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第2章 Ep1:2周目の朝、それぞれの対策

 ピピピッ、ピピピッ。

 電子音が鳴る。


 朝。2度目の「入学式の朝」だ。


 レティシアは目を覚ましたとき、一瞬だけ戸惑った。天井の装飾、窓から差し込む光の角度、空気の湿度――すべてが前回と同じだ。だが、同時にすべてが違う。なぜなら、彼女の心に、前回の記憶が刻まれているから。


「また……始まったんだ」


 呟いて、彼女は起き上がった。


 昨夜の悪夢が鮮烈だった。白熱する魔力、轟音を立てて崩れる大地、画面の端に表示されたエラーコード。そして何より、あの聖女の足音が自分の脚を踏み砕こうとするとき、世界そのものが悲鳴を上げた。ゲームオーバー。クラッシュ。リセット。


 歴戦のSEとして、レティシアは知っていた。バグは遺伝するということを。前回のデータは消えても、世界の「歪み」は蓄積される。そしてその歪みを乗り越える経験は、次のプレイに引き継がれる。


 鏡の前で、彼女は自分の顔を見つめた。金髪縦ロール。前回と同じように完璧に整えられている。が、瞳の奥に映るものは違う。迷いではなく、確信。敗北ではなく、準備。


「……戻ってきたわね」


『お嬢様、お疲れのご様子。本当に意識は前回のままなのですか?』


 シャルルの声が、朝の空気に溶け込むように現れた。宮廷風の丁寧な口調だ。彼はいつも、主人の精神状態を気にかけている。


「確かめたいことがある。ノクターン領の状態を報告して」


『かしこまりました。スキャン中…… はい。ノクターン領のマップデータ、バージョン2.0(舗装済み)が完全に維持されています』


 その言葉とともに、レティシアの脳裏に一枚のマップが浮かんだ。碁盤目状に整えられた街。南北東西に伸びた舗装路。下水道のネットワーク。そして、整地された畑。


 ああ、見覚えがある。前回、自分が身体中を泥で汚しながら、何度も何度も造った光景だ。それが、今もここに存在している。


「インフラ資産アセットはサーバー共通……」


 レティシアは呟いた。深いため息をつき、続けた。


「リセットされても『地形』までは巻き戻らない。この世界の基礎インフラは、永続性を持つ。――つまり、我々の前回のプレイは、決して無駄ではなかったということね」


 不敵な笑顔が浮かぶ。


 クローゼットから旅装を取り出しながら、彼女は動き始めた。その動きは前回とは違う。前回は試行錯誤に満ちていた。今回は目的地へ向かう、迷いのない足取りだ。


『お嬢様、ご出発ですか?』


「そうね。入学式には出ないわ。今回のスケジュールは、インフラ整備のフェーズ2へ移行する。時間がない」


 ドレスを脱ぎ、旅装に着替える。靴を履く。そのとき、別の声が割り込んできた。


『待ってください、お嬢様。入学式をスキップすると、主人公補正がいくつか消失します。ゲーム進行に支障が――』


 ロキだ。彼は常に、公式な手続きを重視する官僚的なAIである。


「その『支障』とやらが何か、詳しく言ってみて」


『システムイベント「入学式典礼」をスキップすると、獲得経験値の上限値が20%低下し、加えて『学園内での人間関係フラグ』が発動しません。これは中長期的に――』


「ロキ、いい? 私たちは短期決戦に転換した。この国を支配するRTA走者が相手だ。『人間関係フラグ』は後からいくらでも構築できるけど、時間は失ったら戻らない。優先順位は効率そのもの」


『……了解いたしました』


 ロキはやや不満げに黙った。


『お嬢様のご計画はなんですか?』


 ジェムだ。魔導専門のAIは、初心そのものの声で質問した。


「前回のクラッシュの原因、わかってる? あの『バグ聖女』と私が直接衝突したことよ。私という『インフラシステム』と、彼女という『不正なメモリアクセス』が相互干渉を起こした。その結果、サーバー全体がシャットダウンした」


