光らせた。

 その「光らせ方」は、3周目でL-Netのウイルス対策を設計した時と同じだ。

 知恵者が本気を出す時の、特有の輝き。


「このコインには致命的な欠陥がある」


「欠陥?」


「はい。マリエルが手動で価格操作をしている点です」


 サイラスはネットワーク図の中に、一つだけ色の違う点――マリエルのノード――を強調表示した。


「彼女は自分の資金でコインを買い支え、価格を人為的に吊り上げています。つまり、コインの価格変動は『自然の需給』ではなく『マリエル個人の売買タイミング』に依存している。そして、彼女が注文を出してから決済されるまでには、ネットワークの合意形成コンセンサスプロセスのため、数秒のラグがある」


「数秒……」


 レティシアの目が細くなった。

 元SEの脳が、瞬時にその「数秒」の意味を理解した。


「……なるほど。人間には反応できない速度(ミリ秒)で取引すれば、彼女の買い注文や売り注文を先回りできるわけね」


 レティシアはニヤリと笑った。

 彼女はエンジニアだ。

 人間マリエルと機械(Bot)。どちらが計算処理において優秀か、証明する時が来た。


「サイラス、協力して。私がプログラムを書く。あなたは通信プロトコルの最適化を」


「承知しました。面白くなってきましたね」


 サイラスが微笑んだ。

 二人のエンジニアの目が、同じ方向を見つめている。



## 2. 超高速取引(HFT)


 翌日の早朝。

 レティシアは一睡もせずに、「自動取引プログラム(Bot)」を完成させた。


 このBotは、前周で構築したL-Netの残存プロトコルをベースに、聖女コインのP2Pネットワークに「正規の参加者」として接続する。

 表面上はただの冒険者カードからのアクセスに見えるが、その裏では、レティシアが書いたアルゴリズムが秒間数千回の取引判断を行っている。


『ジェム:マスター、Bot「LETI-HFT-01」のデプロイ完了! ネットワークへの接続確認! レイテンシ(遅延)は……0.003秒! マリエルの手動操作の推定レイテンシ(約2秒)と比較して、約700倍高速だよ!』


「上出来。起動して」


『ジェム:了解! 取引開始!』


 その日の午前中。

 マリエルはいつものように、スラム街の酒場でコインの価格操作を行っていた。


「さあ、上がれ上がれー! ここでドカンと買いを入れて、チャートを……」


 彼女が「買い」のコマンドを冒険者カードに入力しようとした瞬間。

 チャートが激しく乱高下した。


 ――ビビビビビビッ!


 目の前のチャートが、蝋燭の炎のように揺れ動く。

 一瞬で数千回の「売り」と「買い」が交差する。

 緑と赤のローソク足が、ミリ秒単位でめまぐるしく上下する。


「な、なによこれ!?」


 マリエルが高値で買おうとした注文は、一瞬だけ先回りされて安値で売りつけられた。

 マリエルが安値で売ろうとした注文は、一瞬先に安値で買い叩かれ、直後に高値で転売された。

 彼女の売買の「意図」を読み取り、その数ミリ秒前に反対売買を成立させることで、全ての利ざやが吸い取られていく。


「私の注文が全部『狩られて』いく! 何なのこれ! ゴーストか!?」


 マリエルは必死にカードを操作するが、指が追いつかない。

 彼女が1回の取引を行う間に、Botは100回の取引を完了させている。

 人間のクリック速度(秒間10回が限界)と、魔導回路の処理速度(秒間1万回以上)では、勝負にならない。


「アービトラージ(裁定取引)、スキャルピング(超短期売買)、フロントランニング(先回り取引)……」


 ノクターン領の執務室で、レティシアはモニターを見つめながら呟いた。


「相場の隙という隙を、私のアルゴリズムが埋め尽くす。マリエルがどこで買おうと、私のBotが先に買って高値で売りつける。どこで売ろうと、先に安値で買い叩く。……人間が機械に勝てると思うなよ」


