第37話 真実が、現れる
訪れた銀騎詮充郎の執務室。
蕾生は息が詰まりそうな緊張感に支配されかけた。この禍々しい老人の独壇場になると思ったからだ。
だが、それを星弥の声が緩和する。彼女は突然手を挙げて、毅然とした態度で祖父に願いを請うた。
「ふむ?」
意外に思ったのか、詮充郎は表情を少し緩めて孫娘を注視する。
星弥はそんな祖父をまっすぐに見つめて語りかけた。
「お話が終わったら、今日は彼らを無事に家に帰してください。わたしはお友達に嘘をついてお祖父様の所に連れてきました。だから彼らの安全は保証してください」
その言葉に永が目を丸くしていると、詮充郎は満足そうに頷き、椅子に深く腰掛け直して言った。
「いいだろう。そもそも今日の会談はお前が設定したようなものだからな」
「ありがとうございます」
ほっとした表情を見せて、星弥も深く座り直す。すでに役目を終えたような顔をしていた。
「では、前置きは省いて言う。周防永、唯蕾生──特に唯蕾生、君のデータが欲しい」
「データ?」
蕾生が聞き返すと詮充郎は掠れた、けれど何故か頭によく通る声で話す。
「そう。身長体重諸々の測定、血液サンプル、それからDNA採取、CTスキャンやMRIも撮影させてもらおう」
「ジジイ、耄碌したのか? おれが許すとでも思ったか?」
永としては予想通りの要求だった。だがあまりに当然の義務のように語る詮充郎の不遜な態度に、自然と口調が変わる。
「まあ、お前はそう言うだろう。ならば、せめて血液だけでも置いていきなさい」
「嫌に決まってんだろ!」
永が語調を強めると、詮充郎は首を傾げながら暗く笑う。
「それも嫌なのか? 我儘を言うもんじゃない──五体満足で帰りたければね」
「お祖父様!?」
その恐ろしい言葉に星弥は動揺した。だが、詮充郎は子どもに言い聞かせるようにゆっくりと語りかける。
「落ち着きなさい、星弥。まだ交渉中だ。唯蕾生よ、周防はこう言っているが君はどうかね?」
話題を振られた蕾生は、ここまででも充分に永の嫌悪感と星弥の恐怖心を感じ取っていた。その元凶である目の前の老人には怒りが湧きつつある。
「あんたの高圧的な態度は気に入らないし、頼みを聞いてやる義理はねえ」
蕾生が答えると、詮充郎は視線を上に向け少し考えた後、黙ったままの鈴心を見る。
鈴心はこの研究室に入ってから一言も言葉を発していない。少し青ざめたまま、永の隣で座るだけ。
強気で、どこか気高さすら感じるいつもの態度は消えている。星弥が詮充郎に対した時も、無反応で黙っていた。
そんな鈴心を見つつ、詮充郎は口端を上げて余裕の態度で語る。
「義理、か。鈴心をこれまで保護してやったことはそれに当たらないか?」
「保護? そんな話は鈴心からは聞いてないな」
冗談じゃない。永の言葉を借りれば、これは誘拐だ。どうやったかはわからないが、永は九百年間信頼していた仲間を奪われている。それは蕾生にとっても憎むべき所業だ。
それを素直に表現した蕾生の発言にも、鈴心はただ俯いて黙っていた。
「……」
鈴心の無言を怒りだと受け取ったのは永の方で、声を荒げて言う。
「詮充郎、お前が前回どんな手を使ったかは知らないが、リンをおれから掠め取ったくせに白々しいんだよ!」
「……なるほど、そうとられているのか。私は助けたつもりだったのだがね」
「ぬかせ!」
激昂する永を他所に、詮充郎は涼しげな顔で傍に控える皓矢に尋ねた。
「まあ、仕方ない。皓矢、データはとれたか?」
「はい、概ね」
「なんだと?」
短い皓矢の頷きに永は少し狼狽した。その様を見て詮充郎はまたニヤリと笑う。
「この部屋には、生体解析AIを搭載した監視カメラを数台設置しているのでね。外からわかる程度の情報はとらせてもらった」
「彼らが座っている長椅子から接触して、微小ではありますがその気の流れも式神に写しました」
皓矢の事務的な付け足しに、永は弾かれたように立ち上がる。
流れるような企みに、蕾生は驚きと怒りで頭が混乱してきた。続けて星弥も非難する。
「兄さん! こっそりそんなことするなんて!」
妹からの抗議にも皓矢は少しも笑わず、無表情で言った。
「だから正直に報告したんだよ、せめてもの誠意でね」
それは、妹に言うような態度ではない。皓矢はこの場では「兄」ではなく、「祖父の後継者」なのだと星弥に悟らせた。
「話し合いの余地なんて最初からなかったな、帰るぞライ、リン」
