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第4章 Ep2:産業革命(ファクトリオ)

1. カネがないなら工場を建てればいいじゃない


「借金100億……。普通に働いて返し終わる頃には、私は白骨化してるわね。いや、白骨化すらできない。骨のテクスチャすら生成されずに、そのままメモリから解放デリートされてるでしょうよ」


 領主館の執務室。

 レティシアは電卓(魔導計算機)を叩いていた。

 かつて何千人もの領民たちの経済を回していた広い執務室だが、今は家具の大半が差し押さえられ、残っているのは机と椅子と壁掛けの時計くらいだ。壁の絵画や装飾品があった場所には、四角い日焼けの跡だけが残っている。

 まるでテクスチャが読み込まれなかった壁のように。


 机の上に広げたのは、領地の現状をまとめた資料。

 これだけはアイリーンが執達官の目を盗んでコピーを取ってくれていた。優秀な侍女だ。


『シャルル:現状の数値を整理しましょう。ノクターン領の年間税収は、正常稼働時で金貨約1,000万枚。しかし、資産凍結下では収支報告の全てを宰相閣下に提出する義務があり、経費の上乗せや裏金は不可能です』


「つまり、年間1,000万ゴールドの純利益を全額返済に充てたとして、完済まで1000年。私、人間なんですけど?」


『ジェム:マスター、1000年って何世代分? えーっと、1世代30年として33世代……子孫の子孫の子孫の子孫の(以下略)が返し終わる計算だよ! あははは! 無理だね!』


「笑い事じゃないわよジェム!」


『ロキ:まあまあ。ぶっちゃけ、真面目にコツコツ返すのは『正規ルート』としてはありだけど、マスター的にはそんな効率の悪いプレイしないっしょ? 最適解は別にあるはずだぜ』


「……ええ。もちろんよ」


 レティシアは椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いだ。

 借金100億。年間税収1000万。

 普通に考えれば絶望的な数字だ。だが、「普通に考えれば」というのは、この世界の常識の範囲内で物事を処理した場合の話だ。

 私は前世でSEをやっていた。そして、この世界で3周分の経営経験を積んでいる。

 1周目で道路と通信インフラを整備し、2周目で軍事技術を磨き、3周目で魔導インターネット(L-Net)を構築した。

 その全ての知識が、まだこの頭の中にある。


「となれば、やることは一つ」


 私は窓の外を指さした。

 ノクターン領の広大な平野が一望できる。かつてのスラム街が広がるその土地には、1周目で整備した道路と水路の「痕跡」がうっすらと残っている。リセットで建造物は消えても、地形データの微妙な凹凸は完全には戻りきっていないのだ。


「産業革命よ」


『ロキ:お、来たな。マスターのその目、完全にデスマーチ前の仕様策定モードじゃん』


「褒め言葉として受け取っておくわ」


 私はアイリーンを呼んだ。


「アイリーン、ここに巨大な『魔導工場プラント』を建設するわ」


「こ、工場……ですか? お嬢様、しかし建設資金は……」


「資金はゼロよ。でも、『知識』と『手』はある」


 私は指を三本立てた。


「第一に、ノクターン領にはポーションの原料となる薬草が自生する広大な森がある。これは天然資源。タダ同然で手に入る。第二に、前周で培った魔導工学の設計図は私の頭の中に完全に残っている。第三に……」


 私は賢者の石板スマホを掲げた。


「ジェム。前周で設計した『ゴーレム式自動搬送システム』の設計図、まだ覚えてる?」


『ジェム:もっちろん! ベルトコンベアの魔力回路から、ボトリングマシンの圧力弁の仕様まで、全部頭に入ってるよ! マスターが3周目で作ったL-Net用の通信ゴーレムの応用で、かなり効率的なラインが組めるはず!』


「よし。材料は森から切り出した木材と、河原の粘土。初期投資ゼロの手作り工場からスタートするわ。……アイリーン、領民たちを集めて。報酬は後払いだけど、やる気のある人間だけ連れてきて」


