第4章 Ep5:宰相の介入
1. 預金封鎖
翌朝、王都の中央広場に張り出された布告は、国民を更なる混乱に陥れた。
布告の前には、朝一番から人だかりができていた。
商人、冒険者、職人、農民。身分も職業もバラバラな人々が、掲示板に貼り出された一枚の羊皮紙を食い入るように見つめている。
『緊急勅令 第447号:新通貨発行および、旧通貨の廃止について』
『発令者:王国宰相 ルシウス・バレンタイン(国王陛下の代行権限に基づく)』
その羊皮紙には、三つの条項が明記されていた。
一、現行の「金貨」は、本日正午をもって法的効力を失う。以降、金貨はただの金属塊として扱う。
二、新通貨「王国紙幣」を発行する。紙幣は王立造幣局が一元管理する。
三、旧通貨から新通貨への交換レートは、金貨100万枚につき紙幣1枚とする。交換期間は本日から7日間とし、期間外の交換は一切認めない。
「な、なんだってー!!」
広場の片隅で布告を読んでいたマリエルは、絶叫した。
彼女が路地裏の倉庫に隠していた、山のような金貨の山。
増殖バグで生み出した、数百億枚の金貨。
それが一瞬にして「ただのゴミ」に変わったのだ。
「100万枚で紙幣1枚って……私の金貨100億枚が、紙幣1万枚にしかならないじゃない! 昨日まで世界一のお金持ちだったのに!」
いわゆるデノミネーション(通貨単位の切り下げ)と、新円切り替えである。
前世で言うなら、終戦直後の日本で行われた「新円切替」。あるいは、ジンバブエドルの廃止。
溢れかえった旧通貨を一度焼き払い、管理された新通貨に一本化することで、ハイパーインフレを力技で止める荒療治だ。
広場では人々がパニックに陥っていた。
「俺の貯金が! 一生かけて貯めた金貨が!」
「7日以内に交換しないと紙くずだって!? 銀行に走れ!」
「いや、銀行は昨夜から閉鎖されてるぞ! 軍隊が門の前を封鎖してる!」
預金封鎖。
ルシウスは布告と同時に、王都の全ての両替所と金融機関を国の管理下に置いていた。
混乱を最小限に抑えるために、交換は1人あたり1日の上限が定められ、身分証明(冒険者カード)が必須とされている。
つまり、「身元不明の大量の金貨を一気に交換する」ことは不可能だ。
マリエルの増殖金貨は、事実上、全て紙くずになった。
## 2. 偽造不可能な紙幣
「ふん、どうせ紙幣なんて紙くずでしょ? 金貨がダメなら、今度は紙幣を増殖してやるから見てなさい」
マリエルは懲りていなかった。
通貨が変わっただけだ。新しい通貨にも、必ず「穴」はある。
そう高を括って、彼女は交換所で手に入れた数枚の新紙幣を手に取った。
そして、その瞬間。
マリエルの顔色が、サッと変わった。
「な、なにこれ……!?」
新紙幣は、これまでの金貨とは根本的に異なる代物だった。
まず、紙質。
通常の羊皮紙ではない。魔力を練り込んだ特殊繊維で織られており、破こうとしても破れず、燃やそうとしても燃えない。水に浸けても滲まない。
紙幣の中央には、見る角度によって色が変わるホログラム――王家の紋章が、虹色に輝いている。これは宮廷魔導士が一枚一枚に個別の魔力パターンを刻印したもので、同じパターンは二度と生成されない。
そして最も致命的なのは、紙幣の右下隅に刻まれた微小な魔法陣だ。
マリエルが目を凝らすと、そこには肉眼ではギリギリ読めるサイズの文字列が浮かんでいた。
『SN: RKB-0000-0001-7742 発行認証:王立中央地脈サーバー 検証:GET /api/v1/verify/{serial}』
「シリアルナンバー……しかも、地脈サーバーで認証管理!?」
一枚一枚にユニークな「認識番号」が振られ、そのデータは国の中央サーバー(地脈)で管理されている。
