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第4章 Ep6:聖女コイン爆誕

1. 魔法的ブロックチェーン


 王都のスラム街。

 マリエルは、薄汚い酒場「銅の豚亭」で冒険者たちを集めていた。


 店内は夕方だというのに薄暗く、蝋燭の光が濁ったエールの入ったジョッキをぼんやりと照らしている。天井の梁には蜘蛛の巣が張り、壁にはダーツの矢が刺さったまま放置されている。

 客層も場所にふさわしい連中ばかりだ。腕に傷跡のある傭兵、目つきの鋭い盗賊上がりの冒険者、借金取りから逃げてきたらしい商人。

 つまり、「国」というシステムに不満を持つ者たちの巣窟だ。


「皆さん、国の重税に苦しんでますよね?」


 マリエルはカウンターの上に腰掛け、脚を組みながら、甘い声で問いかけた。

 聖女の微笑み。そのルックスとカリスマだけは、どんなに落ちぶれても健在だ。


「稼いだ金の99%を持っていかれるなんて、おかしいと思いませんか? 皆さんが命懸けでダンジョンに潜って稼いだお金が、あの眼鏡の宰相にごっそり持っていかれる。しかも、使い道は『国家の借金返済』。皆さんの生活のためじゃない」


「そりゃそうだ! 俺たちが命張って稼いだ金だぞ!」

「でもよ、新紙幣しか使えないんじゃ、どうしようもねぇじゃねぇか。あの紙幣、偽造できないって話だし」

「国に管理されてんだ。稼いでも稼いでも、税で持っていかれちまう」


 冒険者たちが不満を漏らす。

 酒場の空気が、怒りと諦めで重くなっていく。

 マリエルはその空気を、じっくりと味わった。

 人々の不満。国への不信感。

 それこそが、彼女の「新しいビジネス」の燃料だ。


「そこで、これです」


 マリエルは懐から、一枚の「魔法の契約書」を取り出した。

 だが、それはただの紙ではない。

 羊皮紙の表面に、複雑な魔法陣が描かれている。中心には「SNC」の文字。その周囲を、細い魔力の線が幾何学模様を描いて取り囲んでいる。


「これは、新しい『取引の仕組み』です。中央サーバー(国)を通さない、私たちだけの通貨」


 マリエルは契約書を広げ、テーブルの上に置いた。


「仕組みは簡単。皆さんが持っている冒険者カード(ギルド証)――これには個人固有の魔力パターンが記録されていますよね? このカード同士を魔力的にリンクさせることで、お互いの取引記録を相互に監視・承認し合うネットワークを作るんです」


 冒険者の一人が首を傾げた。


「つまり……銀行を通さずに、俺たちの間で直接金のやりとりができるってことか?」


「その通り! しかも、全ての取引記録は参加者全員のカードに分散して保存されます。誰か一人が記録を改竄しようとしても、残りの全員のカードと照合すれば嘘がバレる。国の中央サーバーなんかよりも、よっぽど透明で公平なシステムです」


 彼女が発明したのは、魔法による「分散型台帳ブロックチェーン」だった。

 地脈という中央集権的なインフラを使わず、個人の端末(冒険者カード)をノードとして繋ぐP2Pピア・ツー・ピアネットワークだ。

 新しい取引が発生すると、ネットワーク上の複数のカードが計算処理マイニングを行い、取引の正当性を承認する。承認された取引は「ブロック」としてチェーン状に連結され、過去の記録を改竄することは事実上不可能になる。


「名付けて――『聖女コイン(SNC:Sainte Mariel Network Coin)』!」


 マリエルは両手を広げ、酒場の冒険者たちに向かって宣言した。


 沈黙。

 冒険者たちが互いの顔を見合わせる。

 そして、一人が恐る恐る手を挙げた。


「……でもよ、それって『信用』はどうなるんだ? 王国紙幣には国の信用がある。この『聖女コイン』の信用は、何で裏付けされてるんだ?」


 鋭い質問だ。

 だが、マリエルは待っていたかのように微笑んだ。


「信用? ――私よ」


 彼女は胸に手を当てた。


「マリエル・ブラン。元聖女。このゲームの正規ヒロイン。……確かに今は落ちぶれてるけど、『聖女』という肩書きの知名度だけは、この大陸で誰にも負けない。国王よりも、宰相よりもね」


 ブランド力。

 現実世界でも、通貨の価値を最終的に支えるのは「発行者への信頼」だ。

 国が発行する通貨は「国への信頼」で成り立ち、暗号通貨は「技術への信頼」で成り立つ。

 そしてマリエルは、自分の知名度(元聖女ブランド)を通貨の信用基盤として利用しようとしていた。



## 2. ICOイニシャル・コイン・オファリング


「このコインは、今はパン1個分の価値しかありません」


 マリエルは甘い言葉で囁いた。

 酒場のテーブルを回り、一人一人の冒険者の目を見つめながら。


「でも、みんなが使えば使うほど、コインの価値は上がります。参加者が増えれば信用が増す。信用が増せば価値が上がる。今、1コインをパン1個で買った人が、1年後には高級ポーション100本分の価値で売れるかもしれない」


「……本当かよ?」


「もちろん、保証はできません。でも、考えてみて。ルシウスの紙幣は税率99%。稼いでも稼いでも手元に残るのは1%。……でも、聖女コインなら? 国の管理外だから、徴税されない。稼いだ分が全額、自分のものになるんです」