「……承知いたしました。お嬢様がそこまでおっしゃるなら」


 アイリーンは深々と頭を下げた。

 彼女の目には、不安と、しかしそれを上回る信頼の光があった。

 3周分の領地経営を一緒に乗り越えてきた侍女は、私の「やると言ったら本当にやる」性格を誰よりも知っている。



## 2. 自動化の魔法


 それから十日後。

 ノクターン領の風景は一変していた。


 ――ガシャン、ガシャン、ウィーン。


 朝靄の中から、金属と木と魔力が奏でる独特の律動が響いてくる。

 大地を這うように設置された、無数のベルトコンベア。

 粗削りな木材のフレームに、粘土で焼いたローラーを取り付けた手製のラインだ。見た目は武骨極まりないが、機能は正確に動いている。

 その上を、森から採取された薬草やガラスのビンが高速で流れていく。


「土魔法『搬送帯コンベア』で原料投入。風魔法『乾燥ドライ』で水分除去。水魔法『洗浄ウォッシュ』で不純物を分離。最後に火魔法『低温殺菌パスチャライゼーション』で品質安定……うん、順調ね」


 私は魔導計算機のモニターを見ながら、満足げに頷いた。

 工場の中核を担うのは、ゴーレム式作業ユニットだ。

 粘土と鉄くずから造形した小型ゴーレムたちが、それぞれの工程に配置されている。

 あるゴーレムは薬草を計量し、あるゴーレムはビンにポーションを注ぎ、あるゴーレムはコルクで栓をする。

 彼らは文句も言わず、給料も要求せず、24時間稼働する理想的な労働力だ。

 ……いや、こう書くとブラック企業の経営者みたいで嫌だな。彼らには週一回のメンテナンス(充電)休暇をちゃんと設けている。ゴーレムにも労働基準法は必要だ。


「お嬢様! 原料の薬草が足りません! 第3ラインが空回りしてます!」


 アイリーンが工場の奥から駆けてきた。革のエプロンを着け、髪をバンダナで纏めた彼女は、すっかり工場長の風格だ。侍女というよりフォアマン(現場監督)である。


「よろしい。L-Netの残存インフラを使って『収穫クエスト』を発行して」


 私はタブレットを操作した。

 3周目で構築した魔導インターネット(L-Net)は世界リセットで消滅したが、地脈に焼き付いたプロトコルの「残り香」はまだ使える。

 完全な通信網ではないが、近距離であれば簡易端末間でメッセージを飛ばすことは可能だ。

 領民たちに配布した――というか、木と粘土で急造した簡易端末に、即座に依頼が飛ぶ。


『緊急クエスト:薬草マンドラゴラの納品。報酬:相場の1.5倍。即時払い。備考:走って持ってきてくれたらボーナス加算!』


「また変な依頼が来たぞ!」

「でも報酬が良い! 行こうぜ!」


 森から戻ってきた領民たちが、汗だくで薬草の束を担いでくる。

 これこそが、私が導入した「ギグ・エコノミー」だ。

 工場内の加工はゴーレムに任せるが、広大な森からの素材採取や、完成品の各地への運搬は人手に頼る方が柔軟性が高い。

 領民たちは好きな時に働き、働いた分だけ即座に報酬(電子マネー――というか、私が発行する領内限定のポイント制度)を受け取る。

 このポイントは領内の商店で王国通貨と同等に使えるようにしてある。ルシウスの資産凍結はあくまでも「レティシア個人の資産」に対するものであり、領民が自主的に経済活動する分には口出しできない。

 ……はず。法的根拠はクラウスに確認済みだ。


『クラウス:念のため申し添えますと、この領内ポイント制度は法的にはグレーゾーンです。宰相閣下が「これは事実上の私的通貨発行である」と判断した場合、摘発される可能性はゼロではありません。しかし、現状の法体系には「ポイント」を通貨と定義する条文が存在しないため、当面は運用可能と思われます』