『ロキ:マスター、ちょっと悪い顔してるぜ。ウォール街のクオンツ(金融工学者)みてぇな目してる』


「褒め言葉として受け取っておくわ」



## 3. 仕手戦の泥沼


 だが、マリエルも黙っていなかった。


「機械(Bot)が相手? ……ふーん」


 最初の衝撃から立ち直った彼女は、酒場のテーブルの上で腕を組み、チャートを睨みつけた。

 マリエルはプログラマーではない。アルゴリズムも書けない。

 だが、彼女には機械にない武器がある。

 「嘘をつく能力」だ。


「Botが私の注文を先回りするなら――私が『嘘の注文』を出して、Botを騙せばいい」


 マリエルは冒険者仲間を集め、「見せ板(見せかけの大量注文)」を出させた。

 買うつもりのない「買い注文1万コイン」をチャート上に表示させ、Botが「大量の買い需要がある」と判断して買いに走った瞬間に、見せ板をキャンセルして実際には売りを浴びせる。

 古典的な相場操縦――「スプーフィング」だ。


「やった! Botが引っかかった!」


 マリエルの罠にBotが嵌まり、一時的に損失が出た。

 だが、レティシアは30分後にはBotのアルゴリズムを修正していた。


『シャルル:「見せ板パターン」を検知する機械学習モジュールを追加しました。注文の取消率が異常に高いアカウントからの注文は、自動的に無視します』


「……ちっ、学習が早すぎるでしょレティシア!」


 マリエルは次の手を打つ。

 今度は「風説の流布」だ。酒場で「聖女コインの開発者が国外逃亡した」という嘘の噂を広め、パニック売りを誘発しようとした。


 レティシアはそれも読んでいた。

 Botに「SNSモニタリング機能」――L-Netの残存通信から噂のキーワードを拾い、情報の出所と拡散パターンを分析する機能――を追加。嘘の噂が広まる前に、正確な情報を対抗拡散させた。


 市場は戦場と化した。

 マリエルによる「嘘の情報拡散」「見せ板」「相場の急変動を利用した裁定」といった人間的な相場操縦。

 対するレティシアの「機械学習による動向予測」「超高速売買」「パターン認識」。


 聖女コインの価格は、1秒ごとに乱高下を繰り返した。

 一般の冒険者たちは、もうついて行けない。


「うわあああ! 資産が半分になった!」

「いや、倍になった! ……あ、またゼロになった!」

「もうやめてくれぇ! 俺の老後の資金がジェットコースターに乗ってるんだ!」


 ボラティリティ(価格変動率)が極限まで高まり、もはや「通貨」としての機能は完全に崩壊していた。

 通貨とは、価値の「安定した保存」と「交換の媒介」を担うものだ。

 1秒ごとに価値が倍になったりゼロになったりするものは、通貨ではない。ただのギャンブルの道具だ。


 それは単なる、二人の怪獣によるマネーゲームの殴り合いだった。

 そしてその殴り合いの余波で、一般市民の財布が粉々になっていく。


「やるじゃないマリエル……! でも、資金力リソースなら工場の利益がある私が有利よ!」

「負けない……! こっちは含み益が無限にあるんだから!」


 二人は気づいていなかった。

 この不毛な殴り合いが、ある「限界」を招き寄せていることに。

 通貨の桁数が、この世界のコンピューター(システム)が扱える数字の上限に迫っていたのだ。


 レティシアのBot口座の残高。

 マリエルのコイン評価額。

 そしてそれらが市場で取引されるたびに計算される中間変数。

 全ての数値が、天文学的な速度で膨れ上がっていた。


『シャルル:マスター。一つ気になるデータがあります。Bot口座の残高が、64bit浮動小数点の精度限界に近づいています。このまま取引を続けると、丸め誤差ラウンドオフ・エラーが無視できないレベルに達する可能性が――』


「……え? ちょっと待って、それって……」


 だが、レティシアの警戒が形になる前に、市場の数字は止まらない速度で回り続けていた。


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