 これは――嘘ではないが、真実でもない。

 典型的なICO(新規仮想通貨公開)のセールストークだ。

 「今買えば将来上がるかもしれない」という期待感と、「国の税制から逃れられる」という現実的なメリットを組み合わせた、巧妙な勧誘。


「今なら先行販売キャンペーン中! 先着100名様にはボーナスコイン付き! パン5個分の投資で、10コインのスターターパックが手に入ります!」


 税金逃れをしたい商人が、目を光らせた。

 一発逆転を狙う冒険者が、前のめりになった。

 国への不信感が、怪しい新通貨への期待感を膨らませる。

 人間の「欲」と「怒り」を正確に狙い撃つ、マリエルのマーケティングは完璧だった。


「買います! 俺の剣を売ってでも買います!」

「私にもよこせ! これは未来の通貨だ!」

「あたいは20コイン! いや、50コイン!」


 酒場が熱狂に包まれた。

 冒険者たちが争うようにマリエルの前に殺到し、新紙幣(ルシウスが苦労して作った偽造不可能な通貨)を差し出して聖女コインを求める。

 マリエルはそれを笑顔で受け取り、代わりに冒険者カードにコインのデータを書き込んでいく。


 ICO初日の売上。

 新紙幣にして約5000枚。

 マリエルはこの売上を「市場運営費」と称して、自分の生活費と次のマーケティング費用に充てた。


(……ふふ。これで種銭は確保。あとは、火を絶やさないように薪をくべ続けるだけ)


 マリエルの頭の中では、コインの価格を「人為的に」釣り上げるための、次のステップがすでに組み上がっていた。



## 3. 制御不能のバブル


 数日後。

 『聖女コイン』の価格は、マリエルの予言通り高騰していた。


 パン1個分だった1コインの価値が、今や高級ポーション1本分。

 なぜか。

 マリエルが、自分で大量のコインを「買い注文」で吊り上げているからだ。

 ICOで集めた新紙幣の一部を使って、自分自身のコインを高値で買い付ける。いわゆる「自作自演の買い支え(ペインティング・ザ・テープ)」だ。

 チャートだけを見れば、コインの価格は右肩上がりの美しい上昇カーブを描いている。


 人々は労働を辞め、コインの値動き(チャート)を一日中見つめるようになった。


「おい見ろ、今日も上がってるぞ!」

「聖女コイン最高! こりゃ100倍も夢じゃねぇ!」

「もう冒険なんかしなくていい! コインが俺たちを豊かにしてくれる!」


 酒場では冒険者たちがダンジョンに行く代わりに、テーブルを囲んでチャートの分析をしている。

 剣を磨く代わりに、「買い時」と「売り時」を議論している。

 本来なら魔物を退治して世界を守る彼らが、投機に夢中になっている光景は、どこかシュールで、どこか哀しい。


 その波紋は、ノクターン領にも到達した。


「お嬢様、大変です。工場の作業員たちが『コインで儲けるから辞める』と言い出しました」


 アイリーンが困惑した顔で報告に来た。


「何人?」


「……今朝だけで12人。特に若い男性の離職が目立ちます。『ベルトコンベアの横で汗を流すより、コインを転がした方が楽に稼げる』と」


「……そう」


 レティシアは帳簿を閉じ、目を閉じた。


 実体のない投機マネーが、実体経済モノづくりを再び食い荒らそうとしている。

 デジャヴだ。ハイパーインフレの時と全く同じ構造。

 金が金を生む幻想に人々が踊り、「物を作る」という地道な営みが軽視される。


「ブロックチェーン……! まさか魔法でP2Pネットワークを実装するなんて」


 レティシアは悔しげに呟いた。

 技術力ではマリエルより上だと自負している。だが、「悪巧みの発想力」においては、彼女はマリエルに勝てない。

 レティシアが考えるのは「どうすれば効率よく生産できるか」だ。

 マリエルが考えるのは「どうすれば効率よく搾取できるか」だ。

 同じ「効率」でも、ベクトルが真逆なのだ。


『ロキ:やべーな。このSNC(聖女コイン)のネットワーク、かなり筋がいいぜ。分散型台帳の設計自体はシンプルだけど、冒険者カードの個人魔力パターンを認証キーに使ってるのが賢い。偽造が効かない天然の公開鍵暗号だ』


「つまり、技術的に潰すのは難しいということね」


『ロキ:ネットワークを完全に停止させるには、参加者全員のカードを物理的に破壊するしかない。それは事実上不可能だ』


 王都のルシウスもまた、執務室で苦虫を噛み潰していた。


「捕捉できない……。個人のカード間で直接取引されたら、国の地脈サーバーを経由しない。つまり、取引の記録が国に残らない。徴税のしようがないぞ……!」


 銀髪の宰相は、生まれて初めて「制御不能」という言葉を実感していた。

 彼が作り上げた「偽造不可能な新紙幣」は、確かに完璧だった。

 だが、マリエルはその上位層に「国の管理を迂回する新しい通貨」を作ることで、ルシウスの支配網の外側に経済圏を構築したのだ。


 国が管理できない地下経済アングラ・エコノミー

 マリエルは、経済という戦場で、再び「無法地帯」を作り出したのだ。

 そして今度は、増殖バグではなく「人々の欲望」という、パッチでは修正できないバグを利用して。


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