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第4章 Ep1:執達吏は突然に

1. 4周目の貧乏くじ


 チュンチュン。

 チュンチュン、チュチュン。

 小鳥のさえずりが、やけに間の抜けたサンプリングレートで脳幹に届く。

 ――ああ、またこの音だ。

 世界が「リセット」された直後の、テスト段階の環境音。まるでデバッグ用の仮置きSEのような、やる気のない鳥の鳴き声。


 レティシア・ノクターンは、硬いマットレスの上で目を開けた。

 4度目の朝。

 4度目の「強くてニューゲーム」。

 天井に見覚えがある。精緻なロココ調の漆喰装飾。だが、その漆喰の一部が微妙に欠けて、下地の木材が覗いている。テクスチャの解像度が前回より少し落ちている気がするのは、3度のクラッシュによるデータ劣化の名残だろうか。


「……ふわぁ。また最初からね」


 私は重い体を起こし、まず本能的に両手を自分の側頭部へ伸ばした。

 ――ない。

 あの慣れ親しんだ螺旋の感触が。朝起きた時に独特の重量でバランスを取ってくれた、我が忠実なる左右対称の装飾品テクスチャが。

 第2章の没収ペナルティで奪われた「着脱式形状記憶ドリル(Mk-II)」。3周目を経ても、運営(神)はそれを返してくれなかった。


「……ドリルがないのは、もう慣れたわ」


 嘘だ。全然慣れてない。毎朝、あの重量がないことで首が寂しくてしょうがない。まるでデスクトップからお気に入りのウィジェットを消された時のような喪失感だ。

 だが、今朝はそんなセンチメンタルに浸っている場合ではなかった。


 窓の外を見る。

 そこは王都の学園寮……ではない。

 見慣れた、実家(ノクターン領主館)の自室だった。

 1周目であれば王都の華やかな寮で朝を迎えていたはずだ。なぜ実家にいるのか。


「……そっか。入学金も没収されたんだったわ」


 今朝、目覚めた瞬間に、枕元に一枚の羊皮紙が置かれていた。

 王家の紋章入り、赤い封蝋を押された公式文書。

 内容は冷酷極まりないものだった。


『王立学園入学許可取り消し通知:ノクターン公爵家名義の学費納入が確認できないため、本年度の入学許可を取り消します。なお、これまでに取得された単位は全て無効となります。異議申し立ての窓口は存在しません。――王立学園事務局より』


 資産凍結は徹底していた。学費すら払えない貧乏貴族に、王都で学ぶ権利はないということか。

 強制送還キック

 彼女はゲーム開始と同時に、スタート地点(領地)にリスポーンさせられたのだ。


『シャルル(AI-01/執務官):おはようございます、マスター。心拍数は安定していますが、血圧がやや低い模様です。寝起きの気分はいかがでしょう?』


「最悪よ」


 サイドテーブルに置かれた賢者の石板スマホが、朝のご挨拶とばかりに青白いホログラムを灯す。

 私は体を引きずるようにしてベッドの脇に座り、サイドテーブルの引き出しを開けた。

 そこには、領地経営のための「秘密の帳簿」と「金庫の鍵」が入っているはずだった。


「……ない」


 空っぽだった。

 鍵も、帳簿も、へそくりの小銭さえも。

 きれいに消え失せていた。

 まるで、HDDをフォーマットした直後のように。


『ロキ(AI-02/情報屋):あー……マスター、やっぱダメだったわ。俺もさっき全ストレージスキャンかけたんだけどさ、財務関連のデータ、軒並みNULLになってる。残高ゼロどころか、記録そのものが消去されてんのよ』

『ジェム(AI-03/設計技師):うわぁぁぁ……帳簿のバックアップも全部飛んでるよ! ローカルもクラウド(地脈保存)も! 完璧なワイプだよこれ!』


「嘘……でしょ? あのシステムメッセージ、本気だったの?」


 『資産全額没収』。

 昨夜の白い部屋で、運営(神)が言い放った無慈悲な宣告が脳裏をよぎる。

 3周目で私とマリエルがやらかした魔導インターネット(L-Net)の暴走。その結果としての世界崩壊スタックオーバーフロー。そのペナルティが、これだったのだ。


 ドリル(第2章で没収済み)。

 そして今度は、カネ。

 文字通り、着の身着のままの一文無しだ。

 私がこの世界で4周かけて蓄えてきた知識と技術だけは残っているが、それを活かす資本がゼロ。

 いや、ゼロならまだいい。問題はそれだけでは済まないかもしれないということだ。


『クラウス(AI-04/法務官):マスター。……実は一点、お伝えしなければならない情報がございます。大変申し上げにくいのですが』


「何? これ以上悪い知らせがあるの?」


『昨夜の世界リセット処理の記録を確認いたしましたところ、資産没収に加えて「特別負担金」が課されている旨の記載がございました。金額は――』


 クラウスが一拍、ためらうように沈黙した。AIのくせに人間臭い間を取るな。


『――金貨100億枚でございます』


 私の思考が0.5秒ほど停止フリーズした。


「……100億?」


『はい。金貨10,000,000,000枚。10の10乗。ゼロが10個。我が領の年間税収のおよそ1000倍に相当します』


「っ……ちょっと待って。資産全部没収された上に、さらに100億の借金? それ、完済するのに1000年かかるじゃない!」


『普通に返済した場合、はい。マスターの寿命では到底不可能な数字です。なお利息については記載がありませんでしたので、複利で雪だるま式に増える最悪のシナリオだけは免れたようです』


「それが唯一の救いって、救いの基準がバグってるのよ……!」


 私はベッドに突っ伏した。

 柔らかいはずの羽毛枕が、岩のように冷たく感じる。

 前世のデスマーチの日々が脳裏をよぎった。終わらない仕様変更。増え続けるバグ。削られる納期。

 あの頃は「これ以上の理不尽はない」と思っていた。

 甘かった。

 この世界の運営(神)は、前世のブラック企業の上を行く極悪ぶりだ。



## 2. 冷徹なる宰相


 ドンドンドンドンッ!!


 私がベッドの上で絶望に沈んでいると、階下から領主館の玄関が激しく叩かれる音が響いてきた。

 ただ事ではない。

 領主館の正門には警備ゴーレムが配置されているはずだが、その音は明らかに正面玄関の扉を直接叩いている。つまり、警備をすり抜けるか、あるいは堂々とゲートを通過する権限を持つ者が来ているということだ。


「お、お嬢様! 大変です!」


 アイリーンが蒼白な顔で階段を駆け上がってきた。普段は冷静沈着な彼女が、こうも取り乱すのは珍しい。


「玄関に……宰相閣下がお越しです! それも、王立執達局の方々を引き連れて!」

「執達局……差し押さえの役人じゃないの!?」


 私は寝巻きのまま、慌てて階段を駆け降りた。

 髪はボサボサ。ドリルどころかブラシすら通していない。悪役令嬢としてのテクスチャ管理は完全に崩壊している。だが、そんなことを気にしている場合ではなかった。


 重厚な玄関の扉を開ける。

 早朝の冷たい空気が頬を刺す。

 そこには、数人の黒服の男たちと、一人の長身の男が立っていた。


 黒服たちは全員が同じ無表情で、まるでコピー&ペーストされたかのように統一された姿勢を取っている。モブNPCの使い回しが露骨だ。だが、その中央に立つ男だけは、明らかに異なるオーラを放っていた。


「……レティシア・ノクターンだな」


 男は冷ややかな声で言った。

 銀髪を神経質そうに撫で付け、縁なし眼鏡の奥から、まるでスプレッドシートの数字を読むような無機質な視線を向けてくる。

 歳は30代半ばだろうか。端正な顔立ちではあるが、そこに温かみは微塵もない。痩躯を黒の官服に包み、胸元には王家の財務紋章が金糸で刺繍されている。

 その顔には見覚えがあった。


「宰相……ルシウス様?」


 ルシウス・バレンタイン。

 王国の財務を一手に担う、若き天才宰相。

 その冷徹な仕事ぶりから「氷の宰相」と呼ばれ、国王ですら頭が上がらないと言われる人物だ。

 ゲームの攻略対象の一人であり、シナリオ上は「冷たい外見の裏に秘められた熱い想い」を攻略するルートが用意されていたはずだが――今、目の前にいる彼の瞳には、純粋な職務遂行の意志しか見えない。

 恋愛フラグどころか、彼は今、完全に「取り立て屋モード」だ。


「なぜ、貴方がこんな辺境に……?」

「債権回収だ」


 会話に一切の無駄がない。チュートリアルすらスキップする勢いのテンポだ。

 ルシウスは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、私の顔の前に突きつけた。

 重厚な王家の紋章。赤い封蝋。そして、信じられない数字が記されていた。


『請求書:地脈特別修繕負担金』

『請求額:金貨10,000,000,000枚(100億ゴールド)』

『支払期限:なし(完済まで無期限に追跡)』

『連帯債務者:レティシア・ノクターン、マリエル・ブラン』


「は……ひゃ、100億!?」


 声が裏返った。朝からこんな悲鳴を上げるのは、前世のリリース日の朝にサーバーが全滅していた時以来だ。


「貴城の地下を中心として発生した高密度の魔力暴走により、この国を支える地脈レイラインはズタズタに裂け、壊滅的なダメージを受けている。その修復費用だ」


 ルシウスは淡々と事実を告げた。

 大規模魔導災害。それが表向きの理由だ。

 だが、その裏には、第3章での私たちの暴走――レティシアの魔導インターネット(L-Net)とマリエルのハッキング戦争が、世界の基幹システム(地脈)を焼き切れる寸前まで追い込んだという事実があった。

 通常のNPCであれば「天変地異」としか認識できないはずの現象を、この男は正確に「魔力暴走」と呼んでいる。


(……この人、どこまで知っているの?)


 私は内心でゾッとした。1周目から3周目まで、このルシウスというキャラクターは表舞台にほとんど出てこなかった。まるで、裏側からずっと全てを観測していたかのような、不気味な全知感がある。


「本来なら国家転覆罪で処刑されてもおかしくない案件だ」


 ルシウスの声のトーンが、わずかに下がった。

 その一言で、背後の黒服たちの手が腰の剣に伸びた。


「だが、その頭脳と魔力制御技術だけは評価に値する。ゆえに、金で解決する道を残してやったのだ。……感謝しろ」


「感謝……ですか」


 100億の借金を背負わされて「感謝しろ」と言われても、感謝できるのは聖人かマゾヒストくらいだ。私はどちらでもない。ただのインフラ好きのSEだ。


「現時刻をもって、ノクターン領の全資産を凍結する」


 ルシウスは革手袋をはめた手で、二枚目の書類を取り出した。


「貴様の預金、不動産、動産、魔導資産、将来の税収に至るまで、全て国が管理下に置く。また、経費の使用には逐一、私の決裁が必要となる。つまり――」


 彼はわずかに口角を上げた。それは微笑みというよりも、逃げ道がないことを確認した捕食者の表情だった。


「今この瞬間から、貴様は領主ではない。国の管理下に置かれた、ただの『多重債務者』だ」


「そ、そんな! それじゃあ領地経営が……!」


「経営?」


 ルシウスは眼鏡を人差し指で押し上げた。レンズに朝日が反射し、一瞬だけ白く光る。


「甘えるな。返済計画が立つまで、泥水すすってでも働け」


 その言葉が、氷の刃のように胸に突き刺さった。

 背後でアイリーンが息を呑む気配がする。


 ルシウスは書類の束を私の手に押し付けると、踵を返した。黒服たちが無言で従う。

 だが、門を出る直前で、彼は足を止めた。


「……一つ忠告しておく」


 振り返らずに、ルシウスは言った。


「貴様がどれほどの才覚を持とうと、数字は嘘をつかない。100億という数字の前では、いかなる理想も理屈も無力だ。――ただし」


 わずかな沈黙。


「数字を味方につける方法を知る者だけが、この地獄を抜け出せる。せいぜい知恵を絞ることだ」


 そう言い残して、宰相閣下とその一行は領主館を去った。

 玄関先に残されたのは、借金の明細書を握りしめて立ち尽くす私と、困惑の極みのアイリーンだけだった。


「お嬢様……大丈夫ですか?」

「……大丈夫なわけないでしょう。でも」


 私は明細書を畳み、寝巻きのポケットにねじ込んだ。

 手が震えている。でも、膝は折れない。

 3回の世界崩壊を生き延びた足は、まだ立てる。


「やることは変わらないわ。泣いても笑っても、前に進むしかないのよ。……ただし今回は、ドリルも軍隊も資金もない。文字通りの無一文スタート(ハードモード)ね」


『シャルル:マスター。一つだけ良い知らせがあります』

「何? 今の私に良い知らせなんてあるの?」

『過去3周で得た全ての技術知識、経営ノウハウ、そして我々カルテットとの契約は、引き続き有効です。つまり――脳内ライブラリは無傷です』


「……そうね。知識だけは没収されなかった。それが唯一の資産ってわけ」


 私は深呼吸をした。

 冷たい朝の空気が、パニック寸前だった頭を少しだけ冷やしてくれる。



## 3. 金の亡者たち


 一方、王都のスラム街。

 マリエル・ブランもまた、絶望の朝を迎えていた。


 彼女が目を覚ましたのは、雨漏りのする薄暗い路地裏だった。

 背中の下には湿った藁と、名前も知らない虫の感触。鼻をつく腐敗臭。壁の隙間から差し込む薄い朝日だけが、辛うじてここが「屋外」であることを教えてくれる。

 王都のスラム街。治安レベルはE。エンカウント率は高いが、モンスターではなくスリと酔っ払いが主な脅威だ。


「うぅ……寒い……」


 マリエルは体を丸めたまま、まず本能的にインベントリ(所持品欄)を呼び出した。

 RTA走者にとって、起き抜けに最初にすることは歯を磨くことでもコーヒーを淹れることでもない。所持品の確認だ。リセット後のニューゲームでは、引き継ぎアイテムの有無が序盤の攻略速度を決定的に左右する。


「えーっと、所持品は……」


 半透明のウィンドウが目の前に展開された。

 そこには――何もなかった。


「……ない。ないないない!」


 彼女は飛び起きた。

 インベントリの全スロットが空白。

 今までのRTAで稼ぎまくったレア装備、換金用の高級素材、回復ポーションの山、そしてバグ技で増殖させた莫大な所持金。

 その全てが『NULL』になっていた。

 まるでセーブデータをフォーマットされたかのように、きれいさっぱり消滅している。


「私の……私の廃課金アカウントが初期化されてるぅぅぅ!!」


 マリエルの絶叫がスラム街の路地裏に響き渡った。

 近くで寝ていた浮浪者が「うるせぇ」と呟いて寝返りを打つ。


 彼女は震える手で、一つ一つのスロットを確認していく。

 装備欄:空。

 消費アイテム欄:空。

 素材欄:空。

 所持金:0 G。


 唯一残っていたのは、ボロボロの「ひのきの棒」一本だけ。

 このゲームが新規プレイヤーに与える、最底辺の初期装備。攻撃力1。振り回しても蚊すら殺せない可能性がある。

 Lv99のステータスだけは引き継がれているが、無一文では宿にも泊まれない。Lv99の浮浪者だ。シュールにもほどがある。


「信じらんない……3周分の蓄えが全部パーだなんて……」


 マリエルはひのきの棒を握りしめ、ガックリと膝をついた。

 路地裏の水たまりに映る自分の顔は、泥と寝癖でひどいありさまだ。聖女の面影など欠片もない。

 だが、その瞳の奥で、何かがギラリと光った。


「……ん? ちょっと待って」


 マリエルはゆっくりと立ち上がった。


「運営(神)は、私の金を没収した。装備も素材もゼロにした。バグ技のいくつかには修正パッチを当てた。……でも」


 彼女はひのきの棒を肩に担ぎ、ニヤリと口角を上げた。


「私の『脳みそ(攻略知識)』だけは、消せなかったよね?」


 それはレティシアと全く同じ結論だった。

 過去3周で学んだ全てのバグ技、グリッチの原理、世界の仕様の穴。

 修正されたものもあるだろう。だが、「修正された」ということは「修正されていない穴」が別にあるということでもある。


「……許さない。運営も、あの眼鏡宰相も!」


 マリエルは路地裏から一歩踏み出した。

 朝の王都は、市場に向かう商人たちの喧騒で満ちている。活気のある声、荷車の車輪が石畳を転がる音、焼きたてのパンの匂い。

 だが、マリエルの目に映っていたのはそんな平和な日常ではなかった。

 商人たちの手から手へと渡っていく「金貨」。店頭に並ぶ「商品」。そして、それらの価値を決めている「相場」という見えないシステム。


 彼女の聖女の慈愛は消え失せていた。

 あるのは、飢えた狼のような欲望だけ。


「金がないなら、作ればいい」


 マリエルはひのきの棒の先端で、足元の泥に数式を書いた。

 需要と供給。通貨の流通量。物価と貨幣価値の相関。

 それは3周目で魔導長官サイラスから盗み見た、経済シミュレーションの基礎理論だった。


「この世界の経済エコノミーをハックして、国ごと買い取ってやるわ!」


 4周目の幕が開く。

 一方は借金100億を背負ったインフラオタクの悪役令嬢。

 もう一方は全財産を失った元RTA聖女。

 二人の間に立つのは、氷のように冷徹な宰相。


 それは、仁義なき経済戦争マネー・ウォーズの始まりだった。


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