 レティシアは窓へ向かいながら説明した。朝日がオレンジ色に町を染めている。その景色を見つめ、彼女は続けた。


「つまりね。今のままじゃ『耐える』だけで勝てない。あいつは『排除』しなきゃいけないの」


『排除? お嬢様、まさか……』


「向こうが接触してくる前にね。遠距離から、圧倒的な火力で。バグには、バグの領域で対抗するんじゃなく、正規のシステムで『焼き尽くす』のよ」


 ただの壁では足りない。あの理不尽な聖女は、どんな防壁でも貫く。なぜなら彼女は『ゲームの外側』から来た存在だから。


 ならば、発想を転換する。


「ジェム、あんたの出番よ」


『ぼ、僕ですか?』


「土木工事は完成した。次は『魔導兵器』の開発。防衛兵器ではなく、『攻撃兵器』。敵を寄せ付けない圧倒的な遠距離火力。タワーディフェンスの攻略法はね、強固な壁を作ることじゃなくて、『敵を要塞圏内に入れさせない』こと。そのためには……」


『わかりました!』


 ジェムの声に、俄然として気合が宿った。彼は魔導こそが唯一の生きがい。その目を輝かせ、次々と想像を膨らませる。


『お嬢様、例えば、複合魔法陣を複数展開して、同時並行で多様な魔導攻撃を――』


「待って、待ってください、お嬢様」


 四人目の声が、割り込んできた。最後のAIである。


『出発前に、確認すべき事項があります』


 クラウス。政治経済の専門家で、最年長AI。彼の声は沈着で、いつも警告で満ちている。


「何?」


『ノクターン領の領民たちです。前周での領土開発で、彼らは大きな利益を受けた。つまり、彼らはお嬢様への『好感度フラグ』を既に獲得しています』


 ああ。そういえば、そういう数値もあったか。


『領民への待遇が急変すると、クーデターフラグが立つ可能性があります。魔導兵器開発のための動員がもし知られたら、『領主は戦争を起こそうとしている』という情報が流布し、反感を買うでしょう』


「つまり、『内部崩壊』を防ぐために、適切なアナウンスが必要だと」


『その通りです』


 レティシアは窓から目を逸らし、天井を見つめた。脳内で、同時並行で複数の思考を走らせる。


 インフラの構築。魔導兵器の開発。情報操作による民心掌握。それに加えて……


「わかった。着いてから方針を立てる。それより、一つだけ、皆に言っておきたいことがある」


『は、はい』


 三つのAIが、待機状態で応答した。


「前回、我々は負けた。世界との相互干渉に巻き込まれて、一気に墜落した。だけど、その負けは『無駄』じゃなかった。何なら、我々は既に一周、完走している。このゲームの攻略法は、私たちが一番よく知っている」


 旅装に身を包んだ少女は、もう一度、鏡を見つめた。その瞳には、確かに何かが宿っている。


「2周目は絶対に……」


 彼女は呟いた。


「『処理落ち』なんぞ、起こさせない。制御不能なバグに対して、完璧な『防御システム』を構築する。そのための戦争だ」


 金髪縦ロールの少女は、静かに、部屋を出ていく。


 その背中には、もう迷いがない。


## 2. バグ聖女の反省会


 一方、王都ラングヴァル学園の中庭。


 昼下がりの陽光が、教会建築の白い壁に反射していた。その光の中で、一人の少女がベンチに座っていた。


「あー……落ちたなぁ」


 マリエル・ブラン(15歳)。聖女としての白いドレスに身を包んだ彼女は、本来なら神聖で優雅であるべき雰囲気を全く放っていない。むしろ、ゲーマーのそれだ。両肘をひざに置き、両手で顔を覆うその姿は、『ボスを倒せず、何度もリトライした直後』のそれである。