紙幣を使って取引をするたびに、店側のシステムが自動的に地脈サーバーにシリアルを照合する。
仮に紙幣を物理的にコピーしたとしても、同じシリアルナンバーの紙幣が二枚存在すれば、取引の瞬間に「重複エラー」が発生し、偽札として検知される。
「複製不可……!」
マリエルが最も苦手とする技術だ。
単純な物質複製はできても、国の中央データベースにある認証情報までハッキングして整合性を取ることは、単独では不可能に近い。
3周目であればL-Netを使ってサーバーに侵入することもできたかもしれないが、L-Netは世界リセットで消滅している。
「くっ……! あの眼鏡宰相、本気で来てる……!」
ルシウスは、物理的な偽造防止技術(特殊繊維、ホログラム)と、魔法的な認証システム(シリアル管理、サーバー照合)を組み合わせ、最強の通貨を作り上げたのだ。
これは単なるデノミではない。通貨システムの根本的なアーキテクチャ変更だ。
前世で言うなら、現金経済からキャッシュレス決済への強制移行に近い。
## 3. 悪夢の徴税
さらに、ルシウスの追撃は止まらなかった。
布告の二枚目が、午後になって追加で張り出された。
『追加勅令 第447-B号:懲罰的富裕税の課税について』
『今回の混乱を招いた冒険者および商人に対し、特別懲罰税を課す。税率は新通貨建て資産の99%とする。対象者は王国財務局が個別に指定する。異議申し立ては認めない。』
99%。
100ゴールド持っていたら99ゴールド没収。1000ゴールドなら990ゴールド没収。
文字通り、「身ぐるみ剥がす」レベルの超・緊縮財政だ。
市場に溢れかえった通貨(流動性)を強制的に回収するための、外科手術的な介入。
これにより、ハイパーインフレは力技で鎮火された。
物価は一気に下がり、再び「パン一個=紙幣1枚」の常識的な世界が戻ってきた。
だが、その代償は大きかった。
王都の商店街は、先週まで浮かれていたのが嘘のように静まり返っている。
客はいない。売る物もない。
バブルで在庫を全て売り払った店には、棚に並べる商品が残っていない。
そして、残った僅かな金も99%を税として持っていかれた。
「……恐ろしい男ね、ルシウス様は」
ノクターン領の執務室で、レティシアは震えていた。
彼女の工場も、新通貨への対応と納税で大打撃を受けた。
増殖バグに何の関与もない正規の生産者である自分まで巻き添えを食らったのだ。
『シャルル:ルシウス宰相の手法は、経済学で言う「ショック療法」に近いものです。患部を切除するために、周囲の健康な組織まで犠牲にする。乱暴ですが、国全体が死ぬよりはマシという判断でしょう』
「……ええ。国全体が死ぬよりはマシ。……でも、痛いわ」
レティシアは帳簿を見つめた。
借金100億は、ハイパーインフレのおかげで「事実上ゼロ」になった。
だが、工場の運転資金も、領民への給料も、原料の仕入れ代も、全てリセットされたに等しい。
ルシウスは、腐った患部(過剰な通貨)を切り落とす大手術を、たった一晩でやってのけたのだ。
「でも、これで終わるマリエルじゃないわよ……」
レティシアの予感は当たっていた。
王都のスラム街。
無一文に戻ったマリエルは、ゴミとなった旧金貨の山の上に腰かけ、夕日に照らされながら新紙幣を一枚、指先で弄んでいた。
その目は、敗者のそれではなかった。
「国が管理する通貨がダメなら……」
マリエルは紙幣をヒラヒラと宙に放った。
夕風がそれを攫い、スラム街の路地の闇へと吸い込まれていく。
「『国が管理できない通貨』を作ればいいじゃない」
彼女の目には、まだ消えていない野望の火が灯っていた。
いや、むしろ以前より強く。
追い込まれた獣は、最も危険な行動に出る。
マリエルの頭の中では、すでに次の「システム」の設計図が描かれ始めていた。