永はとうに愛想を尽かしており、蕾生と鈴心を促す。
その声で乱れる思考を止める事が出来た蕾生は、すぐさま立ち上がった。
だが、その瞬間、蕾生の全身に電流が走る。手足の自由がきかない。そこから動けなくなった。
「ライ!?」
鈴心が叫ぶが、そちらを見ることもできなかった。
「な……んだよ、これ」
指一本動かすことも叶わず、額に脂汗が浮くのがわかる。呼吸も苦しくなってきた。
「皓矢、このガキ!」
永が即座に状況を理解して皓矢を睨んだ。皓矢が金縛りを蕾生にかけていたのだ。
「お祖父様、約束が違います!」
星弥も泣きそうな声で訴える。だが詮充郎はゆるりとした動作で手を振り、のんびりとした声で場を制した。
「まあ、待ちなさい。話はまだ終わっていない」
完全に優位に立ったと確信して笑う詮充郎と、皓矢の術により自由を奪われた蕾生の苦しい表情を見比べて、苦々しげに歯噛みしながら永はもう一度ソファの端に座り直した。
「わかった」
永がそうしたことで、蕾生にかけられた金縛りはすぐに解かれる。その反動で体のバランスを崩し、ソファに腰を沈めた。同時に立ち上がっていた鈴心が蕾生を気づかって隣に腰掛ける。
「ライ、大丈夫ですか?」
「ああ……」
蕾生はまだ整わない呼吸でそう呟くのが精一杯だった。金縛りの後遺症なのか、まだ少し体が痺れている。
自分が術にかかったことで永が余裕をなくし、詮充郎を睨みつけるだけの状態でいる。そんな永のために何もできない己が情けなかった。
「唯蕾生──いや、ケモノの王よ」
「……は?」
詮充郎の意識は永にはとうになく、その鈍く光る目で蕾生を見据え奇妙な単語で呼びかけた。
「何故、お前だけ転生しても記憶を保持できないのかは知っているか?」
蕾生を子ども扱いしている上に、その子ども相手に主導権を握り自慢げに知識をひけらかそうとする。その態度は、永を更に怒らせるには充分だった。
しかもその話題はこの場に爆弾を投下するほどの危険を孕んでいる。
「余計なこと言うな!」
永の声が、震えている。その体は動かなかった。
見下すように冷たい視線を投げつけ、詮充郎は溜息混じりに言う。
「随分と慎重なことだ。まあ、それも仕方のないことだが」
「……っ」
「どういうことだ?」
黙ってしまった永の代わりに蕾生が問うと、詮充郎はまたニヤリと笑って、机の上にあるボタンのようなものの一つを押した。
「よいものを見せてやろう」
その言葉と同時に、部屋の壁の一部が機械音を立てて剥がれていく。シャッターが上がるように、中から水槽のようなガラスが見え始めた。
最初は部屋の明かりが反射されて何があるのか分からなかったが、壁の一部が上がり切る頃にはその禍々しい物体が一同の前に姿を現した。
「な──」
それを見た蕾生は言葉を失う。鈴心は目を見開いて少し震えていた。
星弥もそれを見て悲鳴を上げる。
「ひっ!」
頭は猿、胴体は猪、尾は蛇、手足は虎。
ガラスの奥に、そう形容できる黒ずんだ物体が二つ。
虚ろな瞳を携えて、あらぬ方向を向きながら空しさを語るようにそこに存在している。
「……」
蕾生にとってそれらは初めて見るものであるけれど、どこか懐かしいような不思議な感覚があった。
自分の体にそれらと同じものがあるような気がして目が離せない。
「この、悪趣味ジジイ……」
永の悪態には目もくれず、詮充郎は得意げに朗々とした声で語る。
「この遺骸が、我々が鵺と呼ぶものだ。よく見たまえ、僅かだが個体差があるだろう、そこが素晴らしい」
右の鵺には頭部に前髪のような毛が多く生えており、左の鵺には胸部に多く毛が生えている。だが、どちらの遺骸も経年劣化により朽ちかけているので、蕾生にはあまり判別はつかなかった。
「ライ、もう見るな!」
永が狂ったように叫ぶ。その声は遠く聞こえた。
「何故? よく見るといい、かつての自分の姿を!」
蕾生の様子を楽しげに眺め、興が乗った詮充郎は高らかに言い放った。
その宣言に永も鈴心も、やられたと言わんばかりの顔で立ち尽くす。
星弥はあまりの衝撃に、口元を手で押さえながら震えだす。
そして蕾生は。
「──は?」
その言葉の意味を理解した頭と理解したくない心が乖離して、時が止まったような錯覚に陥った。
「記憶が残らないのは、お前が一番呪いを濃く受けているからだ。己が鵺に変化するほどの強い呪いが……な」
詮充郎の、災厄を呼ぶような低く嗄れた声が、蕾生の頭にはっきりと鳴り響いた。