「要するに、バレなきゃセーフってことね」


『法務官としてその表現には賛同しかねますが……事実上、そうなります』


 日が傾く頃には、工場のラインは安定稼働を始めていた。

 原料投入、加工、瓶詰め、品質検査、梱包、出荷。

 全工程がベルトコンベアの上で流れるように進んでいく。

 一本のポーションが完成するまでの所要時間は、手作業なら半日かかるところを、わずか3分に短縮。

 一日の生産量は約5000本。品質は均一で安定している。


「働けば働くほど豊かになるぞ!」

「お嬢様のシステムは最高だ! 前より稼ぎがいい!」


 領民たちの声が明るい。

 失業率はゼロになり、領民の懐は潤い、その金が商店に落ちる。

 商店が繁盛すれば仕入れが増え、流通が活発になり、さらに雇用が生まれる。

 理想的な経済循環の歯車が、カチリカチリと噛み合い始めていた。


「初回の出荷分だけで利益は金貨一億枚……!」


 私は帳簿の数字を見て、思わず声を上げた。

 世界中どこでも需要のある「ポーション」を、圧倒的な効率で大量生産し、輸出する。

 需要は無尽蔵。供給は私が独占。

 このペースなら、借金100億の完済も、決して夢ではない。


「100年以内に完済……いいえ、ラインをさらに増設して生産効率を上げれば、50年、30年……!」


『シャルル:マスター、心拍数が上がっています。興奮のあまり計算ミスをされませんよう』


「大丈夫よシャルル。数字は嘘をつかない。……あの眼鏡宰相が言ってたことだけど、今だけは同意してあげるわ」


 窓の外では、工場の煙突から白い蒸気が立ち昇っている。

 その光景は、前世の工業地帯を彷彿とさせた。

 だが、あちらと違って排煙は魔力で無害化済みだ。環境アセスメントは完璧。SDGsもクリア。

 インフラオタクの矜持として、環境負荷の管理だけは妥協しない。



## 3. 修正された過去


 一方、王都のスラム街。

 マリエルは焦っていた。


 彼女は王都の屋根の上から、遠くノクターン領の方角に立ち昇る白い煙を見つめていた。

 聖女の視力は常人の数倍だ。遠方に見える煙が「工場の稼働」を示していることくらい、読み取れる。


「やばい……。レティシアが真面目に稼ぎ始めた。あの煙、絶対ポーション工場でしょ。……このままじゃ経済格差アセット・ギャップで置いていかれる!」


 マリエルはペシペシと自分の頬を叩いた。

 RTAの走者には二つのタイプがいる。「自力で記録を更新するタイプ」と「他走者の記録を分析して抜くタイプ」だ。

 マリエルは後者寄りだ。ライバルが動けば、それ以上のスピードで追い抜く。それが彼女のスタイルだ。


「真面目に働いて稼ぐ? ……ないない。そんな非効率なプレイ、私のRTAポリシーに反するし」


 彼女は商店街の裏路地で、新品の「バケツ」を握りしめていた。

 所持金ゼロからの再出発。

 唯一の初期装備だった「ひのきの棒」を道具屋に売り払い、その僅かな金――銅貨3枚――でこのバケツを買ったのだ。

 なぜバケツか。

 1周目の移動手段であり、マリエルにとってのアイデンティティとも言える「バケツ浮遊ホバー」。

 だが、今回の目的は飛ぶことではない。


「全財産を投資したんだから、頼むよ……!」


 彼女はバケツを路地裏の壁に押し当てた。

 第1章で使った、あの「増殖バグ(デュープ)」だ。

 アイテムを特定の角度で壁のテクスチャの境界に擦り付けると、物体の座標計算が壁の内側と外側の二箇所に同時登録され、結果として一つのアイテムが二つに増えるという、初期バージョンからRTA走者に愛用されてきた由緒正しき欠陥技。