 彼女の手には、前回錬成した「聖女の杖」が握られている。ステータスはカンスト。レベルも99。装備も完璧。数値の上では、この国にいる誰よりも強い。


 それなのに。


「あの時点では、まだ勝ってたんだけどなぁ」


 マリエルは呟いた。脳裏に、前回の最終局面が浮かぶ。


 金髪の悪役令嬢が、完璧なインフラの上に立っていた。道路、下水道、要塞化された領地。数値で測れない『安定性』が、彼女を支えていた。一方、自分は『純粋な破壊力』で押し通そうとした。そして……


「スキル連打しすぎて、自分の魔力フローを暴走させちゃった。そしたら、あの悪役令嬢ちゃんのインフラシステムと干渉して」


 画面がチカチカと点滅した。音声がぶつぶつと途切れた。キャラクターの描画が止まった。エラーメッセージが表示された。


 DNF――Did Not Finish。ゲームオーバー。


「RTA走者にとって、フリーズはマジで最大の敵だよ」


 マリエルは呟いた。いくら速く攻略しても、世界が止まれば記録は無効。すべてが水の泡。


 彼女は空を見上げた。蒼い空。浮かぶ雲。学園の鐘楼から聞こえてくる鐘の音。


 そして、彼女の脳を支配する思考:『なぜ落ちたのか』。


「処理落ちの原因は……」


 マリエルは指を立てて、分析を始めた。RTA走者の本領だ。


「私が『単一のオブジェクト』として、あまりにも高い処理負荷を抱えていた。魔力量、行動パターン、複数スキルの同時発動――全部、私ひとりに集約されてた。そこに、悪役令嬢ちゃんのインフラシステムという『別の高負荷オブジェクト』がぶつかって、相互干渉を起こした。結果、サーバーが『カンッ』と落ちた」


 分析は正確だ。なぜなら、彼女はゲームの『内側』ではなく『外側』から、ゲームの仕組みを見ることができるから。


「一人で暴れると世界が持たない。ということは……」


 マリエルはベンチから立ち上がった。その表情に、一筋の光が宿った。


「『負荷分散ロードバランシング』だ」


 彼女は自分の手を見つめた。何度も試したスキル。何度も確認した数値。全部、自分一人で処理しようとしていた。


「バカか。解決法は簡単だ」


 呟いて、彼女は歩き始めた。廊下を抜け、学園の奥へ。


 その足取りに、もう迷いがない。


 マリエルは学園の図書室へ向かった。そこで彼女は、『王国の軍事力』について、詳細に書き込まれた文献を探す。王国の騎士団。その総数。装備。強さ。そして何より、その『団長』について。


「えーっと……近衛騎士団。団長は確か……」


 彼女は文献をめくった。紙の匂いが鼻をかすめる。だが、彼女はそんなことはどうでもいいという顔で、情報だけを抽出していく。


「グレン・ライハルト。25歳。剣聖。最強の騎士。王城の守護者……」


 マリエルの口元に、薄い笑顔が浮かんだ。


「最高だ。これ以上ない『負荷分散サーバー』だ」


 彼女は文献を閉じた。


「自分は後ろで指示を出すだけ。実際に動くのは、正規のプログラムで動く兵士たち。それならバグも起きにくいし、世界への負担も少ないはず」


 マリエルは中庭へ戻った。そこで彼女は、決定を下した。


「決まり。今回のルートは『騎士団長攻略』からの『国盗りRTA』で行こう」


 彼女の瞳には、もう愛も情もない。あるのは、効率と、クリアタイムへの執着だけ。


「待っててね、グレン団長」


 マリエルは中庭を後にした。


「貴方の軍隊……有効活用してあげるから」


 彼女の背中には、ゲーマーの冷徹さが宿っている。


 こうして、2周目の幕が上がった。


 同じ世界で、同じ時刻に。


 一方は、未知の魔導兵器を開発するために、領地へ急ぐ。


 一方は、最強の軍団を掌握するために、王城へ向かう。


 互いに異なる戦略を胸に、知らない間に衝突の道を歩む少女たちは、確実に前へ進んでいった。


 戦争はまだ始まっていない。


 だが、確実に近づいていた。


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