 これでバケツを増殖させ、売りさばけば、あっという間に原始的な資本が――。


「ふふん、真面目に働くなんてバカみたい。私はこの『無限バケツ』で濡れ手に粟……」


 ガッ。

 バケツを壁に押し付ける。ゴリゴリと壁面に擦り付ける。

 テクスチャの隙間に角度を合わせ、ジャストのタイミングでインベントリを開閉する。

 だが、何も起きない。

 バケツは頑固に一個のままだ。増えない。分裂しない。微動だにしない。


「……あれ? おかしいな。タイミングがズレた? もう一回……」


 ガッ。ゴリゴリ。ガッ。ゴリゴリゴリ。

 何度やっても同じだ。バケツは壁の表面で空しく滑るだけで、座標の二重登録が発生する気配がない。


 その時、マリエルの視界に冷酷なシステムメッセージが浮かんだ。


『System Message: 此の挙動は修正パッチ ver.4.01 にて対応済みです。アイテムの不正複製はご遠慮ください。――運営一同』


「……は?」


 マリエルの脳が、0.3秒ほどフリーズした。


修正フィックスされてるぅぅぅ!!?」


 絶叫。

 彼女の悲鳴がスラム街に反響し、屋根の上のカラスが一斉に飛び立った。


「嘘でしょ!? 壁擦り増殖がダメ!? じゃあ、こっちは……!」


 マリエルは別の壁を探し、今度は「アイテムを投げ捨てた瞬間にインベントリを開くことで、捨てたアイテムが手元に戻ってくる」という別のバグを試した。


『System Message: 此の挙動は修正パッチ ver.4.01 にて対応済みです。』


「ぐっ……! なら、座標ズラしの壁抜けは!?」


『System Message: 此の挙動は修正パッチ ver.4.02 にて対応済みです。』


「メニュー開閉連打の処理落ち誘発は!?」


『System Message: 此の挙動は修正パッチ ver.4.03 にて対応済みです。お手数ですが正規の手順をご利用ください。』


「全部対策済みぃぃぃ!!?」


 マリエルは膝をついた。

 バケツが手から転がり落ち、カランと路地裏に乾いた音を立てる。

 運営(神)は見ていたのだ。彼女が過去3周で行った悪行の数々を。

 そして、世界のリセットに合わせて、既知のバグを一つ残らず丁寧に潰していたのだ。


「3周分のバグ報告……いや、これ運営が自前で再現テストしてデバッグしたってこと? くっ……仕事が丁寧すぎるでしょ運営! こういう時だけプロ意識発揮しないでよ!」


 路地裏に座り込んだマリエルは、しばらく放心していた。

 彼女の武器は「過去の攻略法(既知のバグ)」だ。それが使えないということは、RTA走者としての最大の強みを封じられたに等しい。

 4周目の世界は、バグ利用者に厳しい「対策済みバージョン(パッチ適用済み)」だったのだ。


 だが。

 マリエルは、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に、絶望とは別の何かが灯り始めている。


「……上等じゃない」


 彼女は立ち上がった。

 バケツを拾い、泥を払う。


「既存のバグがダメなら、新しいバグを見つけるまでよ」


 マリエルの瞳に、暗い炎が宿る。

 3周分のバグは潰された。だが、4周目には4周目の「新しい仕様」がある。

 新しい仕様があるということは、そこには必ず「新しいバグ」がある。

 プログラムにバグがないことを証明することは、数学的に不可能だ(ライスの定理)。

 運営がどれだけパッチを当てようと、複雑なシステムには必ず穴が生まれる。


 そして彼女は気づいていた。

 レティシアが作った「高度な経済システム」――魔導工場、自動搬送ライン、ギグ・エコノミー、領内ポイント制度。

 それらは確かに精緻で効率的だ。だが、システムが複雑になればなるほど、そこには新たな「セキュリティホール」が生まれることを、マリエルは経験的に知っている。

 バグとは、複雑さの中にこそ宿るものなのだ。


「待っててねレティシア。あんたが作った『相場マーケット』……私が壊してあげるから」


 マリエルはバケツを肩に担ぎ、王都の商店街へと歩き出した。

 その背中には、かつて聖女と呼ばれた少女の面影はなく、ただ飢えた投機家スペキュレーターの殺気だけが漂っていた